<ニューイングランド地方>

 ボストン市内観光を終えて、これからは、ニューイングラ

 ンド地方をレンタカーで巡ることにする。

 ニューイングランドとは、アメリカ北東部の「6」つの州(

 メイン・ニューハンプシャー・バーモント・マサチューセッツ

 ・ロードアイランド・コネチカット)のことを言う。

 このニューイングランドという地名からもわかるように、

 ヨーロッパそれも特にイギリスからの移民によって開拓

 されたことから、イギリスの面影が色濃く残っている。

 またこの地は、アメリカの独立の原点の地でもあり、歴

 史が大好きな私にとって興味深い地でもあった。

       < ニューイングランド マップ>

 

<レキシントン>

 ボストンから侵攻してくるイギリス軍に、農民兵(独立軍)

 が放った一発の銃声が、独立戦争に突入するきっかけ

 となった町。このことから町全体が歴史保存地区に指定

 されている。

●レキシントン グリーン

  侵攻してくるイギリス軍を迎え撃ったところで、今は公園

  になっている。

 

●ミニットマン像

 独立戦争で主役を演じた農民兵。平時は農業に従事

 ていて、何か事があると1分間(すぐにという意味)で

 戦える体制がとれることからこの名がある。

 

●クラーク邸

 独立時代当時のままの姿を留めている家

 

   <コンコード>

 レキシントンと同様、ここも独立戦争の火ぶたが切られ

 た町で歴史保存地区に指定されている。

 またこの地を世界に知らしめたのは、アメリカ文学の名

 作「若草物語」の舞台になったからである。

 

●オーチャードハウス

 若草物語の原作者ルイーザ・メイ・オールコットが25年

 間暮らしていた家。左手奥には哲学者であった父の書

 斎が残っている。

   ・・・若草物語・・・

 アメリカ東北部の町コンコードのマーチ家には4人の

 姉妹がいた。

 美しくおっとりした長女メグ、小説家志望の次女ジョー

 、画才に富んだ三女エミー、体が弱い四女ベス。

 隣町に住む青年ローリーとジョーとの恋愛、ベスの死

 、求婚を断って家を出て作家活動に専念するジョー、

 エミーとローリーの結婚・・・。

 多感な若い女ごころを情緒豊かに描いている。

                                                   ▲オーチャードハウス

 

●ヴェイサイト邸

 一時的だが、オールコットや思想家ホーソンも住んでいた。

 

●ヴォールデン湖

 釣りや水浴も出来るという

 

●スリービー・ホロー墓地

 若草物語のオールコットや思想家のエマーソンらが眠

 っていると言うので探したが見つからなかった。

 

●オールドノース橋

 長さ50mほどの小さな木造の橋だが、1775年イギリ

 ス兵と独立農民兵との激戦地(古戦場)。

 橋の袂にはミニットマン像が建てられている。

 

●エマーソンの家

 超越主義を唱えたアメリカ ルネッサンスを代表する思

 想家。

 

●コンコード美術館

 

●旧牧師館

 内部は独立戦争当時の様子がそのまま残されている。

 

  <ポーツマス>

 ニューハンプシャー州の大西洋に面した小さな港町。

 1905年(明治38年9月)、この町で、日露戦争の終

 結を宣言する講和条約(一般的にはポーツマス条約)

 が全権大使小村寿太郎によって結ばれた。

 しかしこの条約に関する遺跡はなく、当時大使が寄付

 した1万ドルが慈善事業の基金に今でも使われてい

 るとのことだった。

 講和条約が結ばれた町ということで立ち寄ったが見る

 べきものは何もなかったが、とにかく町はきれいだった

 ことが印象に残っている。

 

  <オーガスタ>

 ポーツマスで道路地図を広げていたら「オーガスタ」の

 文字が眼に飛び込んできた。

 あの全米のゴルフ大会が開かれるオーガスタはこんな

 ところにあったんだ、と早合点してしまった。

 来てみると確かにオーガスタ カントリークラブはあった

 が、世界のゴルフ大会が行われるような雰囲気ではな

 かった。恐るおそる聞いてみると、

   「そのゴルフ場はここではなく、フロリダだよ」

 と大笑いされてしまった。

 がっかりしていると、娘が「失敗だったネ、でもこの旅は

 忘れられない旅になるよ・・・」と慰められ、記念に写真

 を撮り一件落着した。

 でも帰国して、オーガスタへ行ってきたよ、と言っても

 わからないね、とまた笑った・・・

 

●オーガスタ・カントリークラブ

 

  <ポートランド>

 水産業が盛んでメイン州で一番大きな港町。

 そしてここポートランドは、東京品川区の大森貝塚の発

 見者の町で、品川区とは姉妹都市になっている。

 夕食は船上レストランで特産のロブスターを頬張った。

 

●ポートランド灯台

 1870年建造のポートランド市のランドマーク。

 ガイドブックには「ライトハウス」とあるが、現地の案内

 標識には「フラッシュハウス」で探すのに苦労した。

 

●ビクトリアマンション

 貿易で財をなした人たちの別荘で、一部公開され観光

 名所にもなっている。

 

●各州のナンバープレートを集めた喫茶店

 プレートには州の特産品などが描かれている。例えば

 メイン州は「ロブスター」というように・・・ 

 

●道路標識あれこれ・・・

 

 ①は、この道(国道25号線)は南の方角に走っています

  という表示

 ②は、この先で1号線と4号線が交差することを示して

  います。

 ③は、この先で1号線と交差するので、左車線に寄って

  くださいという表示

 日本では、矢印の方角に都市名(地名)が表示されて

 いるのが普通ですが、アメリカでは都市名ではなく方角

 です。それは、日本のようにすぐ近くに都市(町)があれ

 ばいいのですが、50kmも100kmも先でないと町が

 ないアメリカでは方角を示すしかないのです。

 

 <セイラム>

 訪れた時は天気も良く、老後に住むにはいいところだネ

 などと、とりとめのない話をしていたが、つい100年ほど

前には「魔女狩り」が行われていた恐怖の町だったのです

●魔女博物館

 魔女狩りや魔女裁判の様子をろう人形を使って再現

 解説している。日本語のカセットも用意されている。

   <魔女狩り>

 18世紀のはじめ、ここニューイングランドの田舎町「

 セイラム」には、何の娯楽もなく、子供たちの唯一の

 楽しみと言えば、黒人奴隷のおばあさんが器用に操

 る手品を見たり、少々神がかり的な作り話を聞くこと

 くらいであった。

 そんなある日、一人の女の子が突然狂ったように「(

 特定な名を挙げて)私は、000に魔法をかけられ魔

 女にされてしまった・・・」と大声でわめき散らし、不可

 解な行動をとるようになった。

 村人は、その女の子が、なぜ逢ったこともない人の名

 を知っているのか、子供には到底出来ないことがそ

 の女の子にはできるのか、と不思議に思うと、やはり

 000は魔女だからと、人々は次第に疑心暗鬼に陥り

 、ちょっとした不可解な行動にも魔女の烙印を押し、あ

 げくの果てには訴え投獄するようになってしまった。

 こうした風潮の中で「自分だけは魔女ではない」ことを

 証明するために、他の人を陥れ村はパニックになって

 しまった。

 こんなことが何年か続いた後、その女の子の言動は全

 くの作り話であることがわかり、また静かな村に戻るの

 である。

 それにしても、人の心というものは、いかに弱くもろいも

 のか、何とも高い代償を払ってしまったものである。

●魔女狩りで使われたギロチン台

 18世紀に本当にあった魔女狩りを題材に町おこしを

 進めていて、町のあちこちにゆかりのスポットが点在

 している。

 魔女裁判の裁判官の家、魔女の牢獄、魔女の人形と

 町中は魔女一色である。

 

●ヘリテイジトレイル

 この町でもボストンのように、道路に赤い線を引いて観

 光できるようになっています。

 

●アメ車、左ハンドルそしてハイウエイ・・・

 高校生の頃だったか、左ひじを車の窓に置き広く長い

 ハイウエイを突っ走る映画のシーンを思い出した。

 いいなー、してみたいなー・・・と憧れもしたが、今こう

 して実体験していることが夢のようである。

 

  <プリマス>

 ボストンから南へ1時間ほどのところにある小さな港町

 だが、ここはヨーロッパの清教徒らの移民を乗せたメイ

 フラワー号が最初に上陸したところとして、世界史に大

 きく名を残した。

 訪れた日は生憎の氷雨だったが、移民の苦労を思うと

 寒さもあまり気にならなかった。

 

●復元されたメイフラワー号

 意外と小さかったメイフラワー号。

 長さ約15m・幅6mほどの木造船で、200人も乗せ

 2ケ月かけて大西洋を渡ってきたという。

▲メイフラワー号が着いた年(1620)を記念して造ら

  れた石碑

  

 

●プリマスプランテーション

 イギリスやヨーロッパから渡ってきた移民の生活を再現

 したテーマパーク

 

▲パーク内では職人の実演が見られる

▲グランベリー

 B玉よりやや小粒の丸い水生植物。

 新天地を求めて渡ってきた移民たちは、慣れない土地で

 餓えと寒さで次々と倒れていった。そんなとき土着のイン

 デアンからこの地で多く自生している小さい果実(グランベ

 リー)の栽培や貯蔵の方法を教えてもらい危機を脱した。

 テーマパークの近くの博物館では、グランベリーのジャム

 の作り方が見られ購入もできる。

 

  <サンドイッチ>

 鶴の口ばし状に伸びた岬の付け根にあるこの町は、岬の

 観光の基地であると同時にガラスの町としても知られてい

 る。しかし今はガラスの製造はなく、20世紀初頭に絶えて

 しまった。

●ガラス博物館

 ガラスは博物館の中で製造しているだけ。即売もして

 いる。

 

  <プロヴィンスタウン>

 コット岬の突端にある町。夏のリゾート地で人影はまばら

 だった。

 砂防林の中ほどに砂丘保護センターがあり、中は資料

 の展示と展望室になっている。

 ●砂丘保護センターの展望室

 

  <ニューポート>

 かつては、ベスト5の一つに数えられていたほどの貿易

 の町だったが、今はその海や港を活用した高級マリン

 リゾート地として知られている。

 しかし何と言ってもこの町を有名にしたのは、全米テニス

 の発祥の地ということであろう。

 今そのセンターコートは整備され博物館になっている。

●センターコート

 見学に訪れたのは朝の9時だった。

 しかしオープンは10時であと1時間も待たねばならな

 かった。すると娘が、両親が帰国する記念に見学した

 いと告げると、写真を撮るだけならと特別に入れてくれ

 た。わがままを言ってすみませんでした。

 

●レインボーブリッジ

 小島の中にあるニューポートの町と本土を結ぶ巨大な

 橋「レインボーブリッジ」を眺めながらの一休み・・・

 ツアーの旅では絶対に味わえないひと時である。

 

●バイキイングホテル

 ニューポートでの泊まりはバイキングホテルだった。

 このホテルは全米で100本の指に入る歴史的名ホ

 テルで、多くのアメリカ大統領も利用している。

 それなのに料金は86ドル08セントだった。それも

 3人でですよ。シズンオフからですか?

▲バイキングホテル

 このホテルを最後にニューイングランドの旅を終え

 ボストンに帰った。

  ▲娘のホームステイー先のホリーさん一家

    娘のお礼に伺うと夕食に招待してくれた

 

  ニューイングランドの旅を終え一息ついていると、娘が

  「アメリカでどこか行ってみたいところある・・・」と話しか

  けてきた。

  あるよ、ナイアガラの滝とグランドキャニオンだけどツア

  ーがないから諦めているよ・・・

  すると娘が、何もツアーでなくても簡単に行けるよ、と言

  うので決まった。

  グランドキャニオンまでは欲張りにしても、ナイアガラが

  叶ったのだから良しとしなければならないだろう。

  訪れた時は一面の銀世界で、観光客も殆ど見あたらず

  白いナイアガラを独り占めしてしまったようだった。

  よくもこんなに写したもんだが、それほどナイアガラは大

  きな魅力があるのかもしれない。

▲ナイアガラの滝俯瞰図

▲観瀑ストリートからのカナダ滝

▲アメリカ滝

  後方の湖はエリー湖

国境の橋「レインボーブリッジ」

  橋の中央がカナダとアメリカの国境。右アメリカ、左カナダ

▲ナイアガラ滝の最寄空港「バッファロー空港」

▲ボストン ローガン空港の出国ロビーで

 帰国 さようならボストン・・・

 

    今回の旅のタイトルの根拠

 帰国の機内で、今回のアメリカ旅行のタイトルは何としようか

、と考えていた時機内アナウンスで、成田・ニューヨーク間の距

離は10840kmとあった。

 これを聞いた時、子供たちがまだ幼かった時流行ったアニメ

漫画「母を訪ねて3000里」を思い出した。

 自宅から娘のホームステイー先までを詳しく調べてみると、丁

度12000kmほどになった。

 こうして今回の旅のタイトルは「娘を訪ねて3000里」となった。   

        娘を訪ねて3000里

       アメリカ ニューイングランド周遊の旅