徳川昭武一行は、フランスの入口マルセイユに上陸しました。

慶応3年2月29日(西暦1867年4月3日)です。横浜から48日目。

ここで有名な集合記念写真が撮影されました。

7日間の滞在で、観劇やツーロン軍港見学が行われました。

 

      〔本文1〕 

           一 昨夜は土地の芝居一覧致し候処、夫れはそれは見事にニ而、

             芸題文句は更に分り不申候得共、舞台の花やかなる事例の

             カス灯ニ而光明を取り、梅花ほふづき燈灯の形満面光明ニ而

             白昼よりも明らかなり、役者は何れも婦人ニ而それはそれは

             見事なる事なり、往来は車ニ而士官以上のものは歩行と申す

             ことは更に無之、私共始市中歩行之節は何れも車ニ而参るなり

 

      〔概略1〕

       昨晩芝居を観ました。見事でした。題名や言葉は理解できませんでしたが、

       舞台は花やかでした。ガス灯で灯を取り、ほふづき提灯の形にすべてが

       明るく、昼間よりも明るい。役者は女性が演じていますが、見事です。

       道路の通行は車です。士官以上のものは歩きません。

       私たちが始めて街中を通行したときは誰もが車で移動しました。

 

パリ万博には日本から3人の芸者が参加しています。

彼女たちもマルセイユに無事到着しています。

実は、昭武たちと同じ船に乗船していたのか、他の船なのか、わかっていません。

同行か、前に到着していたのか。

次の文面からすると、少なくとも後発の船ではなさそうです。

 

      〔本文2〕 

           此度博覧会にて日本柳橋芸者三人参り候、是等も無事ニ而着致し候、

           此節は魚も沢山ニ有之、昨日は鯛・平目・メシ等之差身沢山給へ申候、

           外の事は何も日本と違い候事更ニ無之候

           〇食事は二度ニ而朝起き直に茶出し、四ツ時分朝食、八ツ時分茶出し、

           七ツ半時夕飯、夜5ツ時分茶出る而已、尤食事の節ハ何れも酒三通り

           程出し申し候、乍去伊丹・新川ニ参不申、是而已は一統閉口仕る・・・

 

      〔概略2〕

       今回の博覧会には日本の柳橋の芸者が三人来た。彼女たちも無事に着いた。

       このころは魚も沢山あります。昨日は鯛・平目・マジマグロなどの刺身を沢山

       食べました。外には何も日本と違いません。

       〇食事は2食です。朝起きてお茶を飲み、10時頃に朝食、2時頃にお茶、

       16時頃に夕食、20時頃にお茶です。もっとも食事の時は3種類の酒を出します。

       しかしながら造酒屋が多い伊丹や新川には行くことができない。

       是には皆困っています。・・・

 

お茶が1日3回。食事は1日2食。その都度酒が付くけれど、日本酒が恋しい・・・。

パリ到着直後の手紙を次回から紹介します。