狂気のReboot③ 『キャシャーン Sins』②
たったひとつの命を捨てて
生まれ変わった不死身の身体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャーンがやらねば誰がやる
1973年、『新造人間キャシャーン』というSFヒーローアクションアニメが放送され、当時の少年たちを中心に すごい人気を博しました。
タツノコプロが海外でセル製作を始めたため、画風が日本っぽくなく、ホントに無国籍な作品でした。
が、当時の子供たちはあんまり気にせず、ヒーローアクションに魅了されていました。
ただ、そのハードな世界観
主人公は父の開発したアンドロイドたちの暴走を止めるべく、自らの命を父に差し出します。
「僕がやらなければ、誰がブライキングを倒すのですか」
生きた息子との別れに、母親は泣きます。
不死身の新造人間は完成し、父は息子の記憶を受け継いだロボットに「お前は今日からキャシャーンと名乗れ」と告げるのでした。
この世界観は幾歳月を経て、当時の少年たちが成長したときにジワッと蘇ります。
「あのテイストはすごかった」
「あの興奮をもう一度・・・」
そして1993年に 『キャシャーン』 はリメイクされてOVAが発売され、2004年には唐沢寿明がブライキング・ボス役を演じた実写映画 『CASSHERN』 が上映されます。
ま、この 『CASSHERN』 は 『キャシャーン』 を期待した人たちには酷評でしたけど・・・
キャシャーンとか言わなきゃよかったのに。
さて、実写映画の大失敗はさておき、その4年後、2008年。
オリジナル・アニメの続編でありながら、狂気を感じさせるほど厨二病をこじらせたリブートだ、と感動したアニメ『キャシャーン Sins』が放送開始されました。
当時私はこれといって番宣CMを観たわけでもなく、ビデオデッキの番組表画面で突然見つけて「まさか」と思いつつ、録画して観たのでした。
sins ・・・罪
文明は破壊尽くされ、人間はほとんど生存しておらず、生き残ったロボット達は皆、体が腐食しつつあります。
本作ではこの世界の状態を、“滅びが進む” と表現しています。
ブライキング・ボスがマントで顔や体を覆って登場。
風来坊の出で立ちです。
相当擬人化されています。
砂が混じる風からボディを保護するためでしょうか。
この世界では彼はもう、ロボットやアンドロイドたちの首領ではありません。
そんな彼が、無頼漢っぽく べらんめぃ口調で呟きます。
「その日から、滅びが始まったんだ。月 という名の太陽を、キャシャーンが殺した瞬間から、俺達の世界はどうにもならねぇ終わりを始めやがった」
『キャシャーン Sins』の世界では、ルナは死んでいます。
殺したのはキャシャーン。
そしてキャシャーンは、自分の名前以外の記憶を失い、たった一人でさすらうのです。
動けなくなる寸前の大型ロボット達は、口々に囁きます。
「キャシャーンを喰らえ。そうすれば、滅びが止まる。永遠の命が手に入る」
「俺達の身体は、キャシャーンにやられなくても、後半年も持たねぇ滅びの中にいる」
「本当か嘘かは知らねぇ。だが、何もしねぇで死んでいくのは惨めすぎる」
なぜこのような非現実的な話が生まれたのか。
キャシャーンと行動を共にする女型ロボット リューズは、キャシャーンをこのように評します。
「あんたは ただの殺戮兵器だ」
とにかく『Sins』 は オリジナル『キャシャーン』の世界を、なにもかもメチャクチャに壊した世界で、ストーリーが展開します。
そして今日も、砂が吹きすさぶ荒れ果てた世界のどこかで、キャシャーンとロボット達の闘いが繰り広げられているのでした。
いや~、えぐい絵です。
グロい描写もあります。
全体的には、殺伐とした絵です。
それと、キャシャーンの攻撃スピードがすごい。
そのスピード感がよくあらわされた作画がなされています。
このアニメに爆発シーンはありません。
ロボットたちはガラスが割れるような音と共に砕かれ、壊され、破片が飛び散るのみ。
シュールです。
本作はロボット達が気の毒なくらいにがむしゃらに生き、そしてキャシャーンに挑んでは無罪に破壊されていく、そんな、何かが逆転した世界観です。
まぁ、こじれにこじらせた厨二病チックな世界観なのですが、そこを乗り越えて鑑賞すると、このアニメはよくできています。
基本は原作アニメのようなロードムービーで、不老不死がゆえに生きる目的を見出せないキャシャーンが旅を続けるなかで、色々な出会いがあります。
ときに、生命
を燃やす人たち(ロボットだけど)に触れ、別れ、キャシャーンは《滅び(=死)》が無いとどうなるかを悟っていくのです。
ルナとは何か、いくら傷ついても再生するキャシャーンとは何か。
滅び(=死)とは何か。
分かりにくい構成の中、それでも2度観3度観、最終回から逆に観ていったりしていくうちに、「ああ、そうか」と分かります。
このアニメには、けっこうしっかりしたテーマがありました。
1973年版の 『新造人間キャシャーン』 は、1978年に韓国でも放送されていたそうです。
『新造 人間 캐산 』
(Casshan:Robot Hunter 1978年)。
70年代の韓国とかですと、国内にはアニメーション製作技術が乏しかったため、外国で製作されたコンテンツを国内でダビングして放映していたようです。
日本だって、そうでしたよね。
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生まれ変わった不死身の身体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャーンがやらねば誰がやる
1973年、『新造人間キャシャーン』というSFヒーローアクションアニメが放送され、当時の少年たちを中心に すごい人気を博しました。
タツノコプロが海外でセル製作を始めたため、画風が日本っぽくなく、ホントに無国籍な作品でした。
が、当時の子供たちはあんまり気にせず、ヒーローアクションに魅了されていました。
ただ、そのハードな世界観
主人公は父の開発したアンドロイドたちの暴走を止めるべく、自らの命を父に差し出します。
「僕がやらなければ、誰がブライキングを倒すのですか」
生きた息子との別れに、母親は泣きます。
不死身の新造人間は完成し、父は息子の記憶を受け継いだロボットに「お前は今日からキャシャーンと名乗れ」と告げるのでした。
この世界観は幾歳月を経て、当時の少年たちが成長したときにジワッと蘇ります。
「あのテイストはすごかった」
「あの興奮をもう一度・・・」
そして1993年に 『キャシャーン』 はリメイクされてOVAが発売され、2004年には唐沢寿明がブライキング・ボス役を演じた実写映画 『CASSHERN』 が上映されます。
ま、この 『CASSHERN』 は 『キャシャーン』 を期待した人たちには酷評でしたけど・・・
キャシャーンとか言わなきゃよかったのに。
さて、実写映画の大失敗はさておき、その4年後、2008年。
オリジナル・アニメの続編でありながら、狂気を感じさせるほど厨二病をこじらせたリブートだ、と感動したアニメ『キャシャーン Sins』が放送開始されました。
当時私はこれといって番宣CMを観たわけでもなく、ビデオデッキの番組表画面で突然見つけて「まさか」と思いつつ、録画して観たのでした。
sins ・・・
文明は破壊尽くされ、人間はほとんど生存しておらず、生き残ったロボット達は皆、体が腐食しつつあります。
本作ではこの世界の状態を、“滅びが進む” と表現しています。
ブライキング・ボスがマントで顔や体を覆って登場。
風来坊の出で立ちです。
相当擬人化されています。
砂が混じる風からボディを保護するためでしょうか。
この世界では彼はもう、ロボットやアンドロイドたちの首領ではありません。
そんな彼が、無頼漢っぽく べらんめぃ口調で呟きます。
「その日から、滅びが始まったんだ
『キャシャーン Sins』の世界では、ルナは死んでいます。
殺したのはキャシャーン。
そしてキャシャーンは、自分の名前以外の記憶を失い、たった一人でさすらうのです。
動けなくなる寸前の大型ロボット達は、口々に囁きます。
「キャシャーンを喰らえ。そうすれば、滅びが止まる。永遠の命が手に入る」
「俺達の身体は、キャシャーンにやられなくても、後半年も持たねぇ滅びの中にいる」
「本当か嘘かは知らねぇ。だが、何もしねぇで死んでいくのは惨めすぎる」
なぜこのような非現実的な話が生まれたのか。
キャシャーンと行動を共にする女型ロボット リューズは、キャシャーンをこのように評します。
「あんたは ただの殺戮兵器だ」
とにかく『Sins』 は オリジナル『キャシャーン』の世界を、なにもかもメチャクチャに壊した世界で、ストーリーが展開します。
そして今日も、砂が吹きすさぶ荒れ果てた世界のどこかで、キャシャーンとロボット達の闘いが繰り広げられているのでした。
いや~、えぐい絵です。
グロい描写もあります。
全体的には、殺伐とした絵です。
それと、キャシャーンの攻撃スピードがすごい。
そのスピード感がよくあらわされた作画がなされています。
このアニメに爆発シーンはありません。
ロボットたちはガラスが割れるような音と共に砕かれ、壊され、破片が飛び散るのみ。
シュールです。
本作はロボット達が気の毒なくらいにがむしゃらに生き、そしてキャシャーンに挑んでは無罪に破壊されていく、そんな、何かが逆転した世界観です。
まぁ、こじれにこじらせた厨二病チックな世界観なのですが、そこを乗り越えて鑑賞すると、このアニメはよくできています。
基本は原作アニメのようなロードムービーで、不老不死がゆえに生きる目的を見出せないキャシャーンが旅を続けるなかで、色々な出会いがあります。
ときに、
ルナとは何か、いくら傷ついても再生するキャシャーンとは何か。
滅び(=死)とは何か。
分かりにくい構成の中、それでも2度観3度観、最終回から逆に観ていったりしていくうちに、「ああ、そうか」と分かります。
このアニメには、けっこうしっかりしたテーマがありました。
1973年版の 『新造人間キャシャーン』 は、1978年に韓国でも放送されていたそうです。
(Casshan:Robot Hunter 1978年)。
70年代の韓国とかですと、国内にはアニメーション製作技術が乏しかったため、外国で製作されたコンテンツを国内でダビングして放映していたようです。
日本だって、そうでしたよね。
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