リンク閉鎖当時の仙台を想像してみよう。

 

仙台市議の花木さんのブログに、当時の行政の状況が載っています。下記①~③まで花木さんのブログを時系列で何件か紹介します。花木さん、快く転載を承諾くださり、ありがとうございます。

当時の仙台のリンク閉鎖への空気感がよくわかります。

 

仙台は、日本のフィギュアスケート発祥の地(2004.10.17)

ところが、このスケートリンクが12月で閉鎖になると発表され、選手や彼らに続く子どもたちが途方にくれています。”コナミスポーツ泉・スケートリンクを考える会”がつくられ、「リンクの継続、または代替施設」の要望を県や市にも陳情しておられます。

 →この記事のコメントに署名活動をしている”まみなみ”さんという方が貴重な証言をされています。↓そのコメント全文

[宮城スケート競技を考える会]というHPで活動内容の報告や署名活動を行っています。
フィギュアだけでなく、アイスホッケー、スピード、仙台ではおなじみの各学校でのスケート教室そしてアイススケートを楽しむ一般の方々にも深刻な影響を及ぼしています。

まずはシーズン途中という配慮のない期日設定について、早急に意見をまとめて活動していければと思います。

今後とも宜しくお願いします。

投稿: まみなみ | 2004/11/19 12:59

 →署名活動は「宮城スケート競技を考える会」という組織が中心となっていたんだね。

 

仙台は、日本のフィギュアスケート発祥の地-2(2004.10.14)

残念!スケートリンク閉鎖(2004.12.26)

スケートに情熱を持って取り組んでいる子どもたちや、市民の「リンク存続」を求める運動があり、市民からも17000もの署名が集まり、仙台市も「支援したい」と表明するという、誰もが望んでいる「リンク存続」がどうして実現できないのか?フィギュアスケート発祥の地としての仙台の地域性、オリンピック選手を数多く輩出してきた指導者らの実績もあるのに・・・。

市民からの17000件の署名…

大人たちは真剣だ。

街ゆく人たちもみんな協力的で温かい。

こんなにたくさんの署名が集まってる。

 

「みんな自分たちのために一生懸命やってくれてるから、みんなの願いが叶わないなんておかしい!!!」

 

自分の周りの真剣な大人たちを見上げ、そう思ったにちがいない。

 

。。。でも、スケートリンクは無情にも閉鎖が決定。

仙台市議会でもリンク閉鎖が取り上げられている。↓これがその議事録。

仙台市議会議事録(2004/12/14) 鎌田城行議員

 泉区にあります民間のスケートリンクが今月中に閉鎖となる予定でありますが、これまで市は存続に向けて支援の手を差し伸べようと鋭意努力されてこられましたが、折り合いがつかず閉鎖やむなしという状況に至りました。これについては、将来の夢を描きながら日夜練習にいそしんできた子供たちが、お母さん方やお父さん方と一緒になって存続を求める署名活動等を展開するなど、涙ぐましいものがあり、何かしらの応援ができないものかと感じてきたところであります。

 

閉鎖が決まったときは、結弦少年はどんな気持ちだったろう?

小さな少年の心は、どれほど絶望しただろう?

 

ゆづは、2004年10月の全日本ノービスBで優勝し、閉鎖直前、フィンランドのサンタクロースフィギュアスケート競技会(2004年12月10日〜12日)ノービスBで優勝している。

↑キャプぶれぶれ(汗)

ノービス時代の情報はフィギュアスケート動画&ライブ速報さんよりお借りしました。

 

フィンランドから帰国して迎えたスケートリンク閉鎖のその日はどう過ごしていたのだろうか。。。

 

。。。。。

 

もうひとつ、当時の貴重な記事をご紹介。

リンク閉鎖の直前のレポです。

↓これ、当時の閉鎖のポスター。この日の事を書き残してくれている方がいるなんて!キセキだわ‼️載せることを快く承諾してくださったブログ主様に感謝でいっぱい。。。

【お願い】こちらのコナミスポーツ泉の画像はブログ主様のご厚意により掲載させていただいております。転載は絶対にしないでください。もしご希望の方がおられましたらブログ主様へ必ずご確認をお願いいたします。

 

気まぐれ仙台遠征(www.skate-com.com様)

1ヶ月前、関西遠征に行ったばかりなのに、
今度は仙台である。
泉区にあるスケート場「コナミスポーツクラブ泉」が、
2004/12/25 で閉鎖になる
、という情報が入ってきたからだ。
その見納めとして今回の遠征を決めたのだった。

 

中略

 

午後5時、帰り支度。
バッグを肩にかけ、外に出る前にもう一度リンク全体を眺めていると、
宮城スケート競技を考える会」の管理人Yさんが声をかけてくれた。
やっと見つけてくれた人がいた。ちょっとホッとする。

 

中略

しばらく見ていると、
リンクサイドから宮城スケート競技を...」の管理人Jさんが声をかけてくれた。
先生方ご不在の中での閉鎖のこと、今後の練習場所のこと、
通いが遠くなるジュニア選手たちのこと
、仙台中心部のイルミネーションのことなど、
あれこれと1時間近くも話した。

 →署名活動をしていた「宮城スケート競技を守る会」の方々は、やはり、このリンクの関係者なのかな。 

 

 「今後の練習場所のこと、通いが遠くなるジュニア選手たちのこと、」

 

 

都築コーチや長久保コーチなど、優れた指導者がこのリンクを拠点にし、仙台の大学生になった鈴木あっこちゃん、幼い本郷理華ちゃんなど、有望な若手選手が所属。また、全国各地からトップスケーター達がここのコーチ陣を慕って短期の合宿でやってくる。まさに日本スケート界で眩い輝きを放つべき存在である、この仙台のリンク。

 

中でも、全国大会で優勝するなど目をみはる実績をあげ、当時すでに「仙台の天才スケート少年」として有名だった結弦少年。

 

仙台のフィギュア関係者の皆さんの念頭には、結弦少年の事は常にあったはずで、

 

「リンクを失ったらどうなるか」 

 

という危機感はものすごくあったのではないのかな(私の勝手な推察だけど)。

 

そして、結弦少年は、幼いながらも、大人たちの思いを敏感に感じとっていたのではないかな(私の勝手な推測だけど)。

リンク存続活動の現場、現場で、具体的に名前を挙げられて賛同を募った場面もあったかもしれない(私の勝手な推測だけど)。

 

ホームリンクを失う悲しさ。

 

そして、自分たちのために多くの人が頑張ってくれたのに報われなかったという不条理。

 

やり切れなさ。


自分自身が署名活動の現場に立ち、さらに自分の名前が出てくることもあったのであれば、みんなのための戦いのはずなのに、

 

自分が負けた気がする。

 

そう感じたかもしれない。

負けず嫌いの少年は悔しかっただろうな。

 

幼い心が受け止めるには大きすぎる非情な現実。

 

小さいころから有名で、注目も期待も大きかったゆづ。

それゆえに背負わなくていいことを、いつの間にか背負ってるってこと、たくさんあったんだろうな。。。

 

今もそうだもんね。

一ファンとして、一緒に背負って、一緒に頑張りたいって思うよ。

 

その3に続く。。。次はしーちゃんのトリノ金メダルについて。結弦少年の受けた五輪インパクト。そこに迫れたらとおもいます。

 

ブログ書くってエネルギー要るわー汗

今は精魂尽き果て状態(笑)

充電完了までしばらくお待ちください。