大日本帝国の国民の多くは、政府が発行するかんたんな文書(ぶんしょ)も読めなかった。

もちろん、徳川幕府(とくがわばくふ)時代、国民の多くは、漢字どころかひらがなもカタカナも読めなかった。

徳川幕府時代、250年、国民の多くは、天皇がいることなど知らなかった。

明治維新、薩長土肥下級藩士は、京都にあてがいぶちで幽閉(ゆうへい)されていた天皇を、京都から徳川幕府の将軍がいた江戸へ移した。

遷都(せんと)である。

しかし、武士の多くは、奠都(てんと)と言った。

遷都は「都(みやこ)を移すこと」すなわちもとの都はなくなることであり、奠都は「都を決めること/つくること」すなわちすでに都があればもとの都はそのままある。