それならば、「納めるな」と言ったらどうなるのか。

この時は過越の祭の期間で、いつもはカイザリヤに駐在しているローマ総督が

ちょうどエルサレムに来ておりました。

その間近でこんなことを言うなら大変なことになります。

イエスのお生まれになった頃にも、

ユダという者がガリラヤから出てローマに対して反乱を起こしました,ru486

やがて鎮圧されましたが、ガリラヤ地方一帯にひどい圧迫が加えられ、彼を担いだ民衆は大変な刑罰に処せられました。

 こういう状況下でイエス?キリストは、どちらかを選ばねばならないような難問題をもちかけられたのです。

実に、左を言うことも右を言うこともできないジレンマ、進退窮まるような状況に立たされた。

しかし、信仰=神の霊の力というものはジレンマを超えさせます

左でもない、右でもない、それを超えるところにキリストの宗教、霊的宗教はあるのです。
 
多くの人は、左か右かということを考えるから苦しみます。

キリストは当時の宗教家たちに取り囲まれて、賊問にかけられそうになるが、

頓智をきかすというか、、、実に巧妙に問題をさばかれたことに驚きます,巨人倍増

この辺りは、今の日本の政治家などが、見習うと良いですね。

o(^▽^)

実に下手な政治家たちばかりです。

各党の党首といった人たちが、皆似たりよったりで抜群の人間がいない。

同じ次元でしか言い争いをしないから、国民の拍手喝采を浴びません。
 
それに比して、イエス?キリストは普通の人間と判断の基礎が全然違います。

人と同じ次元においては、ものを言われませんでした。

イエスのお答えはこうでした。

イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた、

「デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だれの記号なのか」。

「カイザルのです」と、彼らが答えた。

するとイエスは彼らに言われた、

「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。

そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答に驚嘆して、黙ってしまった。

 ここでイエスは、とっさに

「デナリにだれの像が刻んであるか」と問われました。

当時、ローマ帝国の税金はローマの貨幣デナリで納めました。

そこには皇帝の像が刻んでありました。

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