なじんだリンク再開で、水を得た魚のようにスケートしまくるゆづが目に浮かぶーーー!

というわけで、最終回。

アイスリンク仙台再開後のお話。

 

●しーちゃん アイリン仙台再開のインタビュー (2007年4月ごろ?)

模範演技をする羽生結弦君、中学1年生。

<7’00”頃>

男性アナウンサー

「ゆづるくんっつてね、すごく、あの、将来性、あの、期待される選手だから、我々も見守っていきたいと思いますねー」

はいはい、そーですよ、そーですよ!

その通りにゆづの快進撃がここから始まる。

 

↓そ、し、て、

15歳で2010年世界ジュニア優勝!素晴らしい!

 

 

ゆづの思いはこのころから変わっていない。

15歳のインタビュー

●11歳から17歳までのダイジェスト (シューイチ)(YKn7d3BfHfYさん)

<2’50”あたり>

15歳ゆづる少年インタ「荒川静香さんがオリンピックで金メダルをとって、アイスリンク仙台が復活して、僕たちがスケート出来る環境がやっとできたという感じだったんですけど、僕もオリンピックに出て金メダルをとって、こういう施設を一つでも増やせるようにしていきたいな、と思います。」(2010年9月)

 

。。。。。

●修造コラム 報道ステーション 羽生結弦選手~16歳の4回転ジャンパー (2011年11月 9日)

 

羽生選手が、見据えている未来、夢は、オリンピックで金メダルをとること。

しかも、金メダルはゴールではなくて、そこからがスタートだというから、すごい16歳です。

金メダルが始まりということは、その続き何なのか。

それは、10年後になっても震災の傷はきっと癒えていない。

だからこそ、自分が滑ることで、支援していきたいんだそうです。

10年後の目標、そして自分の考えもしっかりも持っていて、自立している羽生選手。

とても16歳には思えませんでしたね。

これからが本当に楽しみな選手の登場です!

 

ゆづはぶれない、何年たっても。 まったくぶれてない。

 

金メダルには大きな大きな威力があると思い知った幼い日。

金メダルがstart。

 

2014年、「何もできていない」と記者会見で言った金メダリストは4年をかけて、金メダリストしかできない沢山のことを被災地とホームリンクに行ってきた。 

 

地道に、

着実に、

被災地のために、

自分ができることをできる限りやってきた。

 

羽生結弦君、

ほんとに、ほんとに、ありがとうございます!

そんなこと、しなくていい、自分のために滑りな、と偉そうに思った自分が恥ずかしい。

 

。。。。。

昨年のFaoi新潟の楽日で語った 「オリンピック金メダルより嬉しい」 という言葉。

もはやソチはゆづの過去の一部でしかないからこそ出た言葉だろう、と、過去記事「その1」で書いた。

 

長い地球の歴史の中で、ジュラ紀やカンブリア紀があるように、ゆづの人生の中では、栄光の金メダルであっても、もはや「ソチ紀」という地層にすぎないのだ!


(参考:地球の歴史)

 

今シーズンに限っては、ゆづはルーキーだ。

実績をほとんど持たず、ぶっつけ本番でオリンピックに臨む挑戦者だ。

 

純度100%のチャレンジャー。

京都五条大橋の上に飛び乗って横笛を吹く牛若丸。 巨大な権力、平家に立ち向かう正体不明の謎の超大型新人。

 

これは、ある意味、ゆづの希望が叶ったシチュエーション、とも言えなくはない。

きみは強い。

 

大きな、大きな壁に立ち向かっていく君こそ、最強の羽生結弦なのだから!

 

Go YUZU Go!

Fly High YUZU!