実家の福島で宮城県沖地震を体感した。
ブロック塀が目の前に倒れてきた記憶がある。
それから、十数年後、私は大阪にいた。
入社2年目の時。
朝方まだ暗い時に地鳴りが聞こえたと思った瞬間、大きく大きく揺れた。
福島に住んでいたとき結構地震が多かったので、若干慣れてはいたが、かなり揺れた。
怖かった。
結構どころか、めっちゃ怖かった。
長い長い揺れの後、窓を開け周りの家の様子を見てみた。
とりあえず火事とかは無い様子。
テレビをつけると、大阪は震度5弱との事。
まだ、朝早かったので、もう一度寝た。
6時30分頃もう一度、大きく揺れた。
テレビをつけたら、大阪市内のテレビ局付近の中継をしていて、ビルのガラスなどが割れている映像が流れていた。
こりゃ、じっとできないと飛び起きて、仕事場に向かった。
勤務先のホテルに着き、厨房へ急ぐ。
エラいことになってた。
冷蔵庫に冷たい料理用のお皿を冷やしているが、全部床に落ちて割れている。
ガズ漏れしている気配や匂いはないが、もしかしたらガス台も動いているかもしれないので、火は使えない。
果たして、この状況で、営業はするのか!?
もしかしたら、しなければならないのか!?
その当時、危機管理が非常に薄く誰も分からない。
電話が鳴った。
『厨房の状況はどうですか?ランチ営業出来そうですか?』
『私では判断出来ません。上司かシェフが出勤したら折り返し電話します。』
誰もが、この地震を朝8時過ぎの時点では甘く見ていた。
そう、阪神淡路大震災。
あれから、月日も経ち去年の大震災が起きた。
直撃では無いにせよ、私は大震災を3回経験した。
1.17
あの日の衝撃とその後の復興までの日々が未だに忘れられません。
毎年この日は、色々思い出されます。
くじけずに、がんばろう!!
なせば成る。
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