65回 足尾銅山鉱毒事件 ~田中正造と山本太郎の違い~ | 日本人のための近現代社会

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 今回は5の倍数回という事で歴史の流れからは少し離れまして日本で初めての公害事件である足尾銅山鉱毒事件における田中正造について解説していきます。 


動画解説

ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm27826185

ようつべ https://www.youtube.com/watch?v=LudZ8PGhkto


 僕の動画でも解説したように明治時代の日本は急激な近代化によって列強の仲間入りを果たしました。しかし、急激な近代化には当然副作用も伴います。

 足尾銅山では日本の銅の産出量の4分の1から半分という莫大な量を産出していました。そして採掘した銅を精錬する時に出る有毒なガスや金属が川に垂れ流されてしまっていました。そのせいで川でアユが大量死したり、周辺地域で農業をすることができなくなったりといった深刻な影響が出てしまっていました。

 そんな状況で1890年に地元出身の衆議院議員田中正造が立ち上がり、何度も国会で質疑や答弁を行い地元の悲惨な状況を訴え続けます。しかしながら当時の日本は日清・日露戦争を控えた状況で鉱山を閉鎖するという選択肢は取りたくても取れないというのが実情でした。当時、銅は貴重な輸出品でしたから、もし足尾銅山が閉山ということになったら日本の貿易収支が大変なことになってしまいます。だから日本政府としては見て見ぬふりをせざるを得ないというのが正直なところだったわけです。


 そんな状況の中、田中正造は10年もの間国会質疑や講演会などを通して鉱毒事件を訴え続けますが政府はなかなか動いてくれません。そこで1901年田中正造は最後の手段に出ます。帝国議会から帰る途中の明治天皇に対し、足尾鉱山鉱毒事件について政府として対応するよう直訴を行ったのです。

 天皇への直訴なんてのは当時死刑が当たり前でしたから、それを承知で直訴を行ったこの事件は当然広く世の中に知れ渡り、直訴状の内容も広く国民に知られることになります。

 田中正造は自分の命を犠牲にしてでも世論に訴え、何とかして地元住民を救おうと考えて行動したと言えるでしょう。

 ちなみにこの時、田中正造は家族に迷惑がかからないよう絶縁状を送り、死刑になる前提で遺書まで書き遺していました。それだけの覚悟をもってやった行動だったわけです。


 さて、本来なら比べるのもおこがましい話なのですが、現代でも天皇陛下に対して直訴を行って話題になった山本太郎という人物がいるので比べてみましょう。

 まず、一番大きな違いは今と当時の天皇の立場の違いです。当時は天皇主権であり、天皇が直接政治を行ってはいなかったものの、少なからず影響力はありました。だからトップである天皇陛下への直訴というのは命を賭けてでもやる意味があったわけです。しかし、今の天皇には何の政治的権限もありませんから山本太郎議員の行動はハッキリいって目立ちたがりのかまってちゃんの暴走としか言えませんよね。

 次に、原発事故と足尾銅山事件の知名度の違いです。足尾銅山鉱毒事件については田中正造が直訴を行うまでは、国民に広く知られてはいませんでした。だから直訴という大事件を起こす事で国民に現地のひどい状況を知ってもらうという意味があったわけです。対して原発事故についてはどうでしょうか。福島の原発事故については事故直後から大々的に報道されていましたよね。山本太郎の直訴で初めて福島の原発事故のやばさを知ったぜなんて人はいないでしょ。ハッキリいって反原発のためのただのパフォーマンスでしかないわけです。

 また、直訴を行うにあたっての覚悟も全く違います。田中正造は衆議院議員を辞職した上で死刑になる前提で家族との縁を切り、遺書まで残しています。対する山本太郎はどうだったでしょうか。議員を辞める気も無ければ、自分の命どころか政治生命をかける覚悟すらありません。さらに、直訴について批判された時には、「メディアが騒ぐせいで天皇の政治利用に見られる」などとのたまって俺は悪くないとの主張までしていました。これじゃあ話にならないですよね。

 

 ちなみに田中正造はすぐに警官に取り押さえられ直訴自体は失敗します。しかし、政府は単にとち狂った馬鹿が馬の前でよろめいて転んだだけだとして罪には問わず、その日のうちに釈放されています。

 

 福沢諭吉はその著書学問のすすめの中で「暴力ではなく正論で訴えてくる者に対して暴力で潰すという事をやってしまえば自分の誤りを認めてしまうことになる。だから手荒なことはできない。ましてや、それが命懸けでやっている事ともなれば、よほど冷酷な人物でない限り心を動かされるものである。だから正しい事であれば粘り強く訴えていかなければならない」と述べていますが、田中正造はまさにこれを実践して見せたわけです。


次回はクリスマスということで12月24日にキリスト教を使った白人の侵略活動について解説していきます。


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