ウソ800(うそえいとおーおー)は

「帰ってきたドラえもん」という話において、出てくるドラえもんの道具だ。

ドラえもんが未来に帰る際、とっておきの道具として唯一のび太に残していったもの。


「ぼくが行ったあとで、がまんできないことがあったらこれをひらけ。そのとききみに必要なものが、出てくる。」

のび太は、あるときそれをはっと思いだす。
それがウソ800。


それと似たような感じで、自分は今日、以前読みかけたままにしておいた一冊の本を、思い出した。

高校生の時に古本屋で100円で買ったものだったと思う。


「『思いやり』の心理」


それを最後に読んだのは、今年のはじめだったと思うが、以来放置していた。

それを、今日やっと読み終えた。


目から鱗が落ちるというか、何か今の自分に向けて書いてくれた本なのではないかと思えるくらい、腑に落ちるものがあった。


以下

「『思いやり』の心理‐自分が大きくなる人間関係の方法‐」 加藤諦三 著

より、特に印象の強かった部分を引用


 抑うつ的な気分に陥りがちな人の解釈には特徴がある。それは不快な状態を自分の個人的な原因から出たと解釈することである。たとえば不況によって失業したときでも、自分の能力がないからと考える。そのように自信を失えば、働く能力も失われる。

 抑うつ病の人は失業とか失恋とかいうこと自体に苦しむばかりではなく、それによって自分の中に新しい欠点を見つけ出し、それに苦しむ。自分の中に欠陥を発見し、その欠陥によって自分の他の機能もマヒさせてしまうのである。(中略)その欠陥はたとえ事実でも、自分の全体の評価とは異なるはずである。しかし一度こだわりだすと、その欠陥から注意を自分のすぐれている点にむけることができなくなる。これが抑うつ的な気分に陥りがちな人なのである。


 事実が我々の心に影響を与えるのではなく、事実についての解釈が我々の心に影響を与えるのだということは、決して忘れてはならないことである。


 人は誰でも弱点を持つ。だが、その弱点を克服することよりも、その弱点が自分の自尊心の感情を傷つけないように解釈することの方が大切である。そのとき、すっぱいレモンを甘いというような、無理に事実を曲げた解釈をしてはならない。すっぱいレモンを甘いと解釈することは現実から眼をそらすことである。レモンはすっぱく、ぶどうは甘い、この現実から眼をそらしてはならない。すっぱいレモンは甘いぶどうと同じように存在の妥当性をもっているのだ、という解釈が大切なのである。


 劣等である自分を受け入れることができる人は劣等感をもたない。それはその自分を受け入れることのできる自分が形成されているということなのである。そういう人は劣等であることは認めても、劣等である自分の存在の妥当性について疑ってはいないということなのである。(中略)劣等感をもっている人は、自己自身であろうとしない人である。劣等である自己を拒否し、自己と異なった存在になろうとあがいている人である。しらけている人は自分に絶望している。ところがこの絶望に甘えているから、自己を乗り越えていくことができない。

 いずれにせよ、自分に自信を失って絶えず他人の評価に頼って生きているために、他人からの要求には何でもイエスと言ってしまう人は、先ず「自分に関する事実は何か」ということをハッキリさせることである。そしてその事実についての従来の自分の反応の仕方、受け取り方、解釈の仕方は正しいかどうか考え直してみることである。


 今、自分が何をしたいかわからないという人は、心の底に恐怖をやどしている人である。親の評価を恐れているか、世間の目を恐れているか、友人の評価が気になっているか、いずれにしろ何かを恐れている。その恐れで心が満たされていて、他の自分を感じることができないのである。







事実と向き合う。

自分と向き合う。


これから、変わろう。