繋がる灯り。
Weekend Cafe“清炉(SEIRO)”の営業を終えて、5月15日(日)から伊勢丹のWeb販売で大分
特集があり、喜多屋の和のタルタルソース“和TaRu(ワタル)”プレーンと新発売の黒ごまセッ
トを取り上げてもらうことになって、その校正をしていました。
カフェで地元の老舗和菓子屋の女将さんと昔の喜多屋の話を聞いたり、校正をする文を読み
ながら喜多屋のことを振り返っていました。
僕がここにIターンをしてからの5年弱の間は、それ以前の5年、、、いや10年と比べても大きく
変化していったはずです。
ゆっくりゆっくり祖父の年齢に応じて衰退を続けていた喜多屋にIターンをしてきた当初、この
広いけれど、修復工事なしで手を入れるには酷い状態の旧商家の、どの部分を活用すること
がまず自分にムリのないところからできていけるのか、、、よく分からない状態でした。
『孫が後を継いでくれるなら、、、』と祖父にも、それから市の職員さんや地元の建設会社にも
相談しながら、少しずつですが喜多屋が辿ってきた時間を取り戻せつつあります。
“清炉(SEIRO)”を営業しているスペースも40年ほど前に叔父さんが喫茶店(あえてカフェで
はなく)をしていた場所でした。
物心ついたころには既に営業はしていなかったけれど、名残がそれでも遠い記憶の中にあり
ました。昭和の香りのする、今ならレトロと言われる雰囲気、、、。
でも30年以上の埃が積もった喫茶店には、そのまま使えるモノはもう残っていませんでした。
当初は僕自身も“清炉(SEIRO)”としてオープンを考えていなかったので、喜多屋のオフィス
として外商の拠点にする予定で、自分自身も含め楽しめて、来客時にも喜多屋を自慢できる
スペースにしたくて、自ら(スケッチを描く程度のモノですが)仕様を決めてデザインしました。
結局は個人で外商をしているとオフィスとしての使用頻度が少なく、『地元の“食”を喜多屋で
も提供できる場が欲しい』との気持ちが重なって“清炉(SEIRO)”をオープンさせたのが去年
晩夏です。
喜多屋の建物の歴史が明治からおよそ130年。喜多屋としての歴史は江戸時代からだから
それ以上。
ここから先、喜多屋が一番輝いていた時代と同じ光はもう取り戻せないかもしれないとは思う
けれど、でも消えかけていた灯りを新しいロウソクに移して、また繋いでいけるように、時代に
合った喜多屋の形を探していきたいと思います。
