Got Brain?
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そして1年目の総合テスト(comprehensive exam)

そして1年目が終わる時にpsychopathology(精神病理学)と統計学の総合テスト(略してcomp)が待っていた。精神病理と統計は1年目を通して取るクラスで、つまり、1年間習ったことのまとめ。そして、これらのテストは春学期終了後と9月の新学期開始前と秋学期終了後の年に3回の実施のみである。そしてそれぞれ3回までしか受けられない。つまり、3回不合格だったら、、、、そう、、”さようならー”と退学。また、この1年目の2つのcompは受からないと2年目から始まる臨床実習に行くことが許されない。


精神病理のテストはいわゆるDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)に載っている精神疾患についてinside out理解しなさい!ということらしかった。DSMはreferenceではなかった、これって一語一句読んで覚えるものだったんだー、と途方に暮れる。授業の中のテストよりもっとつっこんで質問されるらしいとのことで、またまたDMSをこまかーく読み直し、ひたすら覚える。しかし、覚えただけでは事例の診断はできないので応用を利かせるためDSMの事例集を読む、読む、読む。診断のポイントってこんなところにあったんだー!とあらためて感心した。(これくらい授業の時に勉強するべき!という突っ込みは横に置いておくことにする。)DSM Made Easy http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0898625688/qid%3D1145619792/503-6974934-8915900

なんていうDSMのポイントをまとめた本まで買ったなー。この本使えます、ちなみに。


そして、統計学のテストのほうもそのまま1年間ならった統計の理論と使い方を試された。もともと理系な私はそれほど統計学では苦労しなかったかも。でも、他のに比べてというまでだが、、、。統計学みたいにはっきり答えがひとつな学問は勉強がしやすい。理論を理解し、どういうデータを解析するために使うかの応用を勉強するというパターンが分かりやすかった。しかし、意外なことに統計学が一番苦手というクラスメートの多いこと、多いこと。授業で扱う日本の数学はアメリカよりとても進んでいる(高校までの数学です)ので、その影響はあると思う。統計学がハードルになりなか先に進めない学生多し!と知った。


そんなこんなで春学期中から勉強をし始め、これらのテストは春学期終了1週間後に実施された。春学期が終わってからの1週間の猛勉強が成果をみせたかというと、、、、、、、、、


統計学、合格! 精神病理学、不合格! がーーーーんという結果。だめじゃん、だめじゃん。なんか自分の不安を客観的につきつけられた感じ。


(統計学を一緒に勉強した先輩達も不合格であった。このうち一人は3度目のトライで、音沙汰のないまま退学してしまっった。そしてもう一人はその後もすごい苦労をしたらしく、今だに無事は博士号を取得したのかは謎!!どこへ行ってしまったんだろう??あせる


ここであせったガーン 9月の新学期が始まる前にもう一度精神病理学のcompに合格しないとこのまま臨床実習を始められない。夏休みは9月のぎりぎりまで日本でのんびりするはずだったのに、、、、


というわけで、8月早々に日本から帰ってきて(もちろん日本でも勉強の真似事はしたけれど、進まない、進まない)、また以前のテスト勉強方法を反省しつつ、、、後がないと必死。またタイミング悪く、日本の学校で同級生だった人(しかもよく知らない人)がなぜか私の住んでいる地域に旅行にくるからとの連絡を一方的に。飛行場まで迎えに来て欲しいとか、あそこに行きたいとか言われ、、、、、、。大爆発をしつつ、、、。これで落ちたら悔やんでも悔やみきれないと、、、、、


そして迎えた9月。なんとか、、、、合格!よかった、よかったキラキラ

これで遅れをとらず臨床実習に、、

はじめての臨床実習(practicumという)は学校に付属のクリニックでpsychotherapistとして患者を持つのだ。これまた波乱万丈なclinician デビューとなる。

まだまだ続く大学院1年目

昨日も書いたように波乱万丈の大学院生活がはじまった。

特に大学院1年目はひたすらreadingとノートの空白を埋めるのとレポートとで毎日明け暮れた。

やっぱり大学の時よりたいへんだった。readingの量にもね。毎回の授業のために読まなきゃいけない教科書の部分が決まっているのだけれど、これがまた多い。しかも1年目で要領も悪いためにひたすら全部読む、読む、読む、、、、これが2年、3年に上がるにつれコツもちょっと理解し、またちょっと世渡り上手にもなり(??)、読まなくてもすみそうなところが分かるようになるんだな。でも、とにかく1年目は端から端まで読むしかない。朝から晩まで読んでも読んでも、、、減らない。で、、やっと次の授業のために読み終わったと思ったら、授業の日が来てまたreadingの借金がたまる。そのreadingの借金に不安になり、なんだかノイローゼ気味にもなった。なんだか朝は異様に目覚めが良く、、、これは朝も“読まなきゃ!”っていう不安に駆られるため。そして、なんだか読んでないと不安になる、なんていったって次の授業までに読み終わらないとまたまた落ちこぼれるような気がするし。今考えればこの状態ってノイローゼ!!ショック!


ほとんど留学生がいないというのも難しい。同じような気持ちをシェアできない感じがするからね。クラスメートが3時間で読めるものはきっと私はその3倍はかかっているに違いない、、、ということは9時間かけなきゃいけないからね、、っていうような気持ちをね。そーんなサポートがあるといいね、学校に。


、、、と私ばかり大変だったようだけれども、実は普通のアメリカ人の学生も大学院は大変なんだよね。大学院に入る前にある学会で“大学院に行くには、、、”みたいなworkshopで、ある学校の先生が“大学院に行くということはいろんなことをとりあえず後ろの座席に保留しておいて、大学院のことに集中するしかない。”と言っていた。そうだ、そうだ、誰でもたいへんなんだ。私だけではなかった、、、といまなら冷静に思える。


実際にあまりの勉強量にパニックになり、試験前日に辞めたクラスメートもいた。大学院が大変で抗うつ剤を服用する大学院生というのはとても多いらしい。ある日、クラスメートが臨床実習の最中に突然私に“私達、薬(違法ドラッグじゃないよ、抗うつ剤とか抗不安剤だよ)をまだ飲んでいないだけいいかもねー”と言ったことがあった。また、ある友達はかなりとんとん拍子にインターンシップまで進んだもののしばらく音沙汰がないなーと思ったら、ある日“もうかなりダメでね。最近抗うつ剤を飲み始めた”との告白。またあるクラスメートは大学院に入るずっと以前にDID(dissosiative identity disorder-解離性人格障害)と診断され、治療を受け落ち着いていたものの、大学院に入ったストレスで状態が悪くなるといったことがあったらしい。それで学校を辞めざるをえなくなったとのことだったけど、本当かな、、、??でもほんとに辞めちゃった。なーんて、普通の人もストレスを感じるんだよ、そう私だけではない。


anyway, 目の前のことだけでいっぱいいっぱいな私は授業を落とさないことだけしか考えられなかった1年生。この頃の楽しみってなんだったかな?スターバックスのアイスモカかな。あせる


この波乱万丈記をちょこっと現同僚のみなさんに話したら“えー、そんなことがあったなんて、、、”って今の私からは想像できないことらしいので、なんだかまた調子にのって、いっぱいいっぱいの私について書いちゃった。まだまだ波乱万丈記は続く。


そして1年目の最後にcomprehensive exam(まとめのテスト)-精神病理学と統計学の総合テストが待っていた。これに受からなきゃ2年生からの臨床実習に出れないって!!さて、無事臨床実習にでれるのか、、、、

留学記 その4-パニックの1年目

そして大学院にての授業が始まった。どこかの誰かが大学生の私に“大学院に入ったら自分の専門の授業しか取らないから大学より大変じゃないよ、、、”と。そうか、自分の好きなことだけ勉強するならそうかもな、、、と納得していた。が、、、、、、始まってみたらびっくり。自分の専門しか勉強しないってことはどのクラスも手を抜くことは許されないことだった。どのクラスもきちんと勉強しないと必ず後で自分に返ってきてしまうという自業自得型生活。しかも内容は明らかに学部より何段階も高度になっていた(当たり前だよな!)。


いつものごとく、小心者の私は初日でパニクった。授業はひとつのクラスが一回3時間。確か一つ目の授業は精神病理(psychopathology)。その間、先生はしゃべりまくり。みんな必死でノートを取っていたが、、、、、書くのも遅い私はなんだか授業の半分くらいしかノートが取れず、大切なことを全て書きとめられなかった。これじゃ、、必ず落ちる!とパニック。思わず、最初の授業が終わってから先生に“全然分からなかった。”と漠然と言ったら、先生“なに?panicって言う意味が分からないの?”(パニクッてる私にパニック障害の授業!)。そうじゃないんだけど、、、、


そして運命のbiological psychologyのクラス。このクラスは全ての学生の必修クラス。つまり将来的に神経心理を専門にしなくても臨床心理の学生はみんな取るクラスだった。このクラスの先生の授業はなぜかはまった。この先生も3時間、あまり黒板にも書かずにしゃべり倒す先生。ノートを必死で取る3時間。到底スピードについていけず、全ての授業をテープ(なつかしい!!)に取ることにした。この授業があった日は、録音したテープをもとに家でノートの抜けているところを埋めるという地味ーなことをしてた。神経解剖学、神経科学なんて基礎はfactual informationばかりだし、ひたすら知識を詰め込むしかないんだな。ま、そんな地味なことしてたんだけど、なぜかこの先生の話は何度聞いても飽きなかった。この先生の話し方の特徴まで今でも覚えている。“、、、、、、、、、、、(文章)、、、、、、、、、、ニャ、”って最後に“ニャ?”って付ける。このイントネーションの感じから言うと”、、、、、、ね、、分かった?”って感じなんだけど。そんなステキな先生だった。この先生が後々、私のdissertation chair(博士論文の主査)になるとはその時は思いもしなかったな。


そんなわけでこのbiological psychologyのクラスは頑張った分ちゃんと成績に返ってきた。ここではじめてneuropsychology(神経心理)に進むのも悪くないかも!とちょっと思った(あくまでも“ちょっと!!”)のだった。で、なにしろ大学の時のphysiological psychologyでは羊の脳の解剖は楽しくても成績は目も当てられない感じだったので、まさかこっちの分野に来るとは、、、さらにneuropsychologyを専門にすると余分な専門過程とその後の特別なトレーニングのrequirementがあったので、この時はまだまだ躊躇していた。neuropsychologyのトラック(専門課程)に入るには3年生にならないと無理だったのでとりあえず保留。その前にやることがまだまだあるから。これが私の崖っぷちとほほ大学院生活のはじまり、、、、、、

留学記 その3-大学院に入学してみた

そしてカリフォルニアの大学院に入学。臨床心理学のドクタープログラム。そこでつくづく何も知らずに大学院に飛び込んだことを知った。


大学院に入ってはじめて知ったことーその1:アメリカでは学部卒でストレートに(つまり大学を卒業してすぐに)大学院に進学する学生がとても少ないこと。


その2:大学院に進学する前に何か仕事をしたり、ボランティアをしたりして、進学したい分野をかじることが多い。それは進学に有利だから。ドクタープログラムにより合格しやすい。また、その分野についてよく知ってから進路として選ぶから。


その3:博士号のプログラムにストレートで入れることもできるが、その前に関連の分野で修士号をとってから博士号のプログラムに進学することが多い。それは少しでもドクターのプログラムに入りやすくするため。もしくは本当にその分野でキャリアを積みたいか考える期間にもなるから。はたまた、実際に関連分野での臨床などをして(私の学校では学生によってはドクターに入学した時点で既にMarriage Family Therapistのライセンスを持っている人がいた。)やはりドクターに行きたいと考え入学するため。修士号を既にもっている学生は完全に他の学生よりスタートの時点で何歩を前を行っていたのは言うまでもない。


その4:Clinical Psychologistのラインセンス(免許)を取るにはドクターを取っただけではなれない。residency/ポスドクをしなくでは免許の試験を受けられない。しかも、一次試験の合格率は大体40%台。

いずれも免許を受ける試験にたどり着くまで、気の遠くなるような臨床時間がないといけない。“これじゃ私には無理だわ、、”と思ったのは言うまでもない。


その5:卒業するまでにcomprehensive examーアセスメント、統計、精神病理の3つと博士論文を書く前の総合テスト、そしてoral exam(面接で事例を渡されてアセスメント、診断、治療計画をえんえんと説明する)があること。


などなど、おそらくもっとあると思うけど、びっくりベスト5はこれらだろうと思う。

とりあえず入学前のオリエンテーションに行って、既にパニックな私だった。とにかくその時に思ったことは”あー、おそらく卒業できずに終わってしまう!!!”。実際に卒業できるという確信は最後の最後、、博士論文を提出するまでわかなかった。実際にどんどんやめていく同級生や試験などに通らずに辞めざるをえなくなった学生をみていて常に“次は私だろう、、(次は私が学校を辞めざるをえなくなるだろう)”といつも感じていた。なんていったって英語でハンディがあると感じていたから、、、、


私の学校の留学生は私以外にもう一人。Asian American自体も少ない分野なので、ここはカリフォルニアではないのではないかという錯覚も起こしそうな、そんなはじまり。すでに1日目にしてもう自信もなにも無くなった。ここからの1年間はちょっとおかしかったっていうくらい自信も自尊心も自己肯定感もどこかへ行ってしまった。なんだかくらーーいはじまり。


、、、、、とここまで書いて、こういうことをすくなくとも振り返って書けるようになった自分にばんざーーい!と思う。なんか人事みたいに振り返れてうれしい。と、、すると今の私はそれなりに成長したかなとも思う。今は、こういうことをやってきてよかったと思えるから、、、自分の専門分野が大好きだから。脳っておもしろい!!!いろいろ学べる機会を大事にしようと思う今日この頃。

留学記 その2-大学進学

さて、大学進学。日本では医学部志望していたもののアメリカではそんなことも忘れ、入学当初はどのmajor(専攻)にするかなんては考えていなかった(アメリカでは専攻は入学してから決めるので)。とりあえずみんな取らなきゃいけない必須科目を取る、取る、取る。しーかし、なんだか授業についていくのが大変で卒業できるか不安な日々。はじめの1年はそんなこんなで授業についていくのだけで必死だったので取らなくちゃいけない最低ラインの授業数でやっとこさ終了。


この辺でなんとかやっていけると自信をつけたと思いきや、なにをちまよったのか突如“3年で卒業する計画”を立てる。その根拠が今ではよく分からないけど、一刻もはやく卒業しようと決心。今度はmaxの授業数を取ることに。ますます忙しくなり、楽しかったんだか忙しすぎたんだか、、、という大学生活を送った。常にレポート何本かかえてますっていうような慢性的な火の車状態。今から考えればもっとひとつひとつの授業にじっくり取り組むことが大事だよなーと思うけど、若かった私はそこまで考えていなかった。心理学のイントロのクラスと社会学のイントロのクラスに興味を持ちとりあえずどっちも取っておもしろい方に進もうと決心。心理学イントロでは広く浅く勉強し、その結果精神疾患を取り扱ったところで見事に臨床心理学に恋に落ちた。これで専攻決定。


ここからも波乱万丈。心理学デパートメント唯一の留学生。なんだかディスカッションとか、実験とか、みんなのお尻を必死で追いかけてる感じでいっぱいいっぱい。そのころphysiological psychology(生物学的心理学)ではできないながらも羊の脳の解剖、牛の目の解剖を堪能。ここがそもそもの私の将来を決める出発点だったのかもしれない。脳ってすごーーーい!を満喫した授業だった。しかーし、実はこのクラスの成績は全然よくなく、もう解剖学なんてまっぴら、名前が覚えられん!!というのが本音だった。そんなわけでまだまだ神経心理学を将来専門にするなんて思いもしなかったあの頃。


なんとか卒業も近づいてきたけど、これからどうする?との問いに“うーーん、大学院に行くしかないかな”と答えた。心理は学部卒ではなんの仕事にも結びつかないからだ。アドバイザーの先生に“で、何に興味あるの?”と聞かれ、イントロのクラスで精神疾患に興味があった話をしたら“じゃ、clinical psychologyならドクターに進むしかないわね”とのこと。“なぜドクター??、、、マスター(修士課程)はどうなるの?”と思いつつも言われるがままに大学院の願書提出。これがまた便利なことにclinical psyhchologyの大学院プログラムでAmerican Psychological Assocation (APA)から認定を受けているプログラムの一覧が本になっていた。そこから行きたい学校を選んで応募するようにと言われ、素直に従う。今から考えれば、全く仕組みを分かっていなかった。Psychologistになるにはドクターに行くしかないのだが、それ以外にMarriage Family Therapist (MFT)とかClinical Social Worker(LCSW)とかいう職業があることを知るのはそれから何年も経ってからだった。願書のためにTOEFL(留学生のための英語の試験)やGRE(大学院受験用のセンター試験のようなもの)を受け、なんとか某大学院に滑り込む。あーよかったと思いきや、入ってからがたいへんだった。


まだまだ続く、、、

留学記 その1

そもそも私が留学したのは日本の高校に在学中。なんでか?、、といわれるとただ単純に“英語がしゃべれるようになりたいなー”と漠然と考えて。若気の至りだといってしまえばそれまでだが、、、若かったからこそちょっと2年くらいアメリカの高校に通って日本に帰ってきて大学進学しようと思っていた。あー、なんて安易な。しかも高校では私立理系クラスで受験モード大爆走中だった。留学した時の担任は私の友達に“OOOO(私の名前)は日本でやっていけないからアメリカに行くんだろー”と言っていたらしい。こんな風に周囲の人たちもわけが分からないまま留学してしまった。


そして留学先はコロラド州のカソリックの女子高校。ここはアメリカではなかったの?というくらいお行儀、しつけに厳しい学校だった。中、高で約90人の小さな伝統ある(創立100年)学校。寮の各フロアにはシスターが住んでいて、週末にはクローゼットのチェック。きちんときれいになってないと外に出しません!っていうような。制服のシャツにアイロンがちゃんとかかってない!と朝に叱られたりした。中学生の教室に冬休み明けにいったら“Welcome back to jail”(刑務所へお帰りなさい)と黒板に書かれていた。自由な国アメリカのイメージからかけ離れたところだった。日本の学校の方がよっぽど自由だっただろう。


そして、この学校prep-school(大学進学準備のための学校)だったため、勉強も厳しかった。毎日の宿題とクイズ(小テスト)のためにあっぷあっぷしていた。英語がまだきちんとしていない留学生はEnglish as a secod language(ESL)のクラスも取りながら、普通のクラスも履修する。ESLでは毎日のようにボキャブラリーのテストがあるため、毎朝受験生なみに単語の練習をしていた。なんだか日本の学校と違って、やらなきゃ許されない雰囲気で必死。決して勉強が好きとかそういうわけではなかった。もちろん得たものはたくさんあったはずだけど、なんだかとっても大変な高校生活だった。


そんな大変な学校生活を経て、日本へ帰ったら日本の高校(こちらは休学してたからね)がアメリカでとった単位を認めて卒業させてあげますよと言ってくれたので“わーい”と高校を卒業した。


と、、、オリジナルプランではそこで日本の大学に進学予定ではあったが、、、、、ふと我に返れば、大して英語が上達しているわけでもない。よく留学体験記などに留学して3ヶ月で急に英語がしゃべれるようになったとかと書いてあるが全然違うじゃないか、、、と実感した私。もちろん、日常会話には全然困らないが、普通にアメリカ人とやり取りするには程遠い。そして、高校留学て得たものは“世界をものすごく身近に感じるようになったこと”だった。日本にずっとすんでいたらおそらく得られなかった感覚(なんとも言葉では言い表しにくいけど)急に芽生えた。同じ学校の友達が世界のいろいろなところから来ていたからだと思うが、世界のニュースが人ごとではなくなった。こんなことが理由だと思うけど、大学もアメリカに進学変更へとなった。

さくっと、、、、、

これからはさくっと書ける話題を取り上げたいなと思ってこっちのブログを立ち上げた。まずは過去にさかのぼり、留学中のことから書こうかなと、、、やっとneuropsychologistにはなったけど、この道のりの長かったこと、、、あまりに長くて途中何度も辞めたくなったけど、後戻りもできなかったというのが本当のところではないかと思う。つい先日のアメリカでの学会で何人もの人に“日本ではneuropsychologyはどうなの?”と聞かれ、ある人には“あなたのこの国(アメリカ)での体験は是非書いて残したほうがいいわよ”と言われた。調子に乗ってとりあえずブログから、、、