(公開しないつもりだったので言葉悪いですがご容赦を)
(書き上げてみてここに公開しよう、と思った。深い理由はない)
めんどいから説明は省くとして
嫉妬があるかぎりそこに愛はない。というエッセイがあって、共感者がいっぱいいたんだが私はいささか疑問を呈する。
嫉妬がある限り愛はない、というと、嫉妬する人は愛することができていない人だって意味が含まれるじゃんか。
違うだろうと。
嫉妬しているとき、愛を感じることはできない。
嫉妬と愛は同時に抱けない。ということであって、愛のない人だって意味は余計だろう。
言葉の綾かもしれないが、読んでいい気分にはならないよ。
上記のことを語ってるのはオーラソーマのメルマガなんだが
ハートのチャクラってとこに嫉妬の課題があって
ハートチャクラってのは無条件の愛に関するものらしいから、ハートチャクラが嫉妬に燃えてるとき愛はないと言いたいんだろう。
でもそれは嫉妬に燃えているときの一時的な話であって、その人を言い表すもんじゃないだろう。
嫉妬してくるから、それは愛じゃないって別れたって偉そうにいってる人がいたけどさ
それは嫉妬してしまう弱さを、叩きのめしたのであって
愛を選んだのではないんではないか。
人は弱い。
そして自分で解決しなきゃならないもののが多いけど
パートナーシップにおける嫉妬は、癒しあうもんじゃないのかね?
嫉妬することないんだよって、癒してあげて、それで安心して相手は愛の状態を保てるようになるんじゃないかね?
だって自分がいなかったら相手は嫉妬なんかしないんだよ。
愛しているからこそ、愛というハートチャクラが活性しているからこそ、同時に独占欲も盛り上がってしまうんじゃないの?同じハートチャクラだっていうならさ。
嫉妬が愛を越えたとき、問題として出てくるんじゃん。
だから愛が強いほど嫉妬はやわらぐかもしれないけど
嫉妬が強いほど、愛は太刀打ちできないってことでもあり
嫉妬しやすいからって愛じゃないと切り捨てるのはひどいと思うなぁ。
その理論で言えば
他の異性と話をしただけでするような嫉妬は、愛が足りないと言えるでしょう。
でも、恋人放置して他の異性と話しまくってたら、そりゃ嫉妬して当然じゃねぇか?
浮気されて嫉妬で狂うってのも、嫉妬して当然じゃねぇか?
嫉妬は愛じゃないから嫉妬すんじゃない。っていうのは、言っちゃいけないと思うわ。
それはオーラソーマの大嫌いな抑圧ですよ。
まぁ愛が弱くて嫉妬しすぎて束縛きつい人も世の中にはいるんだろうし、愛じゃないって言って別れたって人の相手もそれかもしれないけどね。
相手に成長の意思がありさえすれば
好きで付き合ったんだから、愛が小さいときは愛を育んでいければいいんじゃないかなぁ。大変だろうし、私は願い下げだけど(҂ ー̀дー́ )
残念ながらパートナーがそういう人だったなら、弱さに付き合って育んでいけばいいのに、と思うなぁ。
好きになったんだから、他に魅力はいっぱいあるでしょう?
弱さを助けて、魅力を引き立ててあげられればいいんだろうね。
嫉妬に対応してあげれば感謝して愛が大きくなる、というのが理屈では考えられる。
嫉妬に対応してもらって当然ってふんぞりかえってるような感謝の気持ちがない人の場合は難しいだろうけどねぇ。
そうじゃないのに、そんな苦労するくらいなら他の人探すってんなら、愛がないのはお前の方だろうっていう。
自分だけが尽くしてばかりだって不満なら
相手の嫉妬に対応してあげる代わりに、自分もなんかしてもらってイーブンの状態を保てばいいんじゃないの。
それができなくてはじめて、別れようってなるんじゃないのかい。
別れ話は、嫉妬は愛じゃないって言葉じゃなくて、こっちの負担が大きすぎてアンフェアだ。というものになるんじゃないの。
まぁ嫉妬についてのエッセイへの反応だったから、経緯が省かれているだけかなと、いま思ったけど!
ともかく言いたいのは
嫉妬する人=愛してくれていない人
じゃなくて
嫉妬する人=愛したくても嫉妬がじゃまで愛せなくなってて困ってる人
だと思うってことです。
相手の問題は自分の問題で、自分の問題は相手の問題で、なにかあれば一緒に解決していくっていうのが、パートナーシップの安定する形だと思うんだ。
嫉妬があるかぎり愛はない、って言い方はなんかひっかかるなぁ。抑圧的というか。
抑圧はいけないってエッセイで一緒にかいてあったけど、この人は理屈で語ってるのであって実践はともなってないんじゃないかなぁ。
嫉妬を感じているとき愛は感じられない。
に書きかえがいいと思いまっす!
でもってハートチャクラが愛の力だっていうから
ハートチャクラ鍛えて愛が大きくなれば嫉妬もしにくくなるのかもね。
ハートチャクラなぁ
私も鍛えなきゃなぁ
(書き上げてみてここに公開しよう、と思った。深い理由はない)
めんどいから説明は省くとして
嫉妬があるかぎりそこに愛はない。というエッセイがあって、共感者がいっぱいいたんだが私はいささか疑問を呈する。
嫉妬がある限り愛はない、というと、嫉妬する人は愛することができていない人だって意味が含まれるじゃんか。
違うだろうと。
嫉妬しているとき、愛を感じることはできない。
嫉妬と愛は同時に抱けない。ということであって、愛のない人だって意味は余計だろう。
言葉の綾かもしれないが、読んでいい気分にはならないよ。
上記のことを語ってるのはオーラソーマのメルマガなんだが
ハートのチャクラってとこに嫉妬の課題があって
ハートチャクラってのは無条件の愛に関するものらしいから、ハートチャクラが嫉妬に燃えてるとき愛はないと言いたいんだろう。
でもそれは嫉妬に燃えているときの一時的な話であって、その人を言い表すもんじゃないだろう。
嫉妬してくるから、それは愛じゃないって別れたって偉そうにいってる人がいたけどさ
それは嫉妬してしまう弱さを、叩きのめしたのであって
愛を選んだのではないんではないか。
人は弱い。
そして自分で解決しなきゃならないもののが多いけど
パートナーシップにおける嫉妬は、癒しあうもんじゃないのかね?
嫉妬することないんだよって、癒してあげて、それで安心して相手は愛の状態を保てるようになるんじゃないかね?
だって自分がいなかったら相手は嫉妬なんかしないんだよ。
愛しているからこそ、愛というハートチャクラが活性しているからこそ、同時に独占欲も盛り上がってしまうんじゃないの?同じハートチャクラだっていうならさ。
嫉妬が愛を越えたとき、問題として出てくるんじゃん。
だから愛が強いほど嫉妬はやわらぐかもしれないけど
嫉妬が強いほど、愛は太刀打ちできないってことでもあり
嫉妬しやすいからって愛じゃないと切り捨てるのはひどいと思うなぁ。
その理論で言えば
他の異性と話をしただけでするような嫉妬は、愛が足りないと言えるでしょう。
でも、恋人放置して他の異性と話しまくってたら、そりゃ嫉妬して当然じゃねぇか?
浮気されて嫉妬で狂うってのも、嫉妬して当然じゃねぇか?
嫉妬は愛じゃないから嫉妬すんじゃない。っていうのは、言っちゃいけないと思うわ。
それはオーラソーマの大嫌いな抑圧ですよ。
まぁ愛が弱くて嫉妬しすぎて束縛きつい人も世の中にはいるんだろうし、愛じゃないって言って別れたって人の相手もそれかもしれないけどね。
相手に成長の意思がありさえすれば
好きで付き合ったんだから、愛が小さいときは愛を育んでいければいいんじゃないかなぁ。大変だろうし、私は願い下げだけど(҂ ー̀дー́ )
残念ながらパートナーがそういう人だったなら、弱さに付き合って育んでいけばいいのに、と思うなぁ。
好きになったんだから、他に魅力はいっぱいあるでしょう?
弱さを助けて、魅力を引き立ててあげられればいいんだろうね。
嫉妬に対応してあげれば感謝して愛が大きくなる、というのが理屈では考えられる。
嫉妬に対応してもらって当然ってふんぞりかえってるような感謝の気持ちがない人の場合は難しいだろうけどねぇ。
そうじゃないのに、そんな苦労するくらいなら他の人探すってんなら、愛がないのはお前の方だろうっていう。
自分だけが尽くしてばかりだって不満なら
相手の嫉妬に対応してあげる代わりに、自分もなんかしてもらってイーブンの状態を保てばいいんじゃないの。
それができなくてはじめて、別れようってなるんじゃないのかい。
別れ話は、嫉妬は愛じゃないって言葉じゃなくて、こっちの負担が大きすぎてアンフェアだ。というものになるんじゃないの。
まぁ嫉妬についてのエッセイへの反応だったから、経緯が省かれているだけかなと、いま思ったけど!
ともかく言いたいのは
嫉妬する人=愛してくれていない人
じゃなくて
嫉妬する人=愛したくても嫉妬がじゃまで愛せなくなってて困ってる人
だと思うってことです。
相手の問題は自分の問題で、自分の問題は相手の問題で、なにかあれば一緒に解決していくっていうのが、パートナーシップの安定する形だと思うんだ。
嫉妬があるかぎり愛はない、って言い方はなんかひっかかるなぁ。抑圧的というか。
抑圧はいけないってエッセイで一緒にかいてあったけど、この人は理屈で語ってるのであって実践はともなってないんじゃないかなぁ。
嫉妬を感じているとき愛は感じられない。
に書きかえがいいと思いまっす!
でもってハートチャクラが愛の力だっていうから
ハートチャクラ鍛えて愛が大きくなれば嫉妬もしにくくなるのかもね。
ハートチャクラなぁ
私も鍛えなきゃなぁ