昨日、歯医者さんに行ってきました。
女医さんだったので、安心して治療を受けられました。

風邪だか花粉症だかで片耳がふさがっているのでついでに内科も行きました。
内科もちょうど女医さんだったので安心して診察を受けることができました。

風邪で内科にかかったら、きっと体温をはからなきゃいけないと思っていたら…やはり体温をはからなきゃいけなかったのではかりました。

誰が使ったかわからない病院の体温計。
いくら消毒してあるとわかっていても、嫌悪感はぬぐいさることが出来ません。
それでもしかたがないので使いました。

その病院はスリッパにはきかえなければいけないので苦痛です。

しかし、治療を始めて約9ヵ月。
ここにはあの頃と確実に違う自分がいます。

・わざとつま先立ちっぽくスリッパをはいて歩いていて、家の玄関で靴下をすぐにぬぎ洗濯かごにいれていた私
→自分の靴をはくように地に足つけてスリッパをはくし、はいている靴下のまま家の中に入れるようになりました。

・ふれられるのがダメなため、内科にも歯科にもかかわらなかった私
→「嫌だな」とは思っても、診察を受けることが出来るようになりました。

環境・心境にもよりますし日によっても違いますが、最近は「出来てる」と思うことが少しでもあるので嬉しく思います。

嫌だし出来ない→嫌だけど出来る→出来る→すすんで出来る

今は第2段階、「嫌だけど出来る」になっている部分があると個人的には思っています。

病気だと思わなければ病気じゃないかもしれません。
しかし、自分で自分に違和感を持ち続けるのは辛いものだと感じています。
だから私の中ではこれは病気。
病気に甘えている部分があるし、それをいいとも思わない。
でも、病気だと思うからこそ頑張れることもあります。

きっと理解されがたいことだとは思うし、無理に理解を求めるつもりもありません。
ただ、病気だからこそ真正面からうけとめて戦う気になれる人も世の中にはいます、まあ私くらいかもしれませんが(=_=)

これは…誰にでもおこりうることだと思うんです。
きっかけは小さなことだとしても心に負担がかかれば誰にでもおこりうる病気です。

でも本人が苦しくないのなら無理矢理病気だと思う必要はないと思うし治したいと思わないなら治さなくてもいいと思います。
その場合は、病気ではなく個性。

私の場合は、これを個性と考えられないだけです。病気だと思った方が生きやすい。
だから病気だと思うし、それを治したいと思うことで生きたいと思います。

十人十色。
それでいいんじゃないかな。
誰かが正しくて誰かが正しくないというのは…めんどくさいしつまらない。
ルールに従わなきゃいけないときもあるけど、生き方には特にルールがあるわけじゃないんだから、自分の生きたいように生きればいいと思うし、人には足をふみいれられる必要がない領域だと思います。

人を大切にしたければ自分を大切に。
自分を大切にしたければ人を大切に。

これが私の目指す自分自身のルール。
譲れない・揺るぎない気持ち。

公共の福祉に反しないかぎりあなたは自由だし私も自由だ。

それでいいんじゃないかな。
自分の信じる道へすすめばいい。
美しさが必ずしも美しさを産むとはかぎらない。醜くあるからこそ美しさをうみだせるのかもしれないよ。

あなたはあなたの道を。
私は私の道を。

すすんでいきましょ。