私の家族の猫のゆうちゃん。
お姉さんのらんちゃんが天国
に行ってしまったから、わたしが居ないと
いつもゆうちゃんにだけなる。
これからゆうちゃん写真載せて
いきます。これからよろしくね。

 自宅の前の道路
 
自宅のつらら
 
自宅の裏から
 
お隣さんの庭
 
さくらホールが見えます
 
北上市役所が見えます
 
この額縁から見えたのが
上段がさくらホールで下段に市役所

この雪だるまは自宅の裏のてんぼう公園
太陽は鉛色の空で弱弱しい
これを街灯に入れてみた
 
樹氷
 
自宅の西側
路面は凍結防止になっている
12月29日の朝
の自宅近くの
風景です



 

らんちゃん

猫のランです。 
らんちゃんの写真

そんなに枚数が無かった

もっともっとたくさん撮影
しておけばよかったと思っても
もう、いない。
ゆうちゃんとらんちゃんは姉妹。
今は
ゆうちゃんだけになってしまった。
この写真はもうかなり前

元気だったころの
らんちゃん
お客さんが来ても
おとなしく
抱かれる
らんちゃん
マリーも今は日本にいない。

みんな思い出だけになってしまうのは寂しい。

もっともっと
たくさん
写真を撮っておけばよかったと今は思う。
いつもそばに居て
いつでも撮れる
と思っていると
いつのまにか時は過ぎ去る
それが自分の生き方だったと思えてくる


時は今
今やらないで
どうする?

らんちゃんから教えてもらったような気がしてくる
まだいい
まだまだ大丈夫

と思っていると
こうなるのか?








 
 
 
 

災害ボランティアに参加して
311の大震災からもうすぐ8か月
私も内陸部の北上市の自宅で被災しました。

内陸部の北上市も震度6弱の激しい揺れで大きな被害が出ました。
ただし。津波の被害がなかったので
電気、水道などの復旧も早く、
内陸部はすぐに普段の生活に戻れました。
でも、津波の被害に遇った沿岸部は
ニュースの報道の映像のように壊滅状態。
また、岩手県全域で、余震も頻発して津波の不安や、
ガソリンが手に入らない状態が続き
何処にも行けない、
道路も寸断され物資が来ない。
部品が入らないから工場は
仕事もできない。
そんな状況のときの
3月31日に災害ボランティアの案内が来て
すぐに行くと決めました。
4月1日、大槌へ(この日から大槌はボランティアの受け入れを開始)
それから三か月は案内もなく、
やっと案内が来て、8月6日陸前高田(気仙地区)へ
9月10日は陸前高田(長部地区)へ
10月8日は陸前高田(気仙地区)へ
10月30日は大槌へ(東京大学の海洋研究施設の近く)
11月20日は陸前高田(脇ノ沢の館、写真の一番上)
12月4日は釜石の箱崎地区の白浜
と、毎回違う現場に行かせてもらいました。
ふりかえってみると
4月はまだ大きな瓦礫がまだまだこれからという状況。
8月に行かせてもらったときは、大きな瓦礫はもうなく
住宅の基礎だけが残った廃墟のような状況。
4月は自衛隊や米軍のTOMODATI作戦の兵士たちが活躍していた。
私たちグループは4月1日は大槌の市営住宅の住民からのボランティアへの要望に応えて
住宅のまわりの瓦礫の撤去や家の中の泥だしや掃除の手伝いをさせてもらいました。
グループの班長というお役をさせてもらい、最後に活動報告書を書くときに
初めての経験なので、これで良かったのか?と反省させてもらえたことは、次の活動のための
貴重な体験でした。
8月は炎天下の中、さんま加工工場から流されてきた腐敗したさんまが散乱した瓦礫の撤去された後、
もう一度ショベルカーで畑の土を掘り起こして、
いろんな瓦礫が現れた現場。
そこの瓦礫の仕分けを、震災前は畑だった場所でやらせてもらいました。
ここまで津波が来た、という地点での作業。
住宅の基礎だけが残った廃墟。
まだまだ多くの行方不明者が見つからないで、もしかしたら
瓦礫の仕分けをしているときに見つかるかもしれない、という状況。
どこの現場も悲惨な思い出が埋まっている。
と感じました。

陸前高田の松原
7万本の松原が一瞬にして消えた。
たった一本だけ残して消えた。
震災前は、松原の前には砂浜があって海水浴で人気があった。
そこにあった砂浜も松林ごと津波で流されて
山の法面まで砂が運ばれている。

巨大津波の歴史の記録をふと思い出す。
青森の日本海側に十三湖がある。
ここは昔、安東氏の海運の基地で、
大きな都市だったらしい。
それが大津波で一瞬にして歴史の舞台から消えたという。
今のタイがシャムと呼ばれたころだろうか?
倭寇と現地で恐れられていた海賊が存在したと歴史に残っている。
歴史は繰り返すというが、
昔の教訓が活かせず、想定外だからとされたのは
残念なことです。

岩手県災害ボランティアセンターが遠野市にもあり
遠野の社会福祉協議会が12月4日に参加したとき
遠野浄化センターに移転していました。
この施設の中に仮設住宅も設置されたようで
今まで体育館の中で共同生活をされていた
県外からのボランティアの方々の環境改善も進んでいるのだろうと
私は感じました。
中には震災直後から継続してボランティアをされている方が
献身的活動をしている。
月に一回しか参加しない私ですが、毎回同じ顔ぶれの県外出身の
ボランティアの隊長さんにお世話になっている。
これはすごいことだと、頭が下がる思いです。
そんな姿を見せられと、また次も頑張ろうという気持ちにさせてもらいます。
今年の私のボランティア活動は終わりましたが、
また、来年も参加させてもらうつもりです。
ボランティアの魅力は体験してみないとわからない。
と、わたしは思います。






社会福祉協議会のホワイトボード
その日の活動計画がこれでわかります。

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陸前高田の現場
道路の左側に大船渡線が在った。
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遠野浄化センター

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岩手県災害ボランティアのワッペン。
右の黄色は4月1日の大槌でのもので
黄色に布ガムテープに
「大槌社協 支援 宮村」
と自分で書いて貼りました。

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