2021年3月:
子宮頸がんステージ4Aの告知
扁平上皮がん
膣、膀胱壁に浸潤
骨盤リンパ節に転移
2021年4〜5月:
化学療法(シスプラチン)
放射線療法(小線源療法 含む)
2021年4〜2023年3月:
治験(免疫療法・キイトルーダ or プラセボ)
2021年8月:
寛解
現在、経過観察中
2021年の備忘録
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前回からの続きです
いつの間にか眠りに落ちていて、
目が覚めたのは、5時前でした。
昨夜のドラッグ患者の後も、何度か救急搬送があったり、
うっすらとついたままの廊下の電気が気になったりして、
ぐっすりとは眠れませんでした。
目覚めて早々気になるのは、やっぱり、トイレのこと。
昨夜、最後に行ったのは、待合室でだったから、確か21時半くらい。
もうそろそろ限界です。
幸い、この時間に廊下を通る人はいなさそう。
私の病室の真ん前にある備品棚にも誰もいません。
これは絶好のチャンス。
いつ誰が来るかもしれないので、さっさとミッションを済まさねばと、いざ簡易トイレへ。
この簡易トイレは、バケツに蓋なし便器を取り付けただけの超シンプルなもの。
ゴミ箱のように、バケツ部分には黒いビニール袋がセットしてあります。
一応オシッコだけで耐える予定でしたが、なんせゲーリーなんで、後ろからも一緒にシャーと出てきちゃいました。
(尾籠な話ですみません。)
「あ、しまった」
それでも、思いのままに全部スッキリ出し切れておらず、残便感ありありでした。
ああ。 気の重い一日の始まりです。
今日は何するんだろう?
今晩も泊まるのかな?
トイレ問題は、とにかく気合いと根性で乗り切るしかない。
きっと大丈夫だ。何とかなるはず。
どんな状況でも、時間は自然に過ぎていくのだから。
と、自分を励ましました。
スマホゲームしたり、
キンドル読んだりしながら、
だらだら過ごしていると、
どんよりムードの私とは裏腹に、颯爽と看護師さん登場。
毎度のルーティンで、体温、血圧、心拍数(酸素濃度)を測定。
昨夜の解熱鎮痛剤が効いたのか、熱は37°C台前半。
微熱程度まで下がっていました。
その他の測定結果も、すべて良好。
ひどい倦怠感もなくなり、すっかり元気。
いつも通りの体調に戻りました。
看護師さんとすれ違いで、今度は朝食が運ばれてきました。
でも、思うところあって、ほとんど口にしませんでした。
(ついでに言うと、数時間後の昼食も同じく手をつけず。)
この時間になると、周りも段々と活気づいてきました。
私の病室前の、例の備品棚では、皆さん賑やかにおしゃべりしながら、おサボり中。
朝食の時間が終わり、しばらくして、
今度は、肺のレントゲン検査をすることに。
キャスター外して、私は寝たままでベッドで運ばれていきます。
お世話係は20代半ばくらいの女性。
あちこち曲がって、大きい自動ドアを何回か通って、レントゲン室に着きました。
病室からちょっと距離がありました。
技師さんの指示に従い、手際よく検査は進み、呆気なく終了。
また、来た道を帰ります。
病室を出てからずっと余計な口を利かなかったお世話係の女性、
戻る途中、ベッドを押しながら話しかけてきました。
「もしかして日本人の方ですか?」
何でも、数年前、日本人女性とルームシェアしていたとか。
その女性と私の苗字が似ているそうで、きっと日本人だろうと思った、と。
とても楽しい思い出だったらしく、
病室に戻ってからも居座り続けて、
一緒にスシ巻いたとか、クラブに二人でよく出かけたとか、ホームパーティーもやったとか、
彼女にオトコができて同棲することになったからルームシェア解消したとか、
色々と話してくれました。
どんどん興に乗ってきた彼女、
「ありがと」「こんにちは」「さよなら」「とーふ」「のり」と、知っている日本語を次々に挙げていきます。
私は、「すごい、すごい」と、社交辞令的 合いの手を。
人懐っこく、相当な話好きのようで、もうずーっと話し続けていて。。。
いい加減、そろそろ出て行ってくれないかなぁと思っていたら(笑)、
タイミング良く、"さっさと帰って来い" と、同僚が 呼びに来てくれました。
彼女は、日本語で「サヨナラー」と言いながら、元気に退場。
嵐が去ってホッとしたものの、話し相手がいなくなってしまい、ちょっぴり退屈。
特にすることもなく、手持ち無沙汰にスマホをいじり始めました。
初めましてのご挨拶