2023年1月に別居後、面会調停、婚姻費用調停、離婚調停を経て2024年12月に成立、同年クリスマスに離婚届を提出し、シングルママとなりました。
何度も何度も通った東京家庭裁判所…
はじめは2ヶ月に1度だった調停も次の年には月1となり、悔しくてつらくて頭に来て泣きながら歩いた日も少なくありませんでした…。
最後までがんばれたのは、かわいい娘たちを守るため。ふたりと笑顔溢れる楽しい毎日を過ごすため。
今こうしている間にも、同じような境遇で戦っていらっしゃる皆様に、そして、これからそんな戦いに赴こうとしている皆様に、少しでも希望が届けられますように…。そんな思いを込めてこのブログを立ち上げました。私の経験が少しでも多くの皆様に何かしらの希望となれれば光栄です(*´ㅅ`*)✨
ひとりだけで頑張り続けるのには限界があります
元旦那はどんな人間だったのか
一言で元旦那という人間を表現するなら、、
モラハラ男!!!
これに尽きます。
人の話を聞かない、自分が正しいと思ったことが全て、コミュニケーションが取れない、家族を軽んじる、妻である私を見下している、貯金ができない、怒ると口を聞かなくなる、行先も帰り時刻も伝えず1人でふらっと出かけて帰ってこない、マザコン、、。
上げればキリがありませんが、それは私が我慢をすればよかっただけのこと、、。
いちばん許せなかったこと…
離婚に踏み切った一番の理由は、子供に手をあげたこと。
それも、「躾」という名目でこどもたちを怒鳴り必要以上に脅し、聞かなければ手をあげる、、。
これまで何度も、「このやりかたはおかしい」「それはやりすぎるからやめてほしい」と伝えましたが、私の言葉はたったの1度も彼に届きませんでした。
次第にこどもたちは父親を怖がるようになり、家に帰りたがらないようになり、「パパきらい」と言うようになりました。
私の最大の過ち
私はそれを受け、どうしたかというと…
こどもたちに我慢をさせてしまったのです。
これは私の最大の過ちであり、今思い返しても後悔しかありません。
血の繋がる父親であり、家族のために働いてくれている一家の大黒柱である彼をそのように言ってはいけないと、こどもたちに言い聞かせてしまいました。
こどもたちは父親に向かって「きらい」ということは無くなりましたが、私の実家に遊びに行くたびに「おうちに帰りたくない」と零すようになり、自宅まで送ってもらって父親に迎えられるたびにじいじやばあばにしがみついて号泣。尋常ではない泣き方に今まで何度も父や母から「そっちの家は大丈夫なの?なにかあるの?」と聞かれましたが、元旦那の所業を相談することはできませんでした…。
まわりには相談できなかった…
元々、父母は私の結婚を賛成していなかったのです。相手を認めていませんでした。
それでも、最終的には私の気持ちを一番に優先してくれて許してくれた結婚だったのです。
それもあり、私は自分が選んだ道なのだから、自分で選んだ人なのだから、自分でどうにかしなければならないと思ってしまったのです…。
元旦那は外面だけは非常にいい人でした。
いいパパ、いい旦那、いい人。
外での元旦那を知る人なら誰しもがそう答えるであろう印象を与える人、それが元旦那です。
周りを見れば、仲睦まじい夫婦や家族ばかり…。
家族にも、ママ友にも、相談することはできませんでした。
なぜ、離婚に踏み切ったのか
ある時、ふとしたことで元旦那と喧嘩になった時…。
元旦那がある一言を発しました。
この一言で私の中の全てが崩壊しました。
あなたがそれを言うのか!!!
と。
言ってはいけない一言です。
大人であるならば言っていいことと悪いことはきちんと考えなければいけません。
口が滑ったで済まされる言葉ではありません。
散々我慢してきたのはこっちなのに。
つらい思いをしているのはこどもたちと私なのに。
そのひとことを、私は今の今まで1度も口にしてこなかったのに。
あなたがそれを言ってしまうのか、と。
私の中で堰き止めていたものが全て溢れ出し、崩壊し、愛も情も思いやりも、なにもかもが崩れさりました。
そこから私の離婚に向けた戦いが始まったのです。
と、触りとしてはこのへんで!笑
これからは、やんちゃでかわいい姉妹の日常や、思い出しても吐き気がする離婚調停の戦闘記録、マイペースでのんびり屋でちょっと抜けてるシンママのやらかし報告などなど、日々たのしく綴っていけたらと考えております(°▽°)笑
調停や離婚関連の質問などもいつでも承っておりますので、気軽にコメントご連絡ください((。・ω・)。_ _))ペコリ





