2010年2月1日 午前1時49分。
2,926gの女の子誕生。
カンガルーケアで赤ちゃんを胸の上に乗せてもらった。
顔は…サル。
でも、パパに似てるような…。
パパは分娩室の前で赤ちゃんを見せてもらったらしい。
自分で「俺そっくり」って言ってたから間違いない。
勝紀が生まれた時と同じ顔。
勝紀の時は立会いしなかったパパ。
今回は立会いしようか直前まで迷っていた。
最終的に、「止めとく」と。
分娩室から陣痛室に戻ると、
パパは「お疲れ様」と言った後、
「やっぱり行かんで良かった」って。
陣痛室は誰も居ないし、分娩室のやり取りが丸聞こえだったようで、
それを聞いてて、疲れたらしい。
子宮の収縮のため、陣痛室で仰向けのまま4時間。
分娩時間が短い人は子宮の収縮を促すために、持参のニッパーではなく、
産婦人科の硬くて幅の広いベルトで締めるらしく、看護師さんにギューッと締められた。
勝紀の時は、氷をお腹に乗せてニッパーをしてたような…。
最高に眠いけど、寝てはいけない。
ずっと同じ体勢だったので、段々背中が痛くなってきた。
パパはベッドの横のパイプ椅子で寝ようと試みるが、寝れない様子。
勝紀の時はこんなにしんどくなかったなぁと思いながら、
出産から4時間後、やっと自由にしていいと許可がおりた。
まず、お茶をがぶ飲み。
そして、体勢を横にして背中を丸めた。
入院する部屋の希望を聞かれ、「できれば個室で」と伝えると、
「個室は今満床で、他に帝王切開の人が居なければ、今日退院される人の後に入れます」と。
「8時頃までココに居てください。少し休んでも良いですよ。」
と言われたが、この時陣痛室に妊婦さんが1人居たので、
「痛い~」と苦痛の声が聞こえる中、寝れない…。
6時30分頃、看護師さんが来て、「ココじゃ寝れないでしょうし、旦那さん帰られます?」と。
出産前にパパの実家から「勝紀がしくしく泣いてて寝ないので、帰って来れないか?」
とパパにヘルプの電話があったが、
「この産婦人科は、夜はセコムがあって朝7時半まで出られない」と伝えていた。
なので、セコムを解除してもらい、パパはそのまま実家へ帰った。
勝紀は、実家によく慣れていたので、お泊りもできると思っていたけれど、
私が入院してる間、毎晩泣き叫ぶわけでもなく、しくしく泣いていたらしい。
子供ながらに気を遣ってたのかな。
パパが一緒に泊まってるのに、パパではダメみたい。
普段一緒に寝てないからか??
8時前に朝ゴハン。
隣で苦しんでいた妊婦さんは分娩室へ移動し、少し静かになった。
ゴハンも食べ終わり、寝ようかな…とすると、誰かが来る。
さっぱり寝れない。
その後、助産師さんが来て、
「個室の部屋に入れます。退院してから掃除して、それから入れるので、
早くて昼前になりますけど。」と言った後で、
「あれ?1人目もココで産んだ?」と言われ、「ハイ」と答えると、
「見覚えがあるわ。搾乳してたよね?」と。
勝紀が市民病院に入院してたので、冷凍母乳を持っていくために搾乳していた。
私が勝紀を出産したのは2年前だし、産婦人科にはたくさんの人が入院するのに、
覚えててくれると何だか嬉しい。
長々と書きましたが、出産は破水から2時間、陣痛から1時間半の超スピード出産デシタ。
勝紀の時より30分記録更新!
今回もパパが一緒の時で良かった。