近年、パチンコ台の影響か?前田慶次郎が人気のようだ。
同じように、真田信繁(幸村)もそうである。
両人とも、赤い具足(甲冑)を着用していた?と言う話があるが・・・。
赤い甲冑で身を固めた一団を「赤備え」と呼んでいる。
「赤」は古代から、魔よけの色として珍重されたようだが、高価な色だった。
漆に辰砂(水銀)を加えることで、赤色に変化するらしいが、その辰砂が一部の地域でしか取れなかったらしい。
現代でも、赤色の塗料は、高価である。
塗料の取引は、容量ではなく、重さだ。
と言うわけで、比重の重い顔料が高くつくことになる。おまけに、隠蔽力というのがあって、赤・黄・白・・・。などの色は、これが弱く染まりが悪い。つまり、たくさん使用することになる。
以前は、「金時具足」などと呼ばれ、今ひとつ人気がなかった赤具足だが、昔は勇者の証し。殿様から許された者以外は、使用・着用は出来なかったらしい。
赤備えと言えば、何と言っても「武田の赤備え」。飯冨虎昌・山縣昌景兄弟をはじめとして、西上野衆の小幡。それを指揮する内藤昌秀(昌豊)。おそらく、それらを踏襲したであろう、真田一族(一時、西上野に身を寄せていた)。などである。
そして、武田氏崩壊の後、武田の軍法を取り入れた徳川家康が、そっくりそのまま?赤備えに編成したのが、井伊の赤鬼こと。井伊直政の軍団。と言うことになる。
画像は、井伊家家中(彦根具足)の「お貸し具足」(有事の際、家臣に貸与する為の物)だったらしい。
頭形(ずなり)の兜だが、日根野頭形と呼ばれる形のもので、あまり高価な物ではなかったようだ。(頭形兜は大きく分けて、古頭形・日根野頭形・越中頭形とある)
井伊家でも、越中頭形は藩主のみ。とされている。
それと同じような決め事で、前立ての「天衝き」(鍬形と書いてるモノもある。昔は、あまり区別してなかったのかも?)
も、金色は、直臣。銀色は、陪臣。となっていたらしい。
(実際は、長さも指定していた。)
この兜。鉢はそこそこ古そうだ。矢による傷跡がある。(試の跡か?・具足の強度保障の為に、鉄砲試などをやった)
また、鉢がわずかに歪んでいる。
実際は、陪臣用の銀の前立てをつけなければ、ならないところを
あえて直臣用の金の前立てを・・・・。
こうして見ると、なかなか飾り映えする姿になってくる。
さて、スピリチアルなことに興味をお持ちの方、必見!
下の画像を見てくだされ…。
白い点々がお分かりだと思います。
知り合い曰く。「オーヴ」だ、とのこと。(自然霊のひとつ、らしい?)
かつて、陪臣の兜が、現代になり直臣の前立てを着けられ、その出世を喜んだ?かは、わかりませんが、数枚撮った写真の中の一枚だけに写ってました。
単なる、偶然か?レンズの汚れか?
私は、判断できません。
気味悪い。とか、感じない方ですが、猫や犬があらぬ空間を見ながら、吠えたり。じーっと見つめたり。
読者の皆さんもあると思います。たまーに、「不思議?」ってこと、あるんですよねぇ。
まぁ、兜であれ。自然霊であれ。うれしい!と感じてくれたんだったら、それで「良し!」
台風の過ぎ去ったあと、晴れ間があれば韮崎の武田八幡・甲府の善光寺。東光寺・・・。など行こうと思ってましたが、いまひとつ天候がハッキリしません。
今日は、生後3か月を迎えても、飼い主さんの決まってない「北の由布姫」(因みに、武田勝頼の母・諏訪御寮人のこと。新田次郎の武田信玄では、湖衣姫。井上靖の風林火山では、由布姫。)と終日遊んでましょか・・・・・。
柴犬保存会の趣旨を理解していただける方でしたら、里子に出しても・・・・?などとも考えてます。
カミさん曰く。「やっぱり、この子。残る運命だったみたい・・・!」
だって。
それじゃ。あなたが飼いなさいよ!って言いたい所だが。それって意味ないですよねぇ? (^o^;)