

河内木綿をつむいでいる女性を中心に、そして周囲を市の花「キク」をデザインしたマンホールです。
女性の下にあるマークが八尾市の市章です。河内木綿は八尾市の伝統産業です。
女性の下にあるマークが八尾市の市章です。河内木綿は八尾市の伝統産業です。
八尾市の豆知識
由来その昔、このあたりの西郷(現在の山城町)という所に、一羽のうぐいすが住んでいました。毎朝飛んできては一本の木にとまり、一生懸命さえずります。その声はたいへん美しく、しみじみとした味わいがあって、聞く人を感動させずにおきません。不思議なことに、このうぐいすには、尾羽根が八枚もありました。「八ツ尾のうぐいすとは、これはまた珍しい」と評判になったのはいうまでもありません。やがて誰からとなく、うぐいすがとまる木を「八尾木」と呼ぶようになりました。
長い年月が過ぎて、うぐいすはいなくなってしまいました。けれど八尾木の名前は残り、いつしかこの村を『八尾』と呼ぶようになったということです。
河内木綿
河内木綿は、江戸時代の初め頃から明治の終わりにかけて、八尾を中心とした河内地方産の綿で手織りされた木綿であり、江戸時代の初めにはすでに久宝寺木綿、三宅木綿、山の根木綿など、昔の村や地域の名で呼ばれ、それぞれの地域で特色のある製品がつくられていました。
特に江戸時代半ば以降は、大和川の付け替え(宝永元年1704年)によってできた新田の地質が綿づくりに適していたこともあって、ますます綿づくりが盛んになり、河内の産業として全国的に知られるようになりました。
河内木綿は、江戸時代の初め頃から明治の終わりにかけて、八尾を中心とした河内地方産の綿で手織りされた木綿であり、江戸時代の初めにはすでに久宝寺木綿、三宅木綿、山の根木綿など、昔の村や地域の名で呼ばれ、それぞれの地域で特色のある製品がつくられていました。
特に江戸時代半ば以降は、大和川の付け替え(宝永元年1704年)によってできた新田の地質が綿づくりに適していたこともあって、ますます綿づくりが盛んになり、河内の産業として全国的に知られるようになりました。
※以上の情報は、八尾市のホームページより引用しています。