1.17 | ディモルフォセカ 食育マイスターシェフのお楽しみ

ディモルフォセカ 食育マイスターシェフのお楽しみ

西武新宿線鷺ノ宮駅の欧風レストラン。食べること、釣り、水泳、トロンボーン演奏などなどいろいろやりたがりシェフの愉快な日々をお届けします

約30年前の事。

実家の福島で宮城県沖地震を体感した。

ブロック塀が目の前に倒れてきた記憶がある。





それから、十数年後、私は大阪にいた。


入社2年目の時。

朝方まだ暗い時に地鳴りが聞こえたと思った瞬間、大きく大きく揺れた。


福島に住んでいたとき結構地震が多かったので、若干慣れてはいたが、かなり揺れた。


怖かった。



結構どころか、めっちゃ怖かった。



長い長い揺れの後、窓を開け周りの家の様子を見てみた。

とりあえず火事とかは無い様子。


テレビをつけると、大阪は震度5弱との事。

まだ、朝早かったので、もう一度寝た。





6時30分頃もう一度、大きく揺れた。


テレビをつけたら、大阪市内のテレビ局付近の中継をしていて、ビルのガラスなどが割れている映像が流れていた。


こりゃ、じっとできないと飛び起きて、仕事場に向かった。

勤務先のホテルに着き、厨房へ急ぐ。


エラいことになってた。



冷蔵庫に冷たい料理用のお皿を冷やしているが、全部床に落ちて割れている。


ガズ漏れしている気配や匂いはないが、もしかしたらガス台も動いているかもしれないので、火は使えない。



果たして、この状況で、営業はするのか!?


もしかしたら、しなければならないのか!?


その当時、危機管理が非常に薄く誰も分からない。





電話が鳴った。

『厨房の状況はどうですか?ランチ営業出来そうですか?』

『私では判断出来ません。上司かシェフが出勤したら折り返し電話します。』

誰もが、この地震を朝8時過ぎの時点では甘く見ていた。






そう、阪神淡路大震災。







あれから、月日も経ち去年の大震災が起きた。


直撃では無いにせよ、私は大震災を3回経験した。






1.17



あの日の衝撃とその後の復興までの日々が未だに忘れられません。

毎年この日は、色々思い出されます。


くじけずに、がんばろう!!


なせば成る。



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