先月末、三月三十日の土曜日、

無事、

ドラマティックシアター『ロミオとジュリエット』が

終演しました!!(はくしゅー👏)

 

これで無事、私も大学を本当に卒業!!野に放たれたわけですが、、

シェークスピアと、ロミジュリと、そしてロレンスと真剣に向き合った二カ月ちょいで、感じたこと、調べたこと、思ったことを書き残しておきたいなと思います。

 

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私の演じた修道士ロレンスという役は、一言でいえば人格者。

ヴェローナ中から尊敬され、ゆりかごから墓場まで、何かあると人は彼の知恵を頼りに教会に赴きます。

ハリー・ポッターでいうならダンブルドア校長。(眠り薬って実は生ける屍の水薬なのかも)

ドラえもんでいうならドラえもん。(ロミオはのび太君ですね。言わずもがな。)

 

 

でも、この人実は矛盾ばっかり。

ぶっちゃけ、この悲劇は全部こいつの所為!!…かもしれない。

 

 

私が一番それを感じたのが、ロレンスの死生観の矛盾でした。

今回は、それについての覚書にお付き合いください。

 

 

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彼は記念すべき初登場シーンで、

葬る墓(母なる大地)から自然が生まれる

つまらぬものでもこの世にあれば この世に何か善をなす

と、生と死は表裏一体、生きてるだけで丸儲け(!?)とのたまいます。

 

さらに、

ロレンスが渡した仮死薬を飲んで眠ったジュリエットを見て、娘が死んだと取り乱すキャピュレット(ジュリ江パパ)に対し、

”娘さんは天に昇ってより幸福となったのだから、無様に哀しむのは筋違いだ”

と叱る。

(ぶっちゃけロレンスがキャピュレットに当たり強いのは私怨もあると思います。影薄め幸薄めなモンタ家に比べ、キャピュ家はあれこれぶいぶい言わせてそうだし。)

 

なのに、ここまで偉そうに言っときながら、最終幕のロレンスは、ひとりで納骨堂に行くことを極度に怖がり、取り乱し、あろうことか、物音におびえて、目を覚ましたジュリエットをひとり残して納骨堂を飛び出してしまいます。。。

(これは決定的な間違いだと言うしかありません。ジュリエットをひとりにしたために彼女は自害してしまいます…。)

 

 

いや、

あかんやろ!!!お前ほんとに聖職者か!!!!???

 

と、一通り(心の中で)ロレンス(と書いてじじいと読む)を罵った後、逆になんでこんなに心変わりするのかと不思議になってきますよね!!はい、きましたね!!

 

 

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その答えの一つは、シェークスピアがロミジュリを書いた当時の時代背景に見出すことができます。

 

16世紀、ロンドンはペストに慄きました。

 

当時都市化が進んでいたロンドンは人が溢れ、衛生状態も悪くなり、16世紀後半から17世紀前半にかけて、1564年、1593年、1603年、1624年とペストに襲われました。

犠牲者は数万人にのぼり、街には絶え間なく弔いの鐘が響き、通りは死体で溢れていたとか。

 

シェークスピアが『ロミオとジュリエット』を執筆したのが1595年前後ですから、まさに、このペストの時代真っただ中にこの戯曲が生まれたことになります。

 

当時の人々は、ペストの流行を遊興にふける都市の人々への天罰とみなし、娯楽の象徴である演劇も迫害され、劇場は郊外へ追いやられました。

 

人々は厄除けのローズマリーの葉を耳や鼻に詰め込んだり、血を抜いたりしてこの天の所業に対抗しようとしましたが、当然効果はありませんでした。

 

(ジュリエットが薬で眠ったとき、ローズマリーを亡骸に飾るト書きがあるのもそのためだとおもわれます。戯曲の中では本当に耳や鼻にローズマリーを詰め込まれていなくてよかった…)

 

また、患者を出した家はバリケードで囲われ、外から見て分かるように壁に赤いペンキが塗られました。

 

戯曲にも、ジョン修道士がロミオに手紙を届けられなかった弁明をする台詞の中にこの描写が見受けられます。

 

戸を封鎖され、閉じ込められてしまい。マントヴァへ急ぐことができなかったのです。

 

つまり、

ロレンスは死を怖がっていたのではなく、天の裁きを怖がっていた

と推測することができるのです。

 

 

☝ローマ、サンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ教会の納骨堂

 

☝カルチェドニオ・レイナ『愛と死』(Calcedonio Reina, Amore e Morte, 1881)

 

でも確かにこんなとこに夜一人で墓暴きに行くのは嫌だな…!

 

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じゃあ、まぁ、確かに天の裁きも納骨堂も怖いとして、

なんでシェークスピアはあんなにわざとらしくロレンスが取り乱したところを描いたのか

 

別に聖人君主のままでもいいじゃんね?

(ハリポタだって最後の方めっちゃダンブルドア叩かれてたし)

 

 

私はシェークスピアが人の弱い部分を描こうとしたからかなぁと思います。

どんなに学のある立派な人でも人は人

同時にシェークスピアはそういう弱さを愛してるなとも感じます。

(随所にこの時代らしく人文主義的だし四気質の影響受けてるなって思います。)

 

ロレンスって意外と感情的(偏屈ともいう?)で、パリスに対して(割とわかりやすく)鬱陶しがったり、最後の弁明の場面でキャピュレットと夫人に娘が死んだのはお前たちの所為だと詰め寄ったり(いやいや、それは責任転嫁や)…

実際このじじい、めんどくさそう。

 

シェークスピアの人の描き方って、シニカルでアヴァンギャルドでどこか斜に構えた印象がありますが、完璧な人間などいないというメッセージを感じます。

 

そういう人間の陰と陽ひっくるめた魅力もまた、シェークスピアの愛すべき要素、時代を越えて愛され続ける要素なんではないでしょうか。