春分の日でお休みなので、子どもたちとお彼岸のお墓参りに行ってきました。

自宅で先祖供養をしていて、お経もあげているので、お墓参りはいっか~と思ってた時期もありましたが、それはそれ、これはこれかなと。

草むしりしながら強風にあおられ大笑い。お彼岸は霊界が近づく日なので、笑い声もあちらに届いたかな。夫の祖父も姑さんも、あきれながらも喜んでくれたかなと思います。

 

 

 

姑の思い出と因縁の話

 

私が嫁いだM家は、嫁が55歳で亡くなる因縁だと・・・・結婚してから聞きました。

 

姑さんも55歳で亡くなりました。私が嫁いで3年、長男が2歳、次男が産まれた年でした。

病がわかったとき、お母さん大好きな夫は、普段のお経に加え、水をかぶったり、病院めぐりをしたり、ありとあらゆるできることを探して必死にやっていました。

姑さんが亡くなって・・・だいぶたってから、当時の話をしたら夫は

「なおちゃんまで55歳で亡くならないようにというのもあって、お母さんをどうしても助けたかった」

と言いました。

 

奥さんは2回目の人という因縁もあるそうで、夫は私と結婚するときに絶対離婚はしないと思っていたそうです。

まだ姑がお元気な頃、私が夫と大ケンカして別れ話になった時、姑は飛んできて私に頭をさげて頼みました。

「どうかM家が2回奥さんをもらう因縁を切って欲しい、別れないでやってほしい」と。

姑に頭をさげさせるなんて、いやほぼ土下座してたと思う、思い出してもほんとごめんなさい。

姑も2回目の嫁でしたが、大変苦労されたようで、色々話をしてくれましたっけ。

「M家は女が泣く家やからね~」とも言っていました(結婚する前に言ってくださいよww)。

 

 

そんな亡くなった姑の手助けなのか? 夫は長い間単身赴任になり、なんとか離婚は回避?

夫は離れているのでなにかにつけ私の心配をしてくれるのですが

「55歳で亡くなったら困るから」

と付け加えるため、だんだん、そうか私の寿命は55歳なんだなと思い込むようになっていました。

53歳くらいから終活しだして、遺影も撮って、写真なども整理して、それも疲れてきて・・・。

55歳を目前に、後1年なら好きな事しよう!と思ってやりだしたのが、今までやったこともないメイクと着るレッスン、そして興味があった紫微斗数です。

 

 

大難は小難に、小難は無難に

 

そして私は56歳になりました。(堂々と年をばらしているw)

夫は姑の遺志を継いで、私は母方の祖母がやっていたので、因縁解決の先祖供養をずっと続けています。私たちの代で少しは因縁解決したのかな、子どもたちの奥さん(まだ結婚もしてないけど)も少しは長生きできるかな、などと思ったりもします。とにかく夫が一番このことを喜んでいます。

 

そうなるかどうかはともかく、そうなるかもしれないと知って備えておくことで、大難は小難に、小難は無難にできるという点では、先祖供養も紫微斗数も似ているところがあるなと思うこの頃です。

 

 

あとは・・・夫が単身赴任から帰ってきたら、今度は夫婦の修行か・・・。

あ~それが一番の修行だわ~、と思いながらも、生まれかわったときに来因宮破格にならないよう努力しようとは思います。

 

 

 

・・・姑の事を思い出し、そんなことを思うお彼岸でした。

 

しかしながら、実はM家に来た2度目の嫁が55歳で、というのは少し違っていたという事が何年か前に判明したのですが、それはまた機会がありましたらつぶやきたいです。

 

なんか変な話になってしまいましたが、おつきあいいただきありがとうございました。