こんばんは。きてぃです。
平成28年3月31日
妊娠8週4日
朝起きた時(ほとんど眠れなかったけど)、まだ熱は下がらず、体調は最悪。
こんな私の姿を見て、夫は仕事を休んでくれ、病院に連れて行ってくれることになった。
この日に限って、ネット受け付け番号が『1番』
予約完了後すぐに車に乗り、病院へ向かった。
途中、病院に電話をかけ状態の説明をする。
『熱がある時は、来ていただいても診察できないかもしれません。他に妊婦さんもいるので移ると大変なので』と言われる。
『この熱、かぜじゃないよ。脱水からくる熱だよ…』って思ったけど、細かく説明する元気もなかった。
車を走らせながら途方にくれる。
今日を逃したら、しばらくは病院に行けないと思った。
もうひとりで病院に行ける体力がなかったから・・・
車の中で熱を測ると、37.5℃くらいまで下がっていた。
取り合えず病院に行くことにした。
私が病院の中に入れなくても、夫が先生に相談してくれたらなんとかなると思って。
この日病院に行ったのは、手術の予定を早める日程の相談の為。
病院へ到着し受け付け後、そのまま診察室へ呼ばれた。
手術の日程相談をしに来たことを伝えたところ先生が、
『熱が出ちゃったの。辛そうだね。じゃあ今日手術しようか』
って急遽手術が決定。
同意書もその場で書いた。
診察室から内診室に直行し、子宮口を広げる処置を受けた。
手術まで2時間くらい。
点滴を受けながら待っていた。
時々、看護師さんが、
『気分はどう?』
と気遣ってくれた。
冷静を装うと思ったけど、時々悲しさが襲ってくる。
『あぁ、もうすぐ赤ちゃんともお別れなんだ』
と考えると涙が止まらなかった。
ハンカチを顔の上にのせた。
手術の時間が近づいてきた為、看護師さんに支えられながら手術室へ。
すぐに始まるかと思ったが、少し時間が早かったのか、手術台に横になったまましばらく待つ。
この時間が余計に悲しみを増幅させた。
そしていろいろなことを思い出していた。
『ここで採卵し、ここで卵ちゃんをお迎えしたんだよね』
まさか同じ場所で赤ちゃんとさよならすることになるなんてね・・・
涙が溢れて止まらなかった・・・
それを側にいた看護師さんがそっと涙を拭ってくれた。
ほどなくして先生が手術室に入り、麻酔が掛けられる。
意識がなくなる直前お腹の赤ちゃんに
『ありがとう・・・』
って心の中で呟いた。
次に目が覚めた時、私のお腹の中にはもう赤ちゃんはいなかった。
なんとも言えない喪失感に襲われた。
術後、ベットで休んでいると、隣では移植を控えた人がいて、培養士さんの説明を受ける声が聞こえた。
『グレードは5BAです』と。
『妊娠率は?』と聞いていた。
2月19日、私も全く同じことを聞いていた。
この日の朝まで、水分すらほとんど受け付けず脱水状態だったのに、術後点滴終了後にしばらくして出てきた冷たいお茶(自分で選択できる、あんなにカフェイン控えていたのにね)を100ccくらい一気に飲んでしまった。
帰宅後の夕食は普通に食べられた。
あんなに酷かった悪阻が、手術後パタッとなくなった。
を強く実感した。
手術後の診察時、診察室でと赤ちゃんと対面した。
これが最初で最後の対面だった。
『この姿、目に焼き付けておこう』
そして、我が子が迷わずお空へ還れることを願った。
本当は赤ちゃんの染色体の検査をしようと思っていたのだけれど、手術が急だった為、検査を受けることはできなかった。
病院からの帰り道、車窓から外を眺めると、桜の花がきれいに咲いていた。
妊娠判定日から今日までの約1ヶ月。
ほとんど外に出ることもなかったし、外が寒いとか暖かいとか感じる余裕もなかった。
少し車の窓を開けると、空気が暖かかった。
『そうか・・・春になったんだね』
季節が冬から春になったことをようやく実感した。
この日の夜、悪阻から解放された私は、久しぶりにゆっくりと眠ることができた。
流産手術後、下肢に酷い浮腫が・・・
その為か、1週間で7㎏体重が増えた。
食欲が回復したのもあるけれど。
我が子を失った悲しさを紛らす為、とくかく食べてしまった・・・からかな。
こうして私の2回目の妊娠生活は終わりました。
ちょっと切なかったけれど、
我が子におっぱいをあげることができて、とっても嬉しかったなぁ・・・
妊娠中の思い出を綴ったこの記事、これで最後となります。
今はとても穏やかな気持ちでいます。
今まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日から、新しい一歩が踏み出せたらと思っています。
きてぃ

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平成28年3月31日
妊娠8週4日
朝起きた時(ほとんど眠れなかったけど)、まだ熱は下がらず、体調は最悪。
こんな私の姿を見て、夫は仕事を休んでくれ、病院に連れて行ってくれることになった。
この日に限って、ネット受け付け番号が『1番』
予約完了後すぐに車に乗り、病院へ向かった。
途中、病院に電話をかけ状態の説明をする。
『熱がある時は、来ていただいても診察できないかもしれません。他に妊婦さんもいるので移ると大変なので』と言われる。
『この熱、かぜじゃないよ。脱水からくる熱だよ…』って思ったけど、細かく説明する元気もなかった。
車を走らせながら途方にくれる。
今日を逃したら、しばらくは病院に行けないと思った。
もうひとりで病院に行ける体力がなかったから・・・
車の中で熱を測ると、37.5℃くらいまで下がっていた。
取り合えず病院に行くことにした。
私が病院の中に入れなくても、夫が先生に相談してくれたらなんとかなると思って。
この日病院に行ったのは、手術の予定を早める日程の相談の為。
病院へ到着し受け付け後、そのまま診察室へ呼ばれた。
手術の日程相談をしに来たことを伝えたところ先生が、
『熱が出ちゃったの。辛そうだね。じゃあ今日手術しようか』
って急遽手術が決定。
同意書もその場で書いた。
診察室から内診室に直行し、子宮口を広げる処置を受けた。
この時のエコ-写真がこれ。
手術まで2時間くらい。
点滴を受けながら待っていた。
時々、看護師さんが、
『気分はどう?』
と気遣ってくれた。
冷静を装うと思ったけど、時々悲しさが襲ってくる。
『あぁ、もうすぐ赤ちゃんともお別れなんだ』
と考えると涙が止まらなかった。
ハンカチを顔の上にのせた。
手術の時間が近づいてきた為、看護師さんに支えられながら手術室へ。
すぐに始まるかと思ったが、少し時間が早かったのか、手術台に横になったまましばらく待つ。
この時間が余計に悲しみを増幅させた。
そしていろいろなことを思い出していた。
『ここで採卵し、ここで卵ちゃんをお迎えしたんだよね』
まさか同じ場所で赤ちゃんとさよならすることになるなんてね・・・
涙が溢れて止まらなかった・・・
それを側にいた看護師さんがそっと涙を拭ってくれた。
ほどなくして先生が手術室に入り、麻酔が掛けられる。
意識がなくなる直前お腹の赤ちゃんに
『ありがとう・・・』
って心の中で呟いた。
次に目が覚めた時、私のお腹の中にはもう赤ちゃんはいなかった。
なんとも言えない喪失感に襲われた。
術後、ベットで休んでいると、隣では移植を控えた人がいて、培養士さんの説明を受ける声が聞こえた。
『グレードは5BAです』と。
『妊娠率は?』と聞いていた。
2月19日、私も全く同じことを聞いていた。
この日の朝まで、水分すらほとんど受け付けず脱水状態だったのに、術後点滴終了後にしばらくして出てきた冷たいお茶(自分で選択できる、あんなにカフェイン控えていたのにね)を100ccくらい一気に飲んでしまった。
帰宅後の夕食は普通に食べられた。
あんなに酷かった悪阻が、手術後パタッとなくなった。
悪阻の消失=妊娠の終結
を強く実感した。
手術後の診察時、診察室でと赤ちゃんと対面した。
これが最初で最後の対面だった。
『この姿、目に焼き付けておこう』
そして、我が子が迷わずお空へ還れることを願った。
本当は赤ちゃんの染色体の検査をしようと思っていたのだけれど、手術が急だった為、検査を受けることはできなかった。
病院からの帰り道、車窓から外を眺めると、桜の花がきれいに咲いていた。
妊娠判定日から今日までの約1ヶ月。
ほとんど外に出ることもなかったし、外が寒いとか暖かいとか感じる余裕もなかった。
少し車の窓を開けると、空気が暖かかった。
『そうか・・・春になったんだね』
季節が冬から春になったことをようやく実感した。
この日の夜、悪阻から解放された私は、久しぶりにゆっくりと眠ることができた。
流産手術後、下肢に酷い浮腫が・・・
その為か、1週間で7㎏体重が増えた。
食欲が回復したのもあるけれど。
我が子を失った悲しさを紛らす為、とくかく食べてしまった・・・からかな。
こうして私の2回目の妊娠生活は終わりました。
流産から13日後の4月13日
授乳する夢を見ました。
ちょっと切なかったけれど、
我が子におっぱいをあげることができて、とっても嬉しかったなぁ・・・
妊娠中の思い出を綴ったこの記事、これで最後となります。
今はとても穏やかな気持ちでいます。
今まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日から、新しい一歩が踏み出せたらと思っています。
きてぃ


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