ぴえんしたら木曜から泊まり込みで
お手伝いに来てくれている母。
母はバリキャリで産休のみで3人を育てて、高校卒業後に働き始めた地元の信用金庫を一度も離職せず定年手前まで働き続けた鉄の女。
子どもの頃は周りのお母さんとは違う、
バリバリ働く母が自慢たったし、
寂しい思いもあったが成るべく迷惑をかけない様に
お手伝いも率先して頑張ってたし、
妹の面倒もよく見ていたし、
学校でも優等生で先生とも友達とも仲良く、
特に手のかからない子どもだったと思う。
母にかまってほしい、認めて欲しいと頑張ったけど、小5にあげた母の日のプレゼントを大事にしてくれない様子を感じて…
「この親はどんなに私が求めても振り向いてくれない、それなら私は私が求める生き方をする!」
と母と決別して、
自分の好きな様に生きてきたつもりだった。
でも結局母の望むレールに乗ってるのが嫌で
たまらなかったけど、
心の何処かでは迷惑がかからない様に、
子どもが3人居るし金銭面で迷惑をかけない様に、
自分で出来る事は一人でやるものだと
何とかしてきた様に思う。
色々生きるのしんどくなって投げ出した時も
あったけど…
それで25年生きて初めて親の愛を感じられたり、
自分の偏った考え方も治せたし、
夫と出会って子ども達にも恵まれて、
同じ3人を育てる母となり、
より母の凄さも感じるし、
感謝も感じる日々である。
でもだからと言って何でもOKじゃないし、
同じ家族でも違う部分はあるな、
特に私の家族は結構ドライな家族で、
夫の家族と全然雰囲気が違うんだけど、
私はそれが嫌で今の夫と巡り合ったのだな、
と改めて思った。
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