触感シリーズ 小学校5・6年生(高学年) 第3話 ガチガチの握手と、言葉にならない熱
1 噛み合わない歯車
ピーッ!
終了のホイッスルが、湿ったグラウンドに空しく響いた。
0対1。
6年2組のサッカーチームは、隣のクラスとの練習試合に負けた。それも、一番後味の悪い負け方だった。
「おいカルロス! なんでさっきパス出さなかったんだよ!」
キャプテンの健太(けんた)が、汗だくの顔で怒鳴った。
ゴール前にフリーの味方がいたのに、転校生のカルロスは強引にドリブルをして、ボールを奪われたのだ。
カルロスが、褐色の顔を歪めて言い返す。
「ケンタが遅いんだ! もっと前へ走れ! チャンスだった!」
「チームプレーだろ! 勝手なことすんなよ!」
「勝つためにやった! 何が悪い!」
二人の睨み合いに、チームメイトたちが慌てて割って入る。
カルロスは、ブラジル人の父と日本人の母を持つダブルだ。3ヶ月前に転校してきたばかりで、日本語は話せるが、時々言葉のニュアンスが通じないことがある。
何より、彼のプレーは「個」が強すぎる。
「……もういい」
健太は地面を蹴り上げ、背中を向けた。
チームの空気は最悪だった。
2 部室の沈黙
着替えをする部室の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
制汗スプレーの冷たい匂いと、汗の酸っぱい匂いが混ざっている。
健太は、ユニフォームを乱暴にスポーツバッグに押し込んだ。
(あいつ、何なんだよ)
カルロスの技術がすごいことは認める。でも、ここは日本だ。みんなで協力して、声を掛け合ってやるのが部活だろう。
カルロスは部室の隅で、一人で黙々と着替えていた。
誰とも目を合わせない。孤立している。
クラスでも、彼は時々浮いていた。思ったことをストレートに言いすぎるからだ。
「お疲れー」
「じゃあなー」
気まずい空気の中、部員たちが三々五々、帰っていく。
健太もバッグを担いで部室を出た。
校門へ続く並木道。夕日が伸びて、影法師が長く黒く横たわっている。
「……ケンタ」
背後から声をかけられた。
振り返ると、カルロスが立っていた。
3 宣戦布告か、和解か
健太は身構えた。まだ文句があるのか。
「なんだよ」
カルロスは、大きな瞳で健太をじっと見つめ、一歩近づいてきた。
そして、無言で右手を突き出した。
(……握手?)
日本では、謝る時は頭を下げる。あるいは「ごめん」と言葉にする。
でも、カルロス流はこれなのか。
健太は迷った。この手を無視して帰ることもできる。でも、キャプテンとしてそれは逃げだ。
「……分かったよ」
健太は渋々、自分の右手を差し出した。
指先が触れ、掌(てのひら)が合わさる。
その瞬間だった。
ギリギリッ!
「いっ……!?」
健太は思わず声を上げそうになった。
万力で締め上げられたかのような、強烈な力。骨がきしむ音が、腕を伝って耳に届いた気がした。
(なんだこれ、喧嘩売ってんのか!?)
顔を上げると、カルロスの表情は真剣そのものだった。怒っているわけじゃない。泣きそうでもない。ただ、熱い塊のようなものが目の中に宿っている。
「ごめん。さっきは、熱くなりすぎた」
カルロスは言った。手は握られたままだ。
「でも、俺は勝ちたい。ケンタと勝ちたいんだ」
4 掌(てのひら)のヤスリ
「い、痛いってば……!」
健太も負けじと力を込めて握り返す。そうしないと、指が潰されそうだったからだ。
ふと、カルロスの手の感触に気づいた。
ガチガチだ。
皮膚というより、硬い革か、木の皮のようだ。
親指の付け根、指の腹。至る所が分厚く硬化し、ヤスリのようにザラザラしている。
(こいつ、こんな手してたのか……)
健太の手も、それなりに練習でマメができている。でも、カルロスのこれは、レベルが違う。
聞いたことがある。カルロスは毎朝、誰よりも早く来て、一人でリフティングをしていると。放課後も、公園で暗くなるまでボールを蹴っていると。
この「ガチガチ」は、ただの乾燥肌じゃない。
何万回、何十万回とボールに触れ、地面に手をつき、転んでも起き上がってきた証(あかし)だ。
ブラジルでは、気持ちの強さが握手の強さだと言う。
この痛みは、カルロスの「本気」の質量そのものだった。
言葉でのコミュニケーションは不器用かもしれない。でも、この手は嘘をついていない。
健太の胸の中で、わだかまりが音を立てて崩れていった。
「……分かったよ、カルロス」
健太は、痛みをこらえてニヤリと笑った。
「俺だって勝ちたいよ。次は、俺のパスに合わせて走れよ」
「オウ。ケンタこそ、もっと速く出せ」
ようやく、二人の手が離れた。
5 エピローグ
健太は、自分の右手をさすった。
まだジンジンと痺れている。手のひらが赤くなり、熱を持っている。
ちょっと、みんなに聞いてみたい。
嫌いな相手や、苦手な相手と、あえて握手をしたことはある?
言葉だけで「ごめん」と言うのは簡単だ。
でも、体に触れるというのは、勇気がいる。相手の体温、肌の硬さ、震え。そういう「生の情報」が一気に入ってくるからだ。
「じゃあな、キャプテン」
カルロスが白い歯を見せて笑い、走って帰っていく。
その背中は、やっぱり少し強引で、でも頼もしかった。
「……握力、バケモノかよ」
健太は呟きながら、赤くなった右手をぎゅっと握りしめた。
その痛みは、今日の敗北の悔しさと、次の試合への希望が混ざり合った、忘れられない「熱」の味がした。
(第3話 了)
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