サンコンは
面白いだけじゃなくて
教養に溢れた文化人です。

 

母国ギニアの話は

どれもこれも興味深いです。

日本も物がない時代の方が

逆に良かったと思う点もありますしね。


サンコンはサッカー少年だった。

中でもとびきり足が早くて

すばしっこいFWだった。

みんなからマークされ、

アキレス腱を切ってしまった。

当時ギニアでは医療の技術もなく

曲がったまま足をギブスされてしまう。


そこからサンコンの猛勉強が始まった。

アフリカでは怪我などして

歩けなくなったら

ダメな子と言うレッテルを貼られる。

サンコンは自分を馬鹿にした人達を

見返してやりたかった。

勉強に集中した。

暗記は写真を撮るように記憶し、

また忘れないと言う。

 

コナクリ大学を卒業後、

ソルボンヌ大学へ国費留学した。

外務省に勤務し、

大使館を設立する為に日本に渡った。

言葉も分からない、

右も左も分からない、

泣いて暮らした日もあったと言う。


でもサンコンは

持ち前の明るさで乗り切ってゆく。


そう❗️原点は怪我した足を

何度も何度もさすってくれたお母さん。

早く良くなれ、早く良くなれ、と

涙をポロポロ流して、

足にシアバターを擦り込んで

治そうとしていた大好きな母。


サンコンは

日本で3人目のギニア大使となり、

その後、フジテレビ笑っていいとも

で、大ブレイクする‼️

私もその頃は、そんな事は知らず

テレビを見ていた中学生でした。


サンコンは障害者二級。

その負けじ魂と優しさは

日本の皆様から愛されている。

もちろん私もその一人だ。


オスマン・サンコン第3夫人

歌手 北山みつき

 

 

人生ここが踏ん張り時
という岐路がある
振り返ってみると
辛いけれど楽しい思い出かもしれない
人のせいにせず
自分でどう切り開いてゆくかだ
そんな力を養いたい