水曜日、
教会の礼拝に参加しました。
わたし以外にも
韓国人のかたが一緒でした。
はじめまして、と挨拶
その女性はとてもパワフルで
なにか、漲っている
生命力みたいな感じでした。
明るく、「会えて嬉しいよ~」と
笑顔を向けてくださいました。
わたしは
なかなかそれが自然にはできません。
つい
計算した考えてからの行動になっています。
相手が嫌じゃないか、考えてしまうのです。
だからこそ
こんな時は勉強になります。
明るく接してもらうと
ビリビリ、感じるのです。
良くも悪くも、明るく自然が
一番だな、と。
あとは相手がどう感じるかだけです。
そんなわたしが今回聞いた話は
「神の御声が聞こえないとき」
御言葉を知らず、
他のなにかを見ているとき。
隠している罪があるとき。
自分本位で行動しているとき。
まさに、自分です。
こんな大事な回なのに
仕事の疲れからか
眠気も襲ってきます。
一生懸命聞きますが、牧師様や他の皆様にも気づかれてしまわないかと心配でした。
わたしの行動を知られているような
気がしました。
鹿島神宮へ行ったり、
わたしは信心できていない気がしていたり
勝手な解釈でかみさまはみんな一つかも、なんて思っている。
みんな、悟られている気がしました。
牧師様は、
「○○さんが深い信仰生活ができますよう、そして家族も救われますよう」
と毎回祈ってくださいます。
うちには仏壇がありますので、家族までは無理ですが
家族に接するわたしの心が
安らかになれたら、というふうに
考えています。
帰り際、奥様と少し話をしました。
「わたしのことみたいです、」と話すと
「誰も同じです。みな経験があります。罪がなければ救いもないでしょ?」
「ゆっくりで、ゆっくりでいいんです。
手紙を考えて。あなたとわたしは知らないけど、手紙を読んだら相手の心を知りますよね。聖書を読むことも同じです。」
今日もピアノにあわせて讚美しました。
わたしは
だんだんここへ来るのを楽しみになってきています。
最近は早く仕事を片付けて、教会へ行こうとするようになりました。
わたしが今のアパートへ越す時
ここに教会があることも
決め手の一つでした。
クリスチャンになろうかと
考えていたこともありました。
「十戒を見て。上は神様。下は人間ですね。今はなんだか自由ですけど、自分の子供が大切な時はダメ、と叱ります。ときに律法は必要かと思います。」
わたしは決まりがほしい、とずっと思ってきました。
職場でもあまり自由よりは
決まりがあると助かります。
わたしは
今朝、わたしはこれで良かったかもしれないと感じ始めているかも、と思っていたら
お天気雨がありました。