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2025年5月。

先月までののたうち回るような地獄の日々が嘘のように穏やかな日々だった。

あたしは毎日子ども達の為だけに生きた。

それはそれは右往左往の多忙な日々で身体は悲鳴を上げていたが、心は幾分楽であった。

理由は夫からの接触が格段に減ったことにある。

離婚時期を『今すぐは無理だが、どんなに遅くとも8月初旬にはする。次男の部活動が終わり次第可能な限り最短で。』と明言したことで夫もあたしに接触する用件が無くなったのだろうと思う。

夜な夜な繰り出していた『いつ出すんだ?』攻撃は封印。

今思えば、あたしの迷いや戸惑いを夫は敏感に感じ取っていたのかも知れない。

『いつだ?』と迫ればあたしが弱ること困ることを分かっていたのではないかと思う。

夫の真の目的は「離婚すること」ではなく「KITSUIを弱らせること」だったのではないだろうか。

元々あたしから夫に接触することは皆無だった為、夫からの接触がなければ言葉を交わすことはおろか目が合うことさえなかった。

酒に酔った夫に夜中に蹴り起こされて離婚を迫られる日々から解放され、あたしは子ども達のいない日中に死んだように眠り、夜は夜で子ども達よりも先に眠る日々を過ごした。

寝ても寝ても体調は改善されず息苦しさは相変わらずであったが、誰に平穏を脅かされることもない普通の日々の有り難みを噛み締めていた。


この期間に困っていたことは2点。

1点目は、金銭的に苦しかったことである。

夫は離婚前であるにも拘らず別居開始以降は生活費を一切支払わなかった。

関係が破綻しているのであたしの分は勿論支払わなくて構わないが、子ども達の生活費は出して欲しかった。

あたしの少ない給料と貯金で何とかやり過ごして来たが、それもそろそろ限界だった。

その上、子育ての為に給付される子ども手当なるものも夫の口座に振り込まれていたのが痛かった。

それでもすぐに離婚して引っ越すことが出来ないのはあたしの都合であると考え、家に住み続けさせてもらっている分とそれにプラスして光熱費とスマホ代が夫の口座から引き落としになっていることで納得しようと思った。

家に置いてある食べ物を夫が食べてしまうことには相当ストレスを感じてはいたが。

食費を払え。

2点目は、義父である。

あたしの顔を見る度に、

『ただの夫婦喧嘩だと僕は思ってる。』

『どこの夫婦も紆余曲折あるものだ。』

『離婚なんて馬鹿な真似はやめなさい。』

『孫に会えなくなるのは絶対嫌だ。』

等と言ってくるのが苦痛であった。

最終的にそれらの台詞を吐くにも拘らず、必ず最初に、

『夫婦のことだからね、僕は何も言えないし言わない。』

と前置きをするのも不快だった。

「何も言わない」という言葉の意味が分からなくなる。

そもそもが『何も言わない。』と言葉にする時点で「思うことは沢山あるけど何も言わないよ。」というニュアンスであたしは受け取る。

言いたいことがない人はそもそもが『私は何も言いませんけどね。』みたいな台詞を口にはしない。

あたしはその訳の分からない前置きとお決まりの義父のお気持ち表明みたいな台詞を毎回黙って聞き続け、最後に必ず静かに、

『離婚すると言い出したのは息子さんです。』

と返して対応したが、壊れた玩具か何かのように何度も何度も繰り返し繰り返し同じ台詞を吐き続けるので本当に鬱陶しかった。

しつこい。


問題は何も解決してはいなかった。

宛ら「臭いものには蓋」である。

この時のあたしの取るべき最善策は、即座に離婚届を提出して速やかに引っ越すことだと今なら分かる。

恥を忍んで大きな声で、

『助けて欲しい。』

と両親や友人に泣きつくべきだった。

そうすれば手を差し伸べてくれた人は少なくなかっただろうと思う。

しかしあたしは子ども達との生活を回すことに精一杯で、冷静に思考を巡らせる時間も余裕も無かった。

おかしなことに、あたしはこの離婚騒動を誰にも知られてはいけないと思い込んでいた。

誰かに助けを乞うなんてことは以ての外であり、全て自分1人で何とかしなくてはいけないと思っていたのである。

とにかくこの時のあたしは「全ては次男の部活動が片付いてから。それまでは動かない。」一択であった。

事態を大きく動かすことに及び腰だったのは確かであり、本当にお恥ずかしい限りである。



面白そうー。

「似たような台詞言われたことあるわ!」ってなる。

ちなみにあたしも元夫の顔というか見た目?外見?は好きでした。