おはようございます。きてぃです。
平成28年3月29日
妊娠8週2日
この日の朝、目覚める前に、
『エコー画面にピコピコ動く赤ちゃんの姿』
を見るという夢を見た。
奇跡を信じてたんだね。
この日は病院での診察日。
もうこの頃には自力で病院に行くこともできなかった為、夫に車で病院に連れて行ってもらう。
車の中ではシートを倒して横になり、ひたすら耐えてた。
そしてエコ-。
胎嚢は横長になっていた。
妊娠8週でこの大きさ…
絶望的だった…
先生の話を聞きたくなかった。
・・・というよりも聞くのが怖かった。
診察室で夫と、先生の話を聞く。
『赤ちゃん、大きくなってないね…』
って…
そして、
『自然に出てくるのを待ちましょう』
との先生の話に、何か言葉を発すれば、溢れるものを押さえることができなくなりそうだから、ただ頷くことしかできなかった。
自然に出てこなかった時の為、4月16日に手術の予約を入れる。
この日で全ての薬を中止。
今回の移植は、ホルモン補充周期での移植の為、妊娠継続に必要なホルモンを薬で補っていた。(自力ではホルモンを出せない為)
つまり、
となる。
これの意味は非常に重たいもだった。
先生との話の後、看護師さんから手術の説明を受ける。
説明を待っている間、待合室でいろんなことを思い出し、涙を抑えることができなかった。
看護師さんの説明も、体がしんどくて、正直話が耳に入ってこない。
一度崩壊した涙腺は止めることができなかった。
看護師さんがそっとティッシュを差し出してくれた。
説明が終わった後、最後に、
『すみません、点滴をしてもらえませんか…』
と声を振り絞って聞いた。
看護師さんも、状態をわかってくれて、先生の指示をもらい、点滴(1000ml)を行う。
5時間もかかった。
点滴のお陰で体がずいぶん楽になった。
かなりの脱水だったみたい。
看護師さんは、
『毎日、点滴に来てもいいからね』
と優しく言ってくれたけど、こんな状態の中では行けるはずもなかった。
家に帰ってから、夫が食べてた冷やし中華を少しもらった。
ほんの数口だったけど、美味しく食べられた。
本当に久しぶりの固形物だった。
4月16日まで約3週間。
いつ始まるかもわからない流産に、ただただ不安と恐怖に震えていた・・・

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平成28年3月29日
妊娠8週2日
この日の朝、目覚める前に、
『エコー画面にピコピコ動く赤ちゃんの姿』
を見るという夢を見た。
奇跡を信じてたんだね。
この日は病院での診察日。
もうこの頃には自力で病院に行くこともできなかった為、夫に車で病院に連れて行ってもらう。
車の中ではシートを倒して横になり、ひたすら耐えてた。
そしてエコ-。
胎嚢は横長になっていた。
妊娠8週でこの大きさ…
絶望的だった…
先生の話を聞きたくなかった。
・・・というよりも聞くのが怖かった。
診察室で夫と、先生の話を聞く。
『赤ちゃん、大きくなってないね…』って…
そして、
『自然に出てくるのを待ちましょう』との先生の話に、何か言葉を発すれば、溢れるものを押さえることができなくなりそうだから、ただ頷くことしかできなかった。
自然に出てこなかった時の為、4月16日に手術の予約を入れる。
この日で全ての薬を中止。
今回の移植は、ホルモン補充周期での移植の為、妊娠継続に必要なホルモンを薬で補っていた。(自力ではホルモンを出せない為)
つまり、
『薬の中止=妊娠の終了』
となる。
これの意味は非常に重たいもだった。
先生との話の後、看護師さんから手術の説明を受ける。
説明を待っている間、待合室でいろんなことを思い出し、涙を抑えることができなかった。
看護師さんの説明も、体がしんどくて、正直話が耳に入ってこない。
一度崩壊した涙腺は止めることができなかった。
看護師さんがそっとティッシュを差し出してくれた。
説明が終わった後、最後に、
『すみません、点滴をしてもらえませんか…』と声を振り絞って聞いた。
看護師さんも、状態をわかってくれて、先生の指示をもらい、点滴(1000ml)を行う。
5時間もかかった。
点滴のお陰で体がずいぶん楽になった。
かなりの脱水だったみたい。
看護師さんは、
『毎日、点滴に来てもいいからね』と優しく言ってくれたけど、こんな状態の中では行けるはずもなかった。
家に帰ってから、夫が食べてた冷やし中華を少しもらった。
ほんの数口だったけど、美味しく食べられた。
本当に久しぶりの固形物だった。
4月16日まで約3週間。
いつ始まるかもわからない流産に、ただただ不安と恐怖に震えていた・・・

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