ドストエフスキーは、

《貨幣は鋳造された自由である》

と書いた。



心の底、腹の底からその通りであると思う。

カネ、銭を遣うとき我々はなにものからか解放されている。

なぜかと言うとカネを稼ぐときは我々は、確実になにものかに縛られているからで、カネを稼いでいると自らのなかに鬱が蓄積してくる。その鬱を散じるために我々はカネを遣うのである。
これを極度にわかりやすく言うと、カネを稼ぐのは辛く苦しく、カネを遣うのは楽しくて気色がよい、ということである。

あっぱれである。カネを毎日遣わずにおれない、カネをひとつき遣わずに生活をするのは不可能である、かくいう私も胸をはってカネを遣ってきたであろう。

それはそうと、私にはお付き合いをしてそろそろ10ヵ月近くになる恋人がいる。

つまりは、その恋人のはじめての誕生日をもうすぐむかえるのである。

ナニを買おう。

私は悩んだ。

ナニを買おう。

久しぶりに悩んだ。

ナニを買おう。

今まで何のために買い物をしてきたかを問うた。

友人にも問うた。

初々しいことをやってるなと自分でも恐れおののいてしまう。







えてして私は、私以外の人のことは分からない。

級友であるがごとく、年に数回会ったり、季節の変わり目に電波を通じて介したり、毎週共にスポーツで汗を流したり、俗に言う異性とデートなることを交わしたり、仕事という建前で美辞麗句を並べたり、







えてして私は、私以外の人のことは分からない。

つまりは、恋人なる人のことは分からないのだ。

私は男だ。

男だから女のことが分からないとはわけが違う。

モノとは何ぞや。

モノを他人に贈るとは、いったいなんたることだ。

モノの意義とは。

モノのスタンダードは。







女性誌『oggi』なる雑誌を近所のTSUTAYAで買いました。

GINZAやシュプール、VOGUEを買うのは恥ずかしくないのになぜ『oggi』はこうも人目を気にしてしまうのか。

学校帰りの女子高生が女性誌の付近に数名たむろしていたので、私はレンタルコーナーで時間をもて余しました。

oggiを買った理由は、我が研鑽のためです。

現代社会の多岐にわたるスタイルを熟知した上で、いったいどんなモノが美しい・カワイイと言えるもので恋人にナニがフィットするのであるか。






モノをあげて喜んでもらう

モノを惰性でなく、情熱的に消費してもらう

今回は、私の好きな押し付けのハイブランドには頼らない

とは言ったものの、まったくつまらん雑誌でした。

ブランドもモデルも広告もコスメもなんちゃわからん感じでした。

ターゲット層になってる方々とコンパのひとつでもあれば話は別ですが、なんて味気ない本でしたか。







しかし

しかしです

oggiの素晴らしいとこもありました。

今月は、ハーブを作った料理の特集でした。

さすがええ年をターゲットにした雑誌です。

料理ページがイケテます。

つまりは、料理しました。

ハサミで材料と出来上がりの絵を持って、デパ地下に走りました。

作った料理は、《タコとパセリのパスタ》です。

デパ地下独特の感度も値段も高い感じが物欲ならぬ、食欲をそそりますね。

イケテるフランスパン屋やゴディバのチョコレートなど、気色がよい散財に走っていたら自炊なのに普通に飲みに行くより高い金額になりました。

オリーブオイルとにんにくを焦がしやき、真っ赤なミニトマトを半分に切って、パセリをゴリゴリみじん切りにする、ソルト、白ワイン、まだまだ待っててねパスタ麺さん、





あー、カネ遣うのキモチイイー。

私は物欲はツヨイですが、私の恋人なる方は物欲があまりなく食欲が旺盛であります。






したがって、

真に幸福な人とは、鋳造された自由を多く持ち、それを遣わなければ生きていけない人ではなく、カネを持っているかいないかに関係なく、カネを遣おうが遣うまいが自由である人ということであろう。

という心温まる考え方はおいといて、私は自分自信のなかにどれくらいの鬱があるのかを点検してみよう。

てんけんてんけーん。


なかなか私は、多くの鬱を抱えたままでは自由になれないと思う。あまりにも多くの鬱があるようであれば一定程度、カネを遣い、その鬱を散じておく必要がある。

たとえて言うなれば、あらかじめ債務を帳消しにしておかないと自由になれないのである。イエス・キリストさんはこういうことをさして、

「金持ちが神の国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」

と言ったのであろうか。

「神の国に入りたければ鬱とカネのバランスシートをきれいにしておきなさいよ」

みたいな。






さ、これが分かれば

とっとと買い物へ出掛けなくちゃならない。

私は最近、居酒屋にて知人にソーキ蕎麦の汁を丸ごと財布にこぼされてしまったので新しい財布を探している。今のは牛革で、コム・デ・ギャルソンで17000円で買い、一年弱使ってもうすぐお別れをむかえる。やはりちと卒業早いな。



次はその辺でちらほら出逢うか、我らがbig-motherのフィービー様のセリーネから秋冬物として出てくる地味な色をチェックしている。春夏物はさすがにレディース色が強すぎて、男子が持てるモノは少なかった。







物語はちと不安定。



合掌
大人ってわからない

大人ってこまったこと聞きにいっても

いつも忙しい

あっちへいってよとか

またこんどねとか

がっかりしちゃう

たわむれさせてよ

なんだかみてるとまぶしいや

サクラがミドリへなっちゃった

すべてまやかしかしら

ざわざわざわざわ

わびしいだけなんでしょう

いーやい、もうすねる

そっぽをむいて

じたんだふんでみよう

オレは大人ぶらねーぞ

むなしいことこそ

美しーんでしょ

だから

楽しーよ

うん

意志じゃないんだ

状態なんだ

SPECに出演してる

《当麻役の戸田えりかとランチがしたい》は意志

《たぶせさんの坊主頭が好きでたまらない》は状態

今日本はSPEC祭りだ

理由は言葉遣いである

上品なタレントさんが

ヤンキー言葉や方言を連発する

たまらない

たまらないとまらない

ヤンキー好きだ

なんか好きだ

田舎からぽっと出のヤンキー

やっぱ好きだ

背伸びしてる感じ好きだ

滋賀の高島の子とかいいよね

そーゆう可愛さもある

だってねだってね

「忙しい」って

「心が亡くなる」って書くよね

なくなるなこころさん

加瀬亮と戸田さん

ラストチューしてほしかったなー

それはさておき

私たちはどんなSPECをもってるんだろう

物理的に闘えるのかな

死んだ人間を召喚できるのかな

時間を止めて拳銃の玉を反対にできるのかな

他人に危害を加えるような攻撃はできなくても

その人間本来の味わいを深める

特殊能力はきっとみんなあるよね








はい、まいど!

ひとえまぶたのカリメロです!

四人兄弟で唯一、

家系で唯一、

ひとえまぶたのカリメロです!

しくよろー!

おばんどすー!

そんなひとえまぶたが久しぶりにひとりたび行って来ましたー!







二泊三日

《直島》へ

行って来ましたー!

シャンプーも洗顔料も歯みがき粉も持っていかずに

自然に還ってきました

洋服も下着と靴下のみです

日記帳1冊

小説1冊

筆記用具

iPod

携帯充電器

現金5万円

こぶりなリュックひとつで十分こと足ります

気候のいい4月の島は

さほど汗もかかず

毎日同じカットソーを着ていても楽勝です

理由すか

理由すか

何でしょね

ボケッーとしたかったんす

いろんな人に出会いたい!

とかねーっす

だから、港からだいぶ離れた宿にしっぽり泊まってきました

たわむれたかったんよ

人じゃなくて

自然とね

自然とたわむれるっつーか

てめーとたわむれるっつー感じよ

勝手にたわむれとけっつーの

要は《立ち止まる》っつーわけだ

歩いても走ってもだめだべ

どーもね

てめえがてめえしかみえねーと

バツがわるい

じかに向き合うとバツがわるい

アナタと通じ合うためには

何ものかのお膳立てがいるようだ

石とか、詩文の一節、風の渡る音、またはひとりの女、白い空間とか、ポリエステルとコットンのカットソーとか、

実は三角関係なのかな

三角関係は人だけではないのかな

石とかいいんじゃない

石とかいいんじゃない

人とのあいだには

アナタと人とのあいだには

何がありますか

教えて下さい

垣根を教えて下さい

晴れの国の岡山県

なぜそんなに晴れてばかりなんですか

黄色いカボチャは

なぜいつも空と海をみているの

真夜中は四国の高松市内の夜景をみてるよね

黄色いカボチャは

ワタシの鏡でした


おわり
kitsune-nipponさんのブログ-120418_201144.jpg




苦悩する人間は、

合理的な人間よりも

高いところにいる。




/V.E.フランクル








夏目漱石は、

行き過ぎた自由が

自我を肥大化させることを

予見していたそうです。









春ですね。

最近、邦画を観ました。



『ヒミズ』


『奇妙なサーカス』


『愛のむきだし』



すべて園子温監督の映画です。どれもが容赦ないです。嘘やごまかし、醜さ、甘美さ、深い愛、てんこ盛りです。油断できないです。だからオススメはしませんが、もし観たら感想教えて下さいな。










《人間はなぜ悩むのか》




ジブンノミライノコト

ジブンノケンコウノコト

ジブンノニンゲンカンケイノコト

ジブンノオカネノコト

ソシテタニンヲエトセトラ

ウン

スベテジブンノコトダ








そーなの

だから

結局は

自分が納得したい

自分の思い通りにしたい

だから

思い通りにならずに

もんもんとするの

「自分」とゆー

「自我」から

なかなかなかなか

なかなかなかなか

ぬけだすことができないの








自分を出すことによって

自分をさらけ出すことによって

自分をむきだすことによって

きっと清々することもあると思うの

けれど

他人からしたら

やっぱりおしつけになっちゃう

だから

しんどい

だけど

しんどい

つまり

しんどい





夢中になりすぎても

しんどい

夢中になれなくても

しんどい

おい、、、

まんなかはねーのかよ









この「自我への執着」を

仏教で「我執」って

言うらしーっす

そして仏教では

我にとらわれない

「無我」を

目指すらしーっす

よくわかんねーけど








つーか、

V.E.フランクル

って誰だよ

(笑)








つーか、

北朝鮮

ふざけんな!

(怒)








まったくもって

いかにワタシが

めめしく

いかめしいかが

ふつふつとわきでてきます

それはどっからわいてくるの

この頭の脳ミソから

この軸足のかかとから

このドキドキしてるハートから

そうやのでこのワタシというモノは

脳とは関係ないかもしれませんし

もしかしたら

やっぱり関係あるのやもしれませんけれども

人がどこ部で考えてるんかということが

もちろんそれが

脳であっても

かかとであっても

もしかしたらベタに

目玉で考えてるのやも知れませんし

でもって

それらのどれもが

欠けたことがないのであって

これは実際

大変やなぁ

細胞のいっこいっこ

どこに集合してんの

フルタイムで働いてやんの

だから自分が

めめしいときは

そう思うようにするの

そのめめしさが

悲しいのか

寂しいのか

いやそこの間にあるの

言葉としてはないのかも

言葉で名前をつけれないモノは

いったいどれくらいあるんだろう

人でもモノでも

すぐにラベルをはって

わかりやすくしちゃうねんなー

じつは常に変化してるのに

ワタシは気付かないのか

ワタシは気付かないようにしてるのか

そんなワタシも

ワタシ以外から

ラベリングされてるのに








映画《愛のむきだし》では

パンチラがはかりしれないほど、お目にかかれます

オトコノコは好きだよね

オンナノコはどう思うんだろう

もちろんワタシもパンチラ好きだ

ヒロインの満島ひかり

可愛いです








えっ、

オトコノコ、

パンチラ好き?

白は神聖だよね。

白は何でも美しい。

白はパンチラの白である。