箸置きに乗っていた箸をひったくるように兄嫁は持ち去った。その挙措に険があるようだ。隅野芙佑子(すみの・ふゆこ仮名) はそう感じた。

 兄夫婦の長男、つまり芙佑子の甥が結婚することになった。悠真(ゆうま仮名)という名で、大学院を出て技術者としてメーカーに就職したばかりだ。兄・昭好(あきよし仮名)と兄嫁・豊子(とよこ仮名)の夫婦には娘もいる。悠真の妹で大学生の美由紀(みゆき仮名)だ。

 芙佑子が悠真の結婚祝いをしたので、そのお返し旁、久しぶりに一緒に食事でもどうだと言って、兄が家に呼んでくれた。それで芙佑子は、昭好、豊子、悠真、美由紀という家族4人とともに食事をした。結婚するという悠真はまだ高校生のように見える。体軀とともに細身の顔に黒縁の眼鏡をかけ、軽く天然パーマのかかった髪を短めに刈っているせいかもしれないし、それだけではないような気もする。玄関にあった悠真のものと思われる休日の靴はスニーカーであった。

 ちょうどその食事が終わったところだった。ダイニングテーブルとともにウォールナット材で設えた椅子に掛けながら、芙佑子は片付け作業中の豊子を見遣る。このダイニングセットもデパートのフェアか何かで豊子が飛びついて兄に買わせたように思える。

 兄の家は郊外の戸建て住宅。兄嫁にせがまれるようにしてこの家を買ったのは悠真がまだ赤ちゃんの頃だったと思う。芙佑子は市内のほぼ中心部にある3LDKのマンションに両親と暮らしている。アメリカ留学中や東京勤務の時はひとり暮らしをしたが、仕事も変わって生まれ育った街に戻り、また実家暮らしをすることにした。両親はそのほうがありがたいという。

 もう今、芙佑子の姿は市内のバーにある。行きつけの店だ。兄宅からの帰りに寄ることにした。ネイビーに白色の小紋柄ワンピースに身を包んだ芙佑子はバニラ・フレーバーのリトルシガーを燻らす。肩の上でボブにそろえて切った髪が紫煙に包まれる。

 先にオーダーしたシングルモルトウイスキーのロックに続いて出されたのは、アイスクリームをチョコレート・リキュールに浸したものだ。「アフォガード」のエスプレッソをチョコレート・リキュールに代えたものだ。

 「『惚れた腫れたから卒業』って何よ?!」

 芙佑子はそう思った。変わり種「アフォガード」の甘さを味わった口には、シングルモルトのスモーキーな香りが広がっていく。

 「悠真ももうこれで結婚するから惚れた腫れたから卒業だわ」と言った兄嫁・豊子の言葉が癪にさわる。

 「惚れた腫れたから卒業なんて言うけど、あの子は今回の結婚相手のほかに女の子と付き合ったことなんかないんじゃないの」

 悠真の結婚相手は2歳年上の会社の同僚だ。女のほうからモーションをかけられ押し切られたような結婚自体は必ずしも豊子の意に沿わないものであろう。しかし、悠真が社会人になって早々に家庭を持って落ち着くことになるのは豊子としては歓迎すべきことであった。大抵の女から見て、悠真は、「次のデートを誰とするか」というときの候補にはなりにくいが、婚姻届という裏書きがあるときには手堅い相手であろう。

 未婚の芙佑子にとって、兄嫁の豊子と話の合うところは少ない(そもそも実兄の昭好との兄妹仲が特によいわけではないのだが)。実は芙佑子が気の強い性分だから、兄の結婚当初は芙佑子のほうが豊子に対して押し気味であった。では、豊子のほうが芙佑子にキツく当たり出したのはいつ頃からか。悠真や美由紀が生まれてからか。いや、それはまだ微弱だった。目立つようになったのは、芙佑子が一般的に出産を考えられる年齢を過ぎたあたりからのような気がする。

 豊子は、今回の悠真の結婚で、息子を隅野家の跡取りとしての地位を確立させることができるとでも思っているのだろう。独身の芙佑子に対しては、「いつまで隅野家にぶら下がるつもりか」とでも言いたいのであろう。豊子から見れば、芙佑子の住む実家マンションも将来的には悠真が相続すべきものとなっているのだろう。

 また、芙佑子が惚れた腫れたから卒業し切っていない様子でいることが目障りでもあるのだろう。時代がかった言い方になるが、「行かず後家」の叔母から美由紀が変な影響を受けはしないかと警戒してもいるのだろう。

 実際のところ、芙佑子の惚れた腫れたはどうなのかというと、特定の彼氏はいない。作るつもりもない。いつ頃からか。もはや範囲が曖昧になった「適齢期」というものを過ぎたあたりからだ。特定の相手がいない代わりに、同時に複数の男と深い関係になったこともある。相手の男がほかの女と関係を持っても構わない。避妊さえ徹底してくれれば。自分とも、その女(たち)とも。

 だからといって、芙佑子がセックス依存症であるとか、「男を取っ替え引っ替えしないと気が済まない」とかいうわけではない。別に男がいなくてもいいのだ。途切れたら途切れたでいいのだ。ただ、特定の男とステディー(steady)にということにはもう興味が湧かない。

 豊子は結婚することが「惚れた腫れたからの卒業」だと言った。しかし、本当にそれを卒業してから結婚する人がどのくらいいるのだろうか。「卒業」というのであれば、恋に落ちて、口説き、口説かれ、時には傷つけ合うなどということを窮め尽くしているはずだろう。そこまでできている人がどれだけいるのかと言いたい。大抵は恋路からの「中退」ないし「逃避」することで結婚しているのだろう。芙佑子もそれはそれで否定するつもりはない。ただ、大きな顔して「卒業」などというのは勘違いだと思う。惚れた腫れたを毛嫌いする豊子の顔が不気味に迫る隕石のように思えてならない。

 こんな話があったとしてどうだろう。

 2021623日最高裁大法廷は夫婦別姓を許さない婚姻制度は違憲ではないという決定をした。下級審の裁判であるが、2021317日札幌地裁は同性婚を認めないことが違憲であると判断した。これらの裁判では、当事者は、家族のあり方の多様化にともない、婚姻制度の枠組みをもっと広げてほしいとの主張を展開した。芙佑子のような生き方をするのに現行制度の枠組みを広げる必要はない。もっとも、周囲の声(あるいは声にならない目)に対処していく精神力は必要だ。時には、好きになっても一緒にはならない精神力も必要だろう。ただ、それが妙な強がりになることもあるだろうが。