早起きしたものの、約束していた10:30までには予想以上にやることがあり、準備に追われている間にあっという間に時間が過ぎた。意気揚々と孤児院へ乗り込むと、ソフィアとビーが出迎えに部屋の外に出ていてくれていた。ビーは帰国前日、夢の中で自分を泣きながら見送る夢を見たらしい。その瞬間、自分が生徒の中で大きな存在となっていたことを実感し、たまらなくうれしかった。ただ、実際には泣かなかったが(笑)すぐに昼食の時間だったので、一緒に食べようとすると、コンピューターの先生とばったり出会い、少し話しこむことに。基本的に自分のいる孤児院で働いている先生は、オーストラリアのNGOから仲介を経て働いている2年が最大の契約社員らしい。それを聞いてまた、カンボジアでの仕事事情の厳しさが頭をよぎった。そこで、意外なことを耳にした。前回のブログで「孤児院の子供で勉強の嫌いな子はいない」と書いたが、年齢の低い子供達の中には勉強をする意味がわからないため、勉強嫌いな子も一部いるらしい。しかし、良い成績をとるとご褒美に何かを買ってもらえるらしく、大半の生徒成績は優秀らしい。今がちょうどテスト結果の出る時期らしく、成績を提出しにきた生徒の成績をみるとクラス2位とすばらしいものだった。どんな環境にあろうと要はやる気が大切だと改めて教えてもらった気がする。契約社員での先生の給料はそこそこいいらしいが、それらの子供達をやる気にさせるために、あれこれ頭を悩ませ、準備に多くの時間を費やすために、給料の割に合わないらしい。子供たちが待ってくれていたので、話もそこそこに切り上げ昼食にすることに。ご飯も山盛りについでくれてかなり手厚くもてなしてくれた。外の木陰にあるテーブルをみんなで囲んで高校生達とたわいもない会話をしながらの至福のときだった。その後も敷地内に止まっていたトゥクトゥクに乗って、雑談をすることに。みんな終始笑顔が絶えず、本当に楽しかった。それからは、サッカーをしたり、先生と会話(本の寄付に関して)をしたりネットルームで皆の様子を見学(皆フェイスブックやyoutubeで音楽をチェックしていたりと普通の子供達と同じことをしていた。)しているうちに、もう夕方の授業の時間に。今日は前回好評だったクイズをすることに。しかし、今日は6人しか生徒が集まらずこじんまりとやることに。メンバーは多少変わっているが、さすがに2回目とあってそれほど盛り上がることはなかった。要領もわかってきていたので、予想よりも早く終わってしまった。そのため、残った時間は子供達と遊ぶことに。皆、好き好きにおもちゃを選んでわんぱくに遊び始めた。景品を手渡すと皆満面の笑みで、喜んでくれてこっちまでうれしくなった。ただ、朝から時間をかけ、和紙で作った折り鶴は、全員に配ったが、意外にも反応が薄く、少しショックだったが^^;今日は最終日と言うことで、昼食に引き続き夕食も子供達と一緒にとって帰ることに。帰り際には、普段はシャイそうにしていた女の子も声をかけてくれたり、皆大声で「さよなら」と見送ってくれたりして、本当に最高の場所でインターンをすることができてよかった。孤児院を離れるときは、また明日普通に足を運ぶかのようで、全く離れるという実感がなかったが、帰宅してから急にふと冷静に考えるとたまらなく切なくなってきた。もう会えないと思うと胸が苦しくなる。帰りの空港までは、現地のアイセッカーが車で送ってくれる予定だったが、まさかのパナの不手際により、自分で空港まで帰ることに。やっぱり海外のアイセッカーは適当すぎる^^;ゲストハウスを出発する際には、わざわざ隣人のキーからプレゼントまでもらい、ゲストハウスの管理人家族が見送ってくれた。日本人と同じくシャイなために、最初はかなり無愛想に感じ、心を開いてくれるまでは時間がかかったが、こちらから笑顔で日々接するようにすると自然に打ち解けていた。カンボジア人は本当に心温まる人々だった。早く帰りたいと思っていた時期もあったが、今は明日も孤児院に行って子供達に会いたくてしかたがない。このインターンを通して、NGOの職員と言う道ではなく、長期休暇に孤児院を訪れ、孤児院の子供たちのサポーターとして貢献していくのもありだと思うようになった。自分にとってはベストなのかもしれない。子供たちのあの何でも許してしまいそうな笑顔にもう会うことができないと思うとつらい。今、思えば、出国をもう一日ずらしておいてもよかったなと思えてくる。全十二回の授業を一人でやると言うことで、初めは責任感と英語も伝わらない場所で一人で暮らす孤独感が重なり、本当につらいものだった。しかし、子供達と出会って以来、つらくても何か貢献したいという使命感が生まれ、それが次第に和らいでいった。帰国後は、いかに自分が恵まれた環境下あるかということを、深く心に留め、自分も子供達に負けないよう勉強をがんばっていきたいと思う。帰国後もつかの間、来週には期末テストが控えているので、まずはそれに全力を注いでいきたいと思う。

OIアイセッカーのみなさんへ

先ほど無事日本へ帰ってきました!遠くからいろいろとサポートありがとうございました。おかげさまで今回は満足のいく充実した研修にすることができました^^機会があればもう一度研修に参加したいくらいです(笑)それではまたリインテでお会いしましょう^^

今日は孤児院に到着して授業が始まるまで、敷地内にいたトゥクトゥク(乗合タクシー)ドライバーと話す機会があった。大学では英語を専攻していたらしく、かなり流暢な英語を話していた。しかし、彼も孤児院出身らしく、いろいろと過去の苦労話をしてくれた。両親は農家を営んでいるが、稼ぎが十分でなく、養育費も払えないために孤児院に預けられたという。孤児院の子供達によく見られるケースだった。基本的に、孤児院の子供達にはスポンサーとして、学費を援助してくれる第三者が一人につき数人ついているのだが、それも高校卒業まで。大学へ行くためには両親の援助を得る必要がある。しかし、彼の家庭にはもちろんそんな余裕はなく、大学の授業が終わってからは、毎日アルバイトをし、学費は全て自分で稼いだという。もちろんそんな生活をしていては友達と遊ぶ時間も勉強をする時間もない。そんな中でも、4年間の間は、1日2時間の勉強は欠かさず、一日3~4時間の睡眠でなんとか乗り切ったという。卒業後はホテルマンとして働いていたが、土日もほぼ休む暇がないほど激務な上に、生活ができないほどに薄給だったため、1年でやめてしまったらしい。日本ではホテルマンというとかなりいいイメージを連想するが、カンボジアでは事情が違うらしい。以来、ドライバー職をやっているらしい。それでも、給料はホテルの2倍ほどはあるということだ。そう熱く語る話しぶりから、生活を送るためにどれだけ、必死だったかが、ひしひしと伝わってきた。そんなガッツがあり高学歴で、語学も堪能な人が、能力も学歴のいらないドライバーの仕事をせざるを得ない。それが、今のカンボジアの実情だ。能力があっても、学歴があっても会社の数の少ないカンボジアではビジネスマンになるのはなかなか難しいらしい。漫然と学生生活を送ってサラリーマンになれる日本とは180°違う。今の日本での生活がどれほど恵まれているか、今までの自分の考えがどれだけ甘かったかを改めて知らされた。その後は授業へ向かうことに。教室に入った時点では、鍵を開けてくれた一人の生徒を除いて誰もいなかったが、10分ほどするとポツポツと生徒が集まり始め、12人集まった。今日は日本グッズ(おぼん、こいのぼり、風鈴など)と昔遊びグッズ(こま、だるま落とし、福笑い)を用いて、日本の文化を紹介することに。前半の部分は説明ばかりだった上に、準備はしたもののうまく説明できず内容がしどろもどろになる部分もあって生徒たちはつまらなさそうにしていた。しかし、後半はみんなにそれらを体感してもらう時間にすると急に元気になり始めて、みんな夢中になって遊び始めた。あちこちから呼び声がかかっててんやわんやな状態だった。器用なもので、自分が子供のころには苦労したコマ回しやだるま落とし、けん玉をいとも簡単に使いこなして見せていた。子供は遊びの天才だというのは本当みたいだ。たいがいの昔遊びは子供達は知っていたので、ルールを説明しなくても各自でそれぞれ楽しんでいた。なんとも楽しそうに遊ぶ姿に、おもわず笑みがこぼれ、こっちまでテンションが上がった。去り際に、ありがとう!と日本語で満足そうにあいさつして出ていく姿もまた愛らしかった。最近、孤児院へ行くのが楽しみでしかたない。帰るときにはいつも後ろ髪を引かれる思いに駆られる。一時は授業をどう進めていけばいいのかわからず、買い物だけが唯一の楽しみであったが、今はその授業自体が楽しみの一つとなっている。満ち足りた気分の中、明日も来ることを約束し、帰宅することに。


7/4(月) ~残り5日~

今日は紙芝居をみんなで作ることに。各自で予め用意したイラストの絵を描いてもらい、それを集めて一つの紙芝居にして朗読するという予定だった。しかし、到着したころには、アメリカから来たNGOの人達(10人くらい)と子供達が皆スポーツをして遊んでいた。その影響もあって、今回も前回と同様に生徒が一人しか集まらなかった。しかし、今日は偶然にも香港からの同じプロジェクトメンバーが2人視察にきていたので、彼らも巻き込んで授業をすることに。前半は唯一の生徒からカンボジア語(数字)を教えてもらうことに。カンボジア語は言葉の構造自体はシンプルなのだが、発音に関しては、巻き舌にしたり、空気の抜けるような音を使うので難しく感じた。その後は、かろうじて歌のレッスンの教材を持っていたのでみんなで歌「世界に一つだけの花」の練習をすることに。音楽を流していると、ちらほら子供達が現れ、一時は8人ほど集まった。みんななかなか発音が難しいらしく苦戦していたが、やっと1人歌いきれる子が出てきて、教えていてよかったとうれしい気分になった。日本語を勉強している生徒も見学に来てくれて、自作の日本語教材プリントを見せてくれた。なかなかいいできで、小さい子供達にそれを使って日本語を教えているらしい。今日カンボジア語を教えてくれた生徒も日本語に興味があり、壁にひらがなと簡単な単語を張り付けて勉強していた。今まで訪れた国で、日本語の需要が皆無だっただけに、こんなに日本語への需要があることがたまらなくうれしかった。そして、孤児院の子供たちの日本語への関心の高さから、依然滞在していた、たった一人の日本人スタッフの影響の大きさをひしひしと感じた瞬間だった。その後は、高校生の子供達とバレーボールをすることに。バレーボールのプレイは散々で醜態をさらしてしまったが、楽しかったから万事OK。その後は、インターンが知らぬ間に11人も集まっているらしく、ディナーに誘われたが道中でドライバーが道に迷い、その上大雨まで降ってきたので結局参加を見送ることに。残念に思って帰ってくると、ちょうど仲のいい隣人(キー)とばったり出会い。3日連続で夕食を共にすることに。今日は外食ではなく、部屋に集まって食べることに。メニューは川魚を野菜で包んで食べる形式のものだった。よく焼き肉を野菜に巻いて食べるが、それの魚版といった感じだった。カンボジアでは海の幸は高く、川の幸は安いらしい。ただ、においは強烈だった(何度石鹸で手を洗ってもにおいが落ちないほど^^;)が、味は一緒につけて食べる甘辛いたれが絶品で白ご飯にベストマッチだった。食事中の会話から、カンボジアについてより深くしることができた。アイセッカーの様子から、カンボジアの大学生は全員英語がペラペラだと思い込んでいたが、カンボジア人で英語をしゃべれるのはいい大学に行った学生のみらしい。また英語教育は10歳から始まるらしいが、会話のクラスはないために、一般的に幼いうちから英会話学校に通うらしい。彼(キー)も裕福な家庭の出身であるため、幼少期(7歳)から英語の学校に通い勉強をしていたらしい。でも先生がカンボジア人であったということでやはり発音はなまっている。教育に関しては、カンボジアでは都市部に住む人のみ(2~3割のみ)がきちんとした教育を受けられるが、田舎の人々は農業で低所得な上に、学校がない。都会の学校に行こうにも生活費が高くてできないという。田舎でも、会社員の家庭は、子供の教育のため、家族ごと都会へ出てくるケースが多いようだ。しかし、農村であっても将来の収入のことを考え、長男のみは大学へ行かせるというのが、最近の傾向だということだ。また、こちらでは映画館なるものを見かけないために、その理由を問うと、皆DVD(1,5ドル)を安く購入するため、映画館へ高いお金(5ドル)を払ってまで行く習慣はあまりないようだ。現在は首都でも、映画館は2つしかないようだ。また、DVDの製品はすべて中国から輸入しているため、カンボジア語での字幕や音声はなく庶民は手を出さない代物らしい。そもそもカンボジア映画といったものが、少ないらしい。おいしい食事をごちそうしてもらい、今日も満足のいく一日となった。あ~気がつけばもう4日しかない・・・。明日は朝から孤児院に遊びに行くことに。残りの時間はできる限り子供達と接して過ごしていきたいと思う。