こんにちは。きてぃです。
今日の朝、NHKで、流産を特集する番組がやってましたね。
私もブロ友さんからメッセージをもらって慌ててチャンネルを合わせて観ました。
”あの日”のことを思い出しましたね。
あの時は医者に『10人に1人位は流産をします。よくあることです。お母さんのせいではありません』と言われたけど、
『なんで私がその1人にならなきゃいけなかったの
』
『何か私がいけないことした
』
『仕事中、ずっとイライラしていたから
』
『不安が大きくて素直に喜んであげられなかったから
』
『体格のいい利用者の移乗介助をしたのがいけなかったの
』
流産してからしばらくはずっと自分を責め続けた。
流産から1ヶ月。普通に生理がきた。
心はこんなに辛いのに、体が元に戻っていることさえも辛かった。
本当は喜ばしいことなのに・・・
流産した直後も辛かったけど、それから3~4ヶ月してからがもっと辛かった。
同じ時期に妊娠した人のお腹かが大きくなってくる。
見ていられなかった。涙が出てきた・・・
すべてのことを知っている職場の人は普通に接していてくれたけど、それも『腫れ物にさわられている感覚』に陥り辛かった・・・
周りの人は、
『あなたまだ若いんだから次があるわよ』
とか、
『もし仮に生まれたとしても障害があったかもしれないよね。だから流れてくれて良かったんじゃない
』
そんな言葉なんの慰めにもならなかった。
たとえ障害があったとしても、6年かかってやっと授かった命。
何としてでも生まれて欲しかった。
これが私の本音。
赤ちゃんの染色体検査はしていないけど、その後受けた不育症の検査でほぼ異常がなかったから、流産の原因はたぶん赤ちゃんの染色体異常だと思う。
流産して3ヶ月は地獄の日々だった。
よく、
『時間薬』という言葉を聞くけれど、そんなのわからなかった。
もうすぐ2年経つけど、ようやくその意味が少しだけわかる気がしてきた。
心の回復の兆しが見えてきたのは、流産から3ヶ月後にブログを始めたこと。
そこから同じ境遇の方たちと交流し、少しずつ気持ちの整理ができてきた。
テレビで紹介されていた人たちも同じような気持ちだったんだ・・・
”あの日”からもうすぐ2年経つけど、まだまだ辛いな・・・
でも少しずつ前に向かって歩いてるよ。

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今日の朝、NHKで、流産を特集する番組がやってましたね。
私もブロ友さんからメッセージをもらって慌ててチャンネルを合わせて観ました。
”あの日”のことを思い出しましたね。
あの時は医者に『10人に1人位は流産をします。よくあることです。お母さんのせいではありません』と言われたけど、
『なんで私がその1人にならなきゃいけなかったの
』『何か私がいけないことした
』『仕事中、ずっとイライラしていたから
』『不安が大きくて素直に喜んであげられなかったから
』『体格のいい利用者の移乗介助をしたのがいけなかったの
』流産してからしばらくはずっと自分を責め続けた。
流産から1ヶ月。普通に生理がきた。
心はこんなに辛いのに、体が元に戻っていることさえも辛かった。
本当は喜ばしいことなのに・・・
流産した直後も辛かったけど、それから3~4ヶ月してからがもっと辛かった。
同じ時期に妊娠した人のお腹かが大きくなってくる。
見ていられなかった。涙が出てきた・・・
すべてのことを知っている職場の人は普通に接していてくれたけど、それも『腫れ物にさわられている感覚』に陥り辛かった・・・
周りの人は、
『あなたまだ若いんだから次があるわよ』
とか、
『もし仮に生まれたとしても障害があったかもしれないよね。だから流れてくれて良かったんじゃない
』そんな言葉なんの慰めにもならなかった。
たとえ障害があったとしても、6年かかってやっと授かった命。
何としてでも生まれて欲しかった。
これが私の本音。
赤ちゃんの染色体検査はしていないけど、その後受けた不育症の検査でほぼ異常がなかったから、流産の原因はたぶん赤ちゃんの染色体異常だと思う。
流産して3ヶ月は地獄の日々だった。
よく、
『時間薬』という言葉を聞くけれど、そんなのわからなかった。
もうすぐ2年経つけど、ようやくその意味が少しだけわかる気がしてきた。
心の回復の兆しが見えてきたのは、流産から3ヶ月後にブログを始めたこと。
そこから同じ境遇の方たちと交流し、少しずつ気持ちの整理ができてきた。
テレビで紹介されていた人たちも同じような気持ちだったんだ・・・
”あの日”からもうすぐ2年経つけど、まだまだ辛いな・・・
でも少しずつ前に向かって歩いてるよ。
『ママ頑張るからね
』
』
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