猫華の毎日。 -16ページ目

リアルタイムを大切にしたい

と言いながら最近予約投稿ばっかりなんだけど。
そう、昔はブログに対して信念?というかマイルール?として「特別な日以外は書いた時点で投稿する」っていうのがあったんだよね。
理由としては「その日その時の考え方を大事にする」とか「アクセス数を稼ぎたい訳じゃないしそう思われたくない」(思う人もいなさそうだけど)とかまあ色々ある。

またそう言いながらこの前2年前くらいの投稿するのに躊躇してたやつちょっと手加えて投稿したけど!
一応その時の気持ちを尊重して大きくは加筆してない。
そういう記事が思ったよりいっぱいあるのを確認してしまった。
そして見る度に自分も変わったなあと寂しくなったり、若さに羨ましくなったり、文体の痛さに頭を抱えたりしている。
でもそういうのを懐かしく思えるのもブログやってるおかげだし、本当にここは自分得ブログだなあと思う。

ブログは身バレでもしない限り死ぬまで続けていきたい(フラグ)
そして私が死んでも、私の書いた文章と考えはネットの海を永遠に彷徨うのだ。

私と同じ考えの人工知能が生まれる日も近いのでは?
…うーん、馬鹿っぽそう。

懺悔

ときたま、いや結構な頻度で自分の過去の言動を振り返ってしまい、色んな人に謝罪したくなる。
最近特によくある。

本当に沢山の人に迷惑をかけて生きてきたんだなあと思う。

あの時あんなことがあって…こんなこともあった…本当に申し訳ない。

わざとやった訳では…言い訳にしかならないですよね…

こういうことは個人相手に言うべきことではなかった…あの時はちょっと動揺していた上に寂しくてですね…申し訳ない…

そんな無駄なことに気を使う必要はなかった。

人の言葉の解釈が下手。
フォローしてくれる人でさえフォローしきれないくらいの失敗をたくさんしている。
説明も下手。想定外の事に対応するのも下手。
じゃあ人と関わらなければいいかというとそうでもないし逆に失敗が増える。
そうなると更にカバーしてくれる人もいなくなるので立ち直りも遅い。

そういうことが言いたいんじゃなかった。
日本語が通じない人間で御免なさい。
そういうことがしたい訳じゃなかった。

勘違いばかりで申し訳ない。
後から考えないと気付かない事ばかり。
察しが悪いときと良いときがあるんだけど両方ろくなことにならない。

あの時は道を知らなかったんです許して下さい。

色んな人に誰も見てなさそうな場所でこっそり謝るのもずるいな。
顔を見て謝ることの出来ないスーパーコミュ力底辺。

本当に申し訳ない。
ごめんなさい。

明るく生きていきたくてもその場で明るく謝る事も出来ない。
物凄く負担をかけていた事にも気付かない。
今迄関わった人全員に何かしら無駄な出来事をプレゼントしている気がする。
謝っても謝りきれない…
これがまた人生が続く限り続く…


こんな奴を生かせて頂き有難う御座います。

落とし所は割と普通

前学校で倫理関係か何かの短い文章を書いたんだけど、その時「落とし所は割と普通だけど、哲学しようとする姿勢は評価する」とか評されててなんか複雑だった。
しょうがないじゃん家で考えたときめちゃくちゃ眠かったんだよ…(言い訳)

短い文の中で話を広げてそれっぽくまとめるのって苦手。
いつもこのブログでもあんまりまとめきれてない。
広げて広げて収拾がつかなくなって語彙も無いし似たようなパターンに陥る。
いかにして真面目っぽい話を広げてまともっぽいオチに丸めこむかって考えたら普通で平凡な小学生みたいなまとめ方になっちゃうんだよ!

文章を書くのは割と好きだけど自分のことしか書けないんだよなあ。
創作とか本当に出来ない。
自分以外の人間の考え方ってどんなよ。
もし創作しても完全に主人公に自己投影した妙なものになりそう。
ナルシズムが酷い。


今日も落とし所が普通どころか見つけられずに終わる。

父娘と家族

私と父には思春期にありがちな「洗濯物分けて」とか「うざい」とかそういうのは一切ない。
何故か。

理由①母の言動が思春期の娘っぽい。
母が言い出して既に洗濯物は分けられているのだった。
そもそも私はあんまり気にしないけど。
(どうでもいいことに気を遣いたくない)
でも母に言われた父は嫌な気分らしかったので喧嘩になっていたような。
そして私は(私にとって)どうでもいいことでこんなに怒ることの出来る両親を見て、
「アッこれ私が思春期的な反抗したら家庭崩壊するやつだ」
と思い、元々無かった反抗心が更に無くなりましたとさ。

その②不快な要素が案外少ない
まず禿げじゃない(重要)。
白髪はあるけど顔は割と若い。
愛玩動物系。
お酒も弱いし、元喘息持ちなので煙草も吸わない。
勿論暴力も無い。
うざくないし、ハラスメントタイプでもない。
あと結局娘に甘い。


父は母の言う外人風キツめ言葉をそのまま受けとるのをやめたらもっと平和だと思う。
しかし母もそう言うのは「外国人だからしょうがない」と天然に見せかけてチクチク言いたいときなので、やっぱり父の受けとめ方は合っているのだった。
なんだか知らないけれど父は母のそういう所を完全に理解しているっぽいので、やはりお似合いなのではないかなと思うのだった。

ともかく割と外見の悪くない父親と、美人と形容出来る母親から生まれたのに、全く活かせていない自分が恨めしくなったのだった。
こういうときと親が喧嘩しているときって兄弟が欲しくなる。
でもそれを言うとまた悲しませてしまうような気がする。
早く自分の家庭が欲しいのじゃ…


色々あってもやっぱり家族の絆は強い。多分。

ごめんね

(この記事は過去の下書きから発掘してきた文章を加筆修正して公開したものです)




まだ高校の同級生には私の母親が中国人だと言っていない。


同じ部活の同級生とその先輩が「中華野郎は邪魔」などと言っていたのを聞いてしまった。


そういうことを気安く言わないで欲しい。

その国の一部の面しか見ていない癖に。

どんなに他の国のことを悪く言ったって、その国と経済とかでは切っても切れない関係だったりする訳だし、気軽に悪口を言えるもんじゃないと思う。

確かに日本のことが嫌いな中国人だっている。

でもその人たちも同じ。日本の一部しか知らない。

そしてどちらかと言えば、「日本人」が嫌いなのではなくて、「中国人のことが嫌いな日本人」が嫌いなだけだと思う。

こっちもそう。「日本人のことが嫌いな中国人」が嫌いなだけ。

愛国心だよね。

そうやって誤解はどんどん広がっていくんだ。



私が死んでしまったら、中国の親戚はきっと泣いてくれると思う。

私だって昨夏母方の祖父が亡くなった時は泣いた。

父は母を慰めて、家族というものを感じた。

家族に国境なんてないんだよ。

そういうものなんじゃないのかな。



でも自分でそうは言うけれど、もしも私が「知り合いに外国人が1人もいない日本人」だったらどう思っていたのだろう。

ああいうヘイトスピーチを見てどう感じたのだろう。

どのくらい関心を持てたのかな。


私も日本の全て、中国の全てを知っている訳ではないから偉そうなことを言える立場ではない。

だからと言って心の中に仕舞い込むのも何か違う気がした。


どこの国にも色んな人がいて色んな個性があって、そういう「国民性」では形容できないものが絶対にある。
それを誤解したまま生きるのって、つまらないよ。

私は心から世界平和を祈ります。

保身かもしれない、自分が見えるものだけを『世界』と呼んでいるのかもしれないけれど、本心です。



(書き始め:2013年4月28日12:14   加筆・公開:2015年7月10日)