昭和の全女を盛り上げたレスラーの一人で女子プロレスの歴史を変えた功労者でもある。
女優、歌手として芸能界で活躍していたが、78年にプロレス入りする。
ビューティーペアが人気絶頂で中高生の女性ファンで盛り上がっていた時代である。
一説によると全女は次期スター候補として勝ち気でケンカが強い杉田かおるを誘ったが代わりにミミが全女入りしたという噂もある。
入門も26歳と遅く、体も華奢でなかなか勝てず87連敗を喫するが、元ボクサーのコーチの指導の下、レスラーとして開花する。
81年2月にオールパシフィック選手権で池下ユミを下し初のチャンピオンの栄冠に輝くと美形レスラーとしてセクシー路線で人気を出す。プロレスラーとしてヌード写真集を出したのはミミが最初である。
しかしリング外での苦悩も多かった。ジャッキー佐藤とビアンだという噂が広まり、ジャッキーのファンからカミソリを送られることもあった。
某番組でマキ上田が引退の理由を「ジャッキーに好きな人ができてプロレスに集中しなくなった」と回顧していたが・・・
また、某雑誌でリンコスの下に何もつけてないと発言し、場外乱闘の際にファンに股間に手を入れられることもあったとか。
何より際立ったのはミミのやられぶりである。悪役レスラーに散々痛めつけられ最後に一瞬の隙をついて逆転で勝つという図式だったが、やられぶり見たさに会場に押し掛けた男性ファンも多かった。
最近はやられぶりが目につくというレスラーも少なくなったが。