「なぜ立つのだろう」


次こそ答えを出したい。


「天才」という言葉がある。


生まれつき備わった優れた才能、

人の努力では至らないレベルでの

才能を秘めた人物のことをいうらしい。


要は先天的に優れた能力を

持っている人のことを天才と呼ぶ。


どんな世界にもそう呼ばれる能力を

持つ人間がいる。


スポーツや武術、

歌や踊り、

将棋やゲーム

全てのジャンルでいるだろう。


優れた才能を見たり体験すると、

感動を覚えたりすると共に、

自分もそうなりたいと嫉妬にも近い

感情が湧いてきたりしないだろうか。


少なくとも武術やスポーツにおいて

自分は天性を感じることはなかった。


やってきたのは努力。


人より時間を多く関わればそれなりに。

関わらなくては0であった。


しかし

天才と呼ばれる人の共通項として、

生まれつき備わっているので、

それが何故出来てしまうのかが

分からないという。


要は人に伝えたりする必要があるとき、

自分ができる理由が分からない。


もちろん天賦の才能に努力も加わり、

住む世界が違うようにも感じる。


けれど同じ人である限り、

可能性は誰にでもあると思う。


その可能性を発掘する方法として、

身体のことに関しては立禅がそれ。


後天的に天才を創ることが出来るシステム


なのではないかと最近気がついた。


例えば、

力があるように見えないか細い身体の青年が

とても重いものを平気で

持ち上げたとする。

これを天才と呼ぶのは容易い。


これが元々出来ない人でも、

力を使わず大きな力を出すやり方を

発掘すれば天才が創られたことになる。


站椿は

「後天的に天才を創るシステム。」

とも言えるのではないか。


お、

これは解りやすい表現かも。


何故立つのか?

後天的に天才を創るため。

と言えばしっくりくるような。


感覚的にいえば

自分の身体を通して得たものは

一生なくならない宝となる。


継続すればするほど、

宝の山が増えに増え、

次第に通った道は忘れるが身体には残る。


生まれつき出来れば何故出来るかは

解りにくい。

出来ないことが後天的に出来るように

なるということは、

その過程を理解することが出来る。


人の身体を通して伝えることが出来る。


天賦の才能がないが故の、

出来るまでの過程を伝えられるという

新しく生まれた能力。


そのキッカケを生むシステムが

站椿にはある。


「なぜ立つのか?」


「凡人が天才を超えるため」


これも答えの一つかも知れない。


つづく