2021年3月:

子宮頸がんステージ4Aの告知

扁平上皮がん

膣、膀胱壁に浸潤

骨盤リンパ節に転移

 

2021年4〜5月:

化学療法(シスプラチン)

放射線療法(小線源療法 含む)

 

2021年4〜2023年3月:

治験(免疫療法・キイトルーダ or プラセボ)

 

2021年8月:

寛解 チョキ

 

現在、経過観察中

 

下矢印 2021年の備忘録 下矢印

 

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次に、次男に話しました。

「婦人科系のがんが見つかって、近いうちに治療を始めることになったんだよね。」

と、長男の時と同じように。


話し終わると、涙を堪えるように、一瞬顔をゆがめ、

 

「僕がお母さんのこと大好きなの、知ってるよね?」

 

と。


わ〜ん、どうしよう。。。
また、泣いちゃいそう。

 

 

長男と違い、次男は、多くを訊いてはきませんでした。

 

でも、私の若い頃と、言動や行動がそっくりな次男。

 

彼の気持ちは、手に取るようにわかる気がしました。

 

彼なりの精一杯の思いを表現してくれたのだと思います。
 


今まで意識していなかったけれど、


私って、なんて愛情に包まれていたのだろう。
 

夫や子ども達に、がんの話をした時に、しみじみと感じました。

 


と、同時に、、、

 

夫に伝えた時同様、子ども達にも、「本当に本当にごめん」という気持ちでいっぱいになりました。


本来ならば、面白おかしく過ごせる、無敵な20代前半。


そんな時に、こんな心配事を与える母親で、本当にごめんなさい。


私なりに沢山の愛情を注いで、頑張って子育てをして来たつもりではいます。

でも、至らないことは、それこそ山のようにあったでしょう。
 

 

私なんかが母親でなければ、子ども達は、もっと幸せだったのではないか、と、卑屈に考えてしまうことは、何度も何度もありました。

私が現地人母だったら、彼らの道を より拡げられたのではないか、と、申し訳なさや罪悪感、劣等感を、ずっとずっと持ち続けていました。



どんな最期になるかわからないけれど、

 

がんを患った母が、人生とどう向き合い、生き抜いたか、この先の生き様を見せるのが、私の子育ての総仕上げ。

 

たとえ それが、泣き叫び苦しむ姿でも、しっかりと見届けてほしい。

 

でも、望むべくは、、、


" ダメダメなお母さんだったけど、お気楽によく笑っていたな "、と、思い出してくれるような姿を残してあげたい。

 

 

子ども達にがんを告げた後、そんなことを考えながら、自分の心を奮い立たせました。