前回までは、徳川昭武使節団がパリに無事に到着した様子を紹介しました。

今回は、到着後まもなく明らかになった薩摩藩の謀略を紹介します。

手紙の主が直接関与した事件ではなく、向山隼人正からの伝聞です。

 

      〔本文1〕

          一五月十五日到来

          然は当表御使節始一同、無異之事ニ御座候

          博覧会之方も此程惣箱相開候得共、御品之損

          しも至而稀ニ而御座候、飾付も兎角場所・雑

          作等捗取不申、漸々昨今取掛相成候、尤飾付

          場所略図等之義は、委細外国方表章ニ而御廻

          し相成候積御座候間、御承知可被下候

 

      〔概略1〕

       5月15日に江戸に到着した書簡。

       パリでは、御使節以下全員無事です。

       博覧会は、展示荷物を全て開封しましたが、傷みがある御品

       は非常に少ないです。飾付は会場準備ができておらず、漸く

       最近になり作業できるようになりました。もっとも飾付会場

       の略図などは外国方が行うので、ご承知おきください。

 

      〔本文2〕

          此程隼人正殿薩州産物博覧会江差出方之儀ニ

          付、同家頼仏人モンブラン江引合有之候処、

          岩下佐次右衛門等渡来罷在候義は押隠し、薩

          藩人壱人も博覧会ニ付渡来無之、諸事薩州よ

          り相頼被申候間、引請周旋可致旨申、

 

      〔概略2〕

       隼人正殿が薩摩藩産物の出展について、薩摩藩家来のフラン

       ス人モンブランと会いました。彼は岩下佐次右衛門らが渡来

       していることを隠し、薩摩藩からは誰一人として渡来してい

       ない。私が、博覧会に関する全ての事を薩摩藩から頼まれた

       ので、引き受け、準備していると言った。

 

      〔本文3〕

          日本人ニ而洋服を着し候も罷、両三人も有之

          候は全小遣同様之様申居、其外暴漫之事而已

          申候由、尤私儀引合席江も罷出不申、只々噂

          承り候迄ニ而、右一件は隼人殿ゟ御通し相成

          候趣ニ承知仕候、

 

      〔概略3〕

       日本人で洋服を着ている者がいる。2~3人いるが、全員小

       遣同様の者であると言いはり、その他にも暴言ばかり言って

       います。もっとも私は面会に立ち会わず、只々噂として聞い

       ているばかりです。この件については隼人殿から説明される

       と承知しています。

 

ここでは隼人正と薩摩藩の代理人モンブランが話し合いを行ったが、納得のいく返事ではなかったと書かれています。

モンブランの企みは、幕府を薩摩藩と同様に諸侯の一員であると諸外国に認識させることにあり、日本を代表する権力ではないと認識させることにあったと考えられている。