
1.プロローグ ー 二人のスタンディングオベーション ー
数年前の暮れも押しつまったある夜のこと。
借りて来たDVDでこの映画『オーケストラ!』を見終わった直後、私たち夫婦は思わず立ち上がってスタンディングオベーションをしていました。
音楽のもたらす感動、圧倒的な力を全身で感じて、期せずして夫婦同じ振る舞いをしてしまったのです。
この映画、クラシック音楽に興味がある人も、そうでない人もおそらく「音楽」そのものの持つ不思議な力とその深い魅力を体感されることでしょう。
コメディ仕立てで、笑えるシーン満載の映画ですが、圧巻はそのラストシーン。
物語の伏線となっていたいくつものエピソードがすべてつながり、オーケストラが一体となって奏でるチャイコフスキーの哀切で美しい旋律に乗って、見る人の胸に迫ってきます。
この「あまり知られざる名画」とも言える映画『オーケストラ!』をご紹介します。(ネタバレ注意!)
2.映画『オーケストラ!』(原題: Le Concert))の概要
2009年11月4日公開 フランス映画 (上映時間119分)
監督、脚本 ラデュ・ミヘイレアニュ
出演 アレクセイ・グシュコブ メラニー・ロラン 他
受賞歴 第68回 ゴールデングローブ賞(2011年)
第35回セザール賞 音楽賞 音響賞監督
フランス映画祭 観客賞
<ストーリー>
ロシアのボリショイ劇場で清掃員として働くアンドレイは、かつてはボリショイ交響楽団の天才指揮者として知られる一流の音楽家だった。
しかし、当時の共産主義政府によるユダヤ人排斥政策に従わなかったため、30年前に楽団を追われた過去があった。
そんな彼はある日、清掃中に偶然、パリのシャトレ座がキャンセルした楽団の代わりとなるオーケストラを探しているという情報を知る。
音楽界に復帰するチャンスとひらめいたアンドレイは、同じように追放されていたかつての楽団員仲間たちに声をかけ、『ボリショイ交響楽団』になりすましてパリにへ行くことを計画する。
演目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
アンドレイはソリストとしてパリ在住の女性ヴァイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケを指名する。
彼女とともに演奏することもアンドレイの大きな目的で、過去のある運命的な哀しい出来事が関係していた。
そして、演奏会の日。ギリギリで集まった団員たちの、調子っぱずれの演奏が始まり、客席はざわめき失笑がひろがる始末。
しかし、奇跡はそこから始まった・・・。
3.この映画の見どころ、オススメポイント
(1)圧巻のラストシーン

この作品のハイライトはやはり何といってもその圧巻というしかないラストシーンです。
12分以上にわたってオーケストラの演奏シーンが続くのですが、まったく飽きないどころか、この物語の伏線が一つ一つ浮かびあがってくるようなカメラワーク、演出がなされており、深い感動を呼び起こします。
特に、このバイオリン協奏曲の第一楽章の主旋律が、物語の背景となっている出来事をそのまま謳っているような哀切と慈しみにあふれた音楽で、曲と映画がまさに一体となってみる人の心を揺さぶります。
過去と現在が曲の旋律とリズムに合わせるように、モノクロームとカラーで交互に展開され、それがこの「コンサート」の背景と真実をごく自然に浮かび上がらせていきます。
これはまさに映画でしかできない演出で、監督のラデュ・ミヘイレアニュのたぐいまれな手腕を感じました。
ちなみに初めてこの映画を見終わって、私たち夫婦はこのラストシーンだけさらに6回も繰り返し見てしまいました。
(2)アレクセイ・グシュコブのクールな熱演

この作品の俳優たちは皆それぞれが「はまり役」としか言いようのない見事なキャスティングです。
なかでも、主演のアレクセイ・グシュコブは「大当たり」。
ポーランド出身の俳優ですが、東欧、ロシアの男性特有の少々ネクラでシリアスな表情や雰囲気が特徴的です。
天才指揮者として脚光を浴びながらも、政治的な事件で楽団を終われるという暗い過去を持つ主人公アンドレイ・フィリポフをリアルに演じ切っています。
それが偶然パリ公演のチャンスをつかんで、昔の楽団仲間たちを招集しコンサートの実現に奔走する姿は、鬼気迫るような情熱を感じさせ、それがこの作品の独特のスピード感を生み出しています。
ラストのコンサートシーンでは、ソリストのアンヌ・マリーと何度も何度もアイコンタクトを交わし、この曲とこの演奏の意味を二人分かち合いながら高みへと昇っていくような姿が実に感動的でした。
(3)メラニー・ロランの可憐な美しさと絶妙の演技

そしてもう一人の主役、アンヌ=マリー・ジャケ役のメラニー・ロラン。
この作品はこの人の存在によって傑作になった、と言っても過言ではありません。
正統派のヨーロッパ系の美女ですが、まるで少女のようなそこはかとない可憐さを持ち合わせていて、この作品の大切な華になっています。
オーケストラとの初めての顔合わせリハーサルで、団員のイケテない演奏にウンザリ顔だったアンヌ=マリーが、アンドレイの盟友サーシャの美しいチェロ演奏を聴いて、みるみる表情が和らぎ、歩み寄ってやさしく語りかけるシーン。
ロマ族のコンサートマスターのジプシー的バイオリン演奏に興味なさげだったアンヌ=マリー、ところが一転して彼がパガニーニの超絶技巧を鮮やかに弾きこなすのを目の当たりにすると目を輝かせ、「今の倍音のアルペジオ、どうやって弾いたの?」と子供のように質問するシーン。
その表情の変化が実にナチュラルで愛らしく、この女優さんの天性の魅力と才能を感じさせます。
そしてハイライト、ラストのコンサートシーンでは、緊張のステージ登場から、感動のエンディングまで、その表情としぐさの変化が多彩かつ繊細で、アンヌ=マリーのこの演奏にかける真情を見事に表現し尽くしました。
全観客のスタンディングオベーションと大歓声の中で、胸に手を当てながら感極まって泣き出すシーンは本当に感動的でした。
(4)愛すべきロシア人たち

この映画の一つの大きな要素が、ロシア人楽団員たちの愉快でユーモラスな「生態」にあります。
私用で救急車を乗り回す太っちょのチェリスト。
旧ソ連共産主義の復権を画策する元KGBのマネージャー。
感情むき出しで大声でまくしたてる人たち。
機内で大酒飲んで酔っ払い、大声でロシア民謡を歌いながら空港ゲートを出てくる団員たち。
ホテルにつけば我さきにルームキーを奪い合う人々。
コンサートでパリまで来ているのに商売に余念のないユダヤ系の親子。
等々。
どれも真面目なお国柄から見ればヒンシュクものの生態ですが、どこか憎めずコミカルで、この作品の背景にある暗く重いテーマと対照的なコントラストを描き出しています。
このあたりに、ミヘイレアニュ監督のバランス感覚や、映画作りのセンスを感じます。
そして、見る者を飽きさせないテンポと切れ味のいいカメラワーク、画面転換が見る者をぐいぐい引っ張っていきます。
4.この映画に関わる関連情報、話題
(1)一流バイオリニストが演技指導
この映画で主演のメラニー・ロランのバイオリンの吹き替えを担当し、演奏演技指導を行ったのはフランス国立管弦楽団の首席バイオリン奏者のサラ・ネムタヌです。
なんと4か月にわたってみっちり指導されたそうです。
その成果、この映像と音楽にしっかり現れています。
(2)封切り前に監督と主役が来日していた
この作品は日本では2010年4月17日封切りされています。
実はその一カ月ほど前に、東京六本木で開催された「フランス映画祭」で一足早くお披露目され、それに合わせて監督のラデュ・ミヘイレアニュと主演のアレクセイ・グシュコブが来日し、インタビューにも応じています。
「主役はロシアのスターにお願いしたい」と望んだミヘイレアニュ監督がモスクワを訪れ、グシュコブを見初めて主演を依頼したこと、そのグシュコブは、完璧な演技を目指してロシア、ルーマニア、フランスの三人の指揮者に師事して特訓を受けたことなどを明かしています。
(3)『オーケストラ!』メラニー・ロラン オフィシャルインタビューより

日本の封切り前にヒロイン役のメラニー・ロランがオフィシャルインタビューを受けています。
〇シナリオを読んで強い感銘を受け、出演を即快諾したこと
〇やはりラストのコンサートシーンが一番気に入っていること
〇日本を一度訪れたことがあり大好きで、また行きたいこと
などを明かしました。
そしてハイライトのコンサートシーンでは、
「バイオリンと一体になって自分のなかの感情を吐き出したような気がします。自分が音楽にもっていかれたような。ほぼトランス状態ですね。実際感極まったとき、震えだしてしまって、一度撮影を中断したほどです。倒れるかとおもいました。私の身体自体が音楽になったような感覚でした。本当に印象に残った強いシーンです。」
という貴重な証言を残しています。
5.この作品へのレビューや感想から
この『オーケストラ!』に寄せられた数々のレビューや感想から印象に残った言葉のいくつかをご紹介します。
〇クライマックスの演奏シーンでは、それまでふざけていたキャラクター達が一斉に楽器を演奏し始めるやいなや、途端に感動モードへ突入!クラシック音楽の圧倒的な迫力と相まって、神懸かり的な高揚感をもたらしてくれます
〇メラニー・ロランはその立ち振る舞いと美しさでも、抜群の存在感を発揮しています
〇「心の清涼剤」という言葉がありますが、この『オーケスラ!』はまさに心に涼風のふく爽やかさ。フランスってこんな映画を作る国だったかな、と見直したくなる一本です。
〇身を切り裂かれるような哀しさが、音楽によって涙になって浄化されていくような実感があった。最後に残るのは登場人物それぞれへの愛情と、今の世界の平和を希求する心と、小説の読了後に似た痺れるような倦怠感である。
6.まとめ
音楽をテーマにした映画は、それこそ数えきれないほどありますが、この『オーケストラ!』はその中でも最上のランクに位置される作品だと思います。
ストーリー、登場人物、設定、キャスティング、展開、エンディングのどれをとっても、「これしかない」と唸りたくなる完成度です。
そしてそのラストシーンだけ繰り返し何回も見るというのは、少なくとも筆者にとっては初めての体験でした。
そして何回見ても、同じように感動して涙が出る、という体験も初めてでした。
レビューや感想を読むと、同じような人は数多くいたようで、中には何十回も見ているという猛者もいました。
気持ちがよくわかります。
最後にこの映画の中でもっとも印象に残った主人公アンドレイの言葉をご紹介してこのレポートの締めくくりといたします。
アンヌ=マリー・ジャケと初めてレストランで会食するシーンの中のセリフです。
「このコンサートは、言わば「告白」であり「叫び」なんだ。音符の一つ一つに命がある。音符のそれぞれがハーモニーを探している。幸せを探している。このチャイコフスキーの協奏曲にとりつかれている。ここには究極のハーモニーがある。不変の音楽性がある。完璧です」

(終わり)