昼寝』をしようと、確かに彼女はそう言った。
しかし、その言葉の通りになるとは思ってもみなかった。シンは二人の大きなベッドでぐっすりと眠り込んでいるチェギョンの愛らしい顔を上から見下ろした。

二人でベッドに潜り込み、妻の耳元でいつものように甘く囁きながら、1枚ずつその衣を脱がせる楽しみを味わっていたら、チェギョンの息が上がるどころか、深く胸が上下してることに気づいた。
「まさか…?」
妻の顔を見ると、小さく口をあけてスヤスヤと眠っているではないか。

今日の仕事は彼女にとって、とても緊張を強いられたのだろう。ひたむきに自分の役割を果たそうと努力する彼女。「だって私はシンの妻ですから」と、頬を染めて答えてくれる妻がいない世界など、考えられない。ほんの数か月で彼女は自分の心の一番大事な場所に鎮座していた。
その愛しい妻が仕事で疲れ切っているのだから、自分は宙ぶらりんの欲望を抱えたままベッドに肘をついて横向きに寝ころぶ羽目になっても、仕方がない。
シンはチェギョンの長い髪を掴み、香りを楽しんだ。


妻のことを『姉に比べて庶民的で親しみやすい』と書き立てたメディアは、今頃その記事を後悔していることだろう。
ヒョリンが美人の誉れ高かったのは事実だが、前妃は冷たい印象を与える類の美女だった。普通は笑顔になるとその冷たさが消えると言うのに、ヒョリンに関してはより鋭利になると言う珍しいタイプだった。


自分はどうしてチェギョンのことが目に入らなかったのだろう。
ヒョリンの陰に隠れるようにもじもじとした印象だった少女が、いつの間にか自分にとってこの世で一番大切な存在になっている。
「もっと早く気付くべきだったな」
眩し気に目を細め妻を見つめると、額に掛かる前髪を横によけてやりシンは呟いた。



++++


「ヒョリン、何か僕に用があるのか?」
兄の婚約者であるヒョリンは人目を惹きつける美人だ。
兄たちは10代の時から婚約者だった。二人は誰から見ても美男美女のお似合いの“王太子カップル”だった。

「あら、用がなきゃ、シンを呼んではダメってこと?」
鋭い非難の視線を向けられシンは一瞬ひるんだ。ヒョリンのこうした目つきは時に、ひどく傲慢で下品であると心のどこかで感じているのに、自分は彼女の傍にいたいと思ってしまう。―――兄の婚約者なのに。

「ねぇ…」
お付きの女官たちをやや強引に部屋から退出させたヒョリンが、彼にピッタリと近づき、綺麗にネイルを施した長い爪で顎を撫でてきた。
「ヒョリン。ダメだ」
「どうして?」
妖艶な笑みを見せ首を傾げている彼女は、シンの言葉が単なる口先だけだと分かっているようだった。
「ダメじゃないでしょ?…そうよね?」
細い腕がシンの首に縄のように回り自分へと引きつけ、貪るように口づけてきた。まるで魔女のように自分を暗闇へ引き連れて行くヒョリン。
頭の片隅で警戒音が鳴り響いているというのに、こうしてまた、彼女の言いなりになっていく―――



++++




「シン、シン?」
誰かに肩を揺り動かされ、シンはいきなり目を開けた。
そこには、薄茶色の瞳が自分を心配そうに見下ろしている。
「―――チェギョン」
手を伸ばし、妻の頭を汗ばんだ胸に抱き寄せた。チェギョンの香りを胸に吸い込むたびに、見たくもなかった夢が拭い去ったように消えて行った。
「チェギョン」
素早く体を反転させて、妻を組み敷いた。自分の真下にいる華奢な彼女が、大きな目を見開きじっと見つめ返し、それから長い睫毛をはためかせにっこりと笑った。
「チェギョン…愛してる」
体の底から湧き出る想いを強く短く掃き出すと、シンは妻に熱く情熱的にキスをして、二人でベッドの波間に漂うことに専念した――――



夫の執拗な愛撫に、思考はグルグルと回転していき、そして消え去った。
チェギョンは浅い息遣いと甘い掠れた声を上げながら、大きな体に侵入され支配されてしまう。決して優しいとは言えない行為だと言うのに、いつになく彼が自分を必要としているような気がして、彼女は彼の自由にさせることにした。
大きな夫がとても小さな存在のような気がして、シンに組み敷かれながら、彼を護っているような不思議な気分。

「シン…」
両手の指を絡め合い、マットレスに押し付けられた指をギュッと握る。
「チェギョン」
自分の首筋に顔を埋めている夫の耳たぶを舌でなぞり、
「愛してるの」
チェギョンは囁いた。


妻の言葉が天からの授かりもののように耳に響く。
突然、二人の世界が真っ白になり、二人だけになった。

―――チェギョンは自分の全てを受け入てくれる。

「チェギョン―――」
力強く妻を突き上げ、二人で高みへと昇りつめ…二人で解き放たれた。







「ごめん」
シンは自分の体の上に乗せたチェギョンに、恥ずかしそうに声を掛けた。胸に顔を埋めている妻の口元が少し上がったような気配がして、彼女が微笑んだことが分かる。
「どうして謝るの?」
小さな声が聞こえる。
「優しさの欠片もなかっただろ…?」
まるで本能に突き動かされるようにチェギョンを抱いてしまった。これまで妻を抱く時は、己を抑えるように気を付けてきた―――気を付けてはいたが、ほとんど、ほぼ毎回それは無駄な努力だったが。
それでも最初から最後まで、今のように我を忘れてしまったことはない。

「シンは満足できなかったの?」
彼女が静かに言った。
「まさか!そんなわけない」
二人がシンクロしたように昇りつめたのだ。満足できなかったか?―――あり得ない。
「じゃあ、そんな風に謝る必要はないわ」
チェギョンが顔を上げ、少しずつ這い上がってきた。

上気したピンクの頬が、一層赤みを増し
「だって私も“満足”できたから」
ゆっくりとスローモーションのように口の端が上がり、眉と目は優雅なカーブを描く。そして彼の顔に妻の可憐な顔が近づいてきた。



****



「こういうのって良くない気がするの」
「ふぅん?」
シンの体にぴったりとフィットする大きなソファに二人で座り―――と言っても、チェギョンは夫の膝の上に横抱きされていたが―――おずおずと彼女は言った。
そっと夫の顔を長い睫毛の下から盗み見ると、彼の方は全く悪びれる様子もなく、むしろ『大層気に入っている』という顔をしていた。

「夕食をこんな風に、寝室でとるのも初めてだし…」
その先を言いにくそうにしてるチェギョンに、シンはあきらかに面白がりながら、
「『こんな風』とはどんな風かな?それから、まだ続きがあるのだろうか?」
至極真面目な顔をして尋ねてきた。
「こ、こんな姿勢は…た、食べにくいと思わない?」
彼女は視線を動かして、夫に訴えかけた。
「思わないね」
「シン!」
「チェギョン!」
彼は楽しそうに声を上げて笑い出すと、長い指でチェギョンの頬をかすめて行く。それだけの仕草で体中が熱くなっていることを、彼は知らないだろう。いや、知っているのかもしれない。思わせぶりに彼の瞳が輝いたから。
「たまにはいいだろう?世間の夫婦のようにしよう」
素早く重ねられた唇は、強く押しあてられ彼女に甘い刻印を残していった。

 

 
 
 
「よ、世の中の夫婦がみんなこんなことをしてるとは、思わないわ」

拗ねたような顔をしてチェギョンは夫を横目で睨みつけたが、彼女は彼の膝の上から降りようとはしなかった。降りようとすれば、そうすることなど簡単だと言うのに。
「でも、きっと誰もいないときは、こうしてるはずさ」

―――だってそうだろ?

「チェギョンを一瞬でも手放したくないからね」
シンの言葉に、チェギョンが息をする事さえ忘れたかのように動きを止め、じっと彼を見つめた。
「私…」
「僕にはチェギョンが全てだ」
シンが真剣な顔でそう言った。