東日本大震災
あれから、
2年になる
2年前をふりかえれば
もう一度アメブロの記事をアップします。
今日は2012年4月1日。
ちょうど、一年前。
災害支援ボランティアに初めて参加したときのこと
facebookに投稿したいと思います。
facebook始めたのは昨年の9月なので
ここで再編集してみます。
ここから昨年のブログ記事です。
ブログのコメントしていたら、
突然、3月31日の夜10時頃メールで
ボランティアの募集の知らせがあり、それから
会社お休みもらって行くと決め
準備を始めました。
あれやこれや考えながら
気がついたら、もう午前1時。
4時間ほど睡眠して、資源ごみの収集が今日から再開
されるので、3週間分の資源ごみを
クルマに積んで朝6時に出してから
それから、昨夜作ったお弁当をバックに入れ
長靴やスコップなどもクルマに積んで盛岡へ
盛岡に着いたのは7時45分。
30人ほどの有志が集まっていました。
ワゴン車と一輪車や機材を積んだワンボックスと
マイクロバスの3台のボランティアチーム。
朝8時に出発、盛岡から国道396号で
遠野を経由して、大槌へ。
被災地に着いたのは午前11時過ぎ。
遠野から笛吹峠を越える。
まだ、路面の日陰は凍結している。
山肌は雪が残っていて真っ白。
この峠道は断崖絶壁もある。
長野の白骨の林道のような
道路の下の谷間が見える恐怖。
10年前、初めてこの笛吹峠に来たときを
思い出した。
今もやはり怖い。
それに加えて連日の余震。
余震は震度5も何度もあり、
落石の危険もある峠道。
岩手の道路にはそんな場所
たくさんある。
峠を下り、釜石に入り、大槌町に来て川原に津波の跡が
見えてきた。
高台の住宅だが、津波はここまで
来ている。
大槌の中心部は壊滅状態。
大槌町は4月1日から一般のボランティアの受け入れを
開始ということを、現地に来て知りました。
津波で流されなかったけれど
床上浸水した住宅では、まだ電気が来ていない。
被災者の多くは避難所生活をされている。
この住宅の奥には、瓦礫の山に囲まれた住宅がある。
その現場の写真はプライバシーの観点から
撮影は遠慮させてもらいました。
4人一組のチームで、ボランティアを要望をされた
被災者の自宅を一軒ごと
その要望に合わせて手伝わせてもらいました。
住宅の周囲の瓦礫の撤去や、
浸水した床のヘドロ除去から
浸水して使えなくなった冷蔵庫や
畳を家の外に出す手伝いなどさせてもらいました。
でも、住めるようになるまでには
かなり時間も労力も必要と思わせて頂きました。
一般のボランティアの方のための宿泊施設はありません。
県内の方なら日帰りできるけど、食事やガソリン代など
移動のための経費は自己負担。
電気もまだ復旧していないので
ボランティア活動は午後3時までとなっているので
2時40分に終了し、実施内容やこの後のボランティアされる方への
引き継ぎなどの
支援活動の報告書を大槌社協に提出。
帰り道、大槌町から盛岡に着いたのは
夕方6時過ぎ。
それから、北上市の自宅に着いたのは
夜7時半過ぎ。
シャワーで身体についた土埃を洗い流し
ほっとしたら、もう眠くなってきた。
私は、災害支援のボランティアはこれが初めて。
そんな、私の緊張した長い一日は終わったけど。
被災地は、まだまだ、これから。
復興の計画もこれから。
ホントの試練はこれからと実感しました。
避難所の入り口は掲示板になっていました。
仮設住宅もまだこれから、
大槌町は行方不明者が正確にどれだけいるか
まだ、判っていない。
町役場そのものが津波で壊滅している。
全国から救援がされているのが
クルマのナンバープレートでわかる。
給水車は京都から、大阪ナンバーの
救援車両や警視庁のパトカーまで。
自衛隊は青森の八戸からなどでした。
ニュースの現場を目の前にして
ニュースでは見えない現実も見えてくる。