宗教力と比叡山という優位な地形を傘に権力を持つ派閥。
織田信長が焼き討ちした気持ちがすごくよくわかりました…
しかも焼き討ちという戦争の専売特許は、比叡山の僧兵にもあったそうです(゜∀゜;ノ)ノ
かの有名な豪僧、武蔵坊弁慶(一説ではアフリカから渡った力自慢の黒人という噂もあるf^_^;…デマ?)も、この比叡山で修業してたそうです。
比叡山を降りて10㎞程に、由緒正しき三井寺という有力なお寺があります。

比叡山と三井寺は当時対立しあっており、弁慶は比叡山側の僧兵として三井寺を襲撃し、僧兵たちは立派なお堂を次々と焼いたらしいです(°□°;)
その時に戦利品として三井寺の立派な鐘を弁慶がひきづって比叡山に持ち帰ったそうな…
(そのときのひきづった跡が今でも残ってるという)
それがコレ☆
↓

いやいやいや




どーみても全長4m弱で、2.5トンくらいありそう。
大の若い男がヒイヒイいいながら登った山道をあんなもんひきづって登れるのかいな…
いくら昔のひとが精強でも、現実味がありませんよ…。神通力とかそういうのナシね。
………僕の仮説ですが、この鐘とひきづり跡が本物だとしたら、
おそらく何らかの搬入用資材を使って牛や馬と小隊規模(数十人)で比叡山に運んだんだと思います。
(おそらく弁慶は小隊長もしくは分隊長として実行の監督?)
余談ですが、持ち帰ったこの鐘を飾って衝いたら「イノーウ(古代の関西弁で「帰りたい」という意)」というイヤな音をだして、キレた弁慶が谷底に投げ捨てたそうです。
この話ちょっと現実味を感じる笑
……そりゃあれだけひきづれば、鐘も痛むし音も悪くなるよね。