あれから… | kitt23さんのブログ

あれから…

1994年5月1日、F1・サンマリノグランプリ
セナは開幕から3戦連続のポールポジションから決勝をスタートし、
1コーナーでも首位をキープしたが、
後方での事故によりセーフティーカーが導入される。
そして再スタートが切られた後の7周目
(現地時間午後2時17分)に超高速・左コーナー「タンブレロ」において、
時速312kmで走行中に突如マシン・コントロールを失い、
そのまま直進してコースアウトし、
コース右脇のコンクリートウォールに激突(激突寸前、時速210km~220kmまで急減速していた)、
セナが駆るマシン・FW16は大破した。

セナは、蘇生処置を施されつつ
ヘリコプターでイタリア・ボローニャ市内のセント・マジョーレ病院に搬送される。
事故後、コース脇に横たわる保温ブランケットに包まれたセナを救急チームが担架に乗せると、
セナが横たわっていた跡には、ヘリコプターの空撮映像からでもハッキリと確認出来るほどの大きな血だまりが残っていた。
セナはセント・マジョーレ病院に緊急搬送されたが、
現地時間午後6時3分には脳死状態に陥り、
事故発生から約4時間後の午後6時40分に死亡した。享年34。

セナの亡骸がイタリアから母国ブラジルに搬送されるに際しては、
ヴァリグ・ブラジル航空の定期便のマクドネル・ダグラスMD-11のファーストクラスの客席が用いられ、
空からはブラジル空軍機が出迎えた。
地上では100万人以上のブラジル国民が沿道に会して、
その亡骸を迎えたといわれる。
墓碑ブラジル政府はセナの死に対して国葬の礼をもってあたり、
サンパウロ市にあるモルンビー墓地に葬られた。
墓碑銘は
「NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS(神の愛より我を分かつものなし)」。
ブラジル政府は、セナの命日に当たる5月1日を交通安全の日と制定。
サンパウロ州政府は、サンパウロ市内からグアルーリョス国際空港を経て
リオデジャネイロ方面へ伸びる道路のひとつで、
かつて「トラバリャドーレス」と呼ばれた州道70号線を、
「アイルトン・セナ高速道路」(Rodovia Ayrton Senna)に
名称変更し、故人を記念した。
その他、リオデジャネイロ市がネルソン・ピケ・サーキットに
アクセスする道路の一つをセナの名に改称するなど、
他のブラジル国内の偉人に並んで、セナの名を冠した道路やサーキットなどが各地で生まれ偲ばれている。

生前セナは死についてこう語っていた
「もし自分が生きるんだったら、
思う存分、密度の濃い生き方をしたい。
僕は密度の濃い人間だから……。
そうじゃないと、人生が台なしになってしまう。
だから、僕はひどいケガをして病院で唸っているのも好きじゃない。
もし、事故で命を失うようなことになるんだったら、
一瞬に終わってほしいね。」

なんとも…。

以前もかいたけれど、
生きてる世界、環境は違ったけど一度会って話をしたかった尊敬する一人です。

kitt23さんのブログ-senna.jpg