本当の優しさってなんだろう、と最近考える。
考えたところで答えがすぐに出るようなことではないけど。

個人的に思う本当の優しさは、後からじわじわと伝わってくる。
自分が怒っている時に同調してもらえるのが優しさだとはかぎらないし、悲しい時に同調してもらえるのが優しさだとはかぎらない。

怒っている時に、そのことについて指摘してもらえるのが優しさかもしれないし、悲しい時に喝をいれてもらえるのが優しさかもしれない。

私は幼稚だから、きっと前者を優しさだと受け取ることが多いのだと思う。周りが敵ばかりだと感じた時に、同調してもらえるのは自信につながるから。

でも、心の奥底では後者を求めている部分がある。
みんながみんな同じ意見ならば、この世の中は死ぬほどつまらない。

いろんな人と関われば関わるほど視野は広がると思う。
私は今の自分の狭すぎる視野をクソだと思う。
今のままで生きようなんざ思っちゃいない。
いろんな視点をもっていたいと心から思う。

人の数だけ考え方があるから、100%理解しあうことは不可能だろう。
でもそこで諦めて耳をふさいだら負けなんだ。
もしくは素手の相手に対して武器を使って戦いを挑むのも、フェアじゃない。

私は不公平が大嫌いだ。
不公平な世の中をクソだと思う。
でも不公平なことはいくらでもある。
時には不公平を恨んで私は自暴自棄になる。
「なんで私だけが?」とか考える。
「どうして?」の連続だ。

そんな自分が大嫌いだ。
でもそんな自分がいるから、前に進もうとする自分が現れる。
そんな自分なしに前進を求める自分を私は生み出せない。

私のマイナスは絶望ではなく失望だ。
でもその失望の渦中にいる時、その気持ちは絶望だ。

私はマイナス思考だけど負けず嫌いだ。
マイナス思考はやめたいけど、一度マイナスにならないとプラスになれないのが自分自身だということを私は学んでる。

だから私はこれからもマイナス思考がやめられないと思う。
ただし私が自分で認めているのは…マイナスになるためのマイナスではなく、プラスになるためのマイナス。

この先知らず知らずのうちに、マイナスになるためのマイナスを私はしでかしてしまうかもしれない。
そして自分では気付かないうちに深みにはまってしまうかもしれない。
そんな時は、ぜひ喝をいれていただけませんか?
私はあなたがおもうほど強い人間ではありません。
でも私はあなたがおもうほど弱い人間でもありません。
だから本当の優しさはちゃんとここに伝わっています。

誰かを犠牲にして自分の意見を肯定するつもりはない。
違う意見だとしても私は聞きたい。
この耳と目が機能するかぎりは、いろんなことを受け止めたい。

私はここにきてくださる方がみんな大切。
綺麗ごとにきこえるかもしれないけど、あいにく私はキレイキレイなことが大嫌いなひねくれもの。
私が嫌いなのは、人をバカにする人。あざ笑う人。
そんな人が今ここにはいないことを誇りに思ってる。

私はその一瞬一瞬にまっすぐでありたい。
そのザマははたから見たら激しく醜いかもしれない。
でもまっすぐ進んで後悔はしてないししたくもない。
まっすぐぶつかってきてくれる人が私は大好きだ。
「違う」のは当然だから嫌いだとは思わない。
「違う」からこそおもしろい、それが人との関わりだと、私は考えてる。

こんな私に意見をくれる人なんて、きっと現れないと最初思っていた。
でもある日意見をいただいて、私はものすごく嬉しかった。
いろんな意見をいただけたらその分私は前に進める。
たまに酷いことをいわれたこともあったしきっとこれからもあるかもしれない。
でもそういう時ははっきり行動に出す。
出来るだけ多くの人と関わりたい、だから私はクソな文章でも書きます。

いつもきてくださる方、今日たまたまここをとおりすがった方、どんな理由であれ今この文章を読んでくださっている方には感謝しています。
出会ってくれてありがとうございます。

これが私です。
この醜いザマが、誰かにとっては糧になり苛々の元になるやもしれませんが、これが私。

偽ることは大嫌いだから、本当のことだけを私は書くよ。

ありがとうございます。