続・日本百名城(2022年4月中旬)(SV650)
【大多喜城】続・日本百名城No.122
千葉県夷隅郡大多喜町にある平山城。
大永元年(1521)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。
以降、里見氏、関ケ原以降は徳川方の本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石として存在し、天守の建造や近世城郭への大改築を実施。城下町も造られ、発展した。
<歴史概要>
元和5年(1619)藩主:阿部正次が拠点を移したことにより大多喜藩は一時的に廃藩となり、城は荒廃。
寛文11年(1672)阿部正春が1万6千石として入城するも、しばらくの間は大規模な再建はできなかった模様。
天保13年(1842)に天守が焼失。天守の代わりに2層の「神殿」と称する建築が天保15年(1844)になされた。
明治 3年(1871)廃藩置県により城が取り壊され、本丸も削平された。
昭和41年(1966)千葉県史跡指定。
昭和50年(1975)天守再建(鉄筋コンクリート造り)。内部に(県立中央博物館分館)が設置される。
平成29年(2017)続・日本100名城指定。
城専用の駐車場がある:無料
現在、城の改修作業が行われており、内部資料館は休館中。城の敷地には入ることができ、撮影も自由。駐車場が無料なのは休館中のためではないかと思われる。
案内板
二輪専用枠なし 適当に停める
特にバイクで行くならば、ここから更に道を登り、天守近くまで進めて停めることが(平日ならば)十分可能と思われる。この日は時間に余裕があったため、歩くことにした。
入口付近には売店があり軽食もとれるようになっている
入口 ここから坂を上る
途中にある空堀
説明板
二の丸跡
公園として整備されている
天守に到着
天守周りにある土塁跡
説明板
石垣
説明板
きれいに積まれている
天守付近からみた景色 小高い丘の上という印象
帰り道 このような坂を下る 道路はきちんと整備されている
途中にあった明治時代の上水道跡
説明板
百名城スタンプは、城から700mほど離れた大多喜町観光協会にある
道路のはす向かいには、いすみ鉄道の大多喜駅がある
大手門 道路が通っている
おわり