久しぶりにブログを書いてみる。
加減がわからないので変な文体で読みにくかったらすみません。
大学を9月に卒業し、早半年。バイトをのらりくらり交わしていたら卒業後に決めていた目標の8割は未達成のままだった。生産的なことをしておきたかったけど、消費することに一生懸命で日々が過ぎていってしまった。コロナも収束の気配が見えず、地元にもまんぼうがやってきた。そんな折、4月から入社する会社の配属先が決まった。配属先は半分期待していなかったが予想の範中でなんと、地元だった。実家からは遠いので社宅に住む予定は変わらなさそうだが、連絡が来てしばらく経ってから何故か自分の人生が狭まった気がして嫌になってきた。というのも地元を出たくて関東の大学を受験し、勉強を全くしなかったため、浪人の末自分にとってどーでも良い大学に入学し、落ち込んで留年までするような私にとって地元にいなさいという知らせはだんだん腹立たしくなってきたのである。たまに帰ってくるから悪い場所ではないとなぞのノスタルジーを感じたりするのであって定着して住むには大層不便な土地なのだ。一年しかその配属先にはいないと決まっているので、すごく落ち込んでいるわけではないのだがなぜか急に上手くできるのか心配になってきたのであった。大学生活を経てなのか、より一層人に対する興味がなくなった。というよりも、あいつの仕事の仕方が気に食わない、あいつが失敗した、クレームが来た責任重大みたいな飲食の仕事をしていて心を守るためにやっていることなのだとは思う。ウェイウェイするノリを出して働くのもキャラに合わないという自分の決めつけでバイトでは必要最低限の会話しかしていないため、同僚からは煙たがられている気もする。
"世界が狭い"
その言葉や定義が相手や自分に当てはまった時
それだけで自分にとっては生きづらいのだと
改めて思う
妙に観察する癖だけは大学で身につけた技術なので人の機嫌を勝手に推測して行動してるだけなんだけど、ありがた迷惑になってないかな?とかそんなかんがえも、些細な出来事が起きるたびに浮かんできてすごく考え込んだりしてしまう
もうすぐ次のステップも見えているし、次の大学四年生の就活も始まるこの時期だからこその憂鬱なのかしらとも思ったり。
と堅苦しく書いてみたけど、全然考えてないそんな時間が1番貴重で幸せなのに。なんてね。
こんなおセンチなテイストになったのは、6人の嘘つきの大学生を読んだからというのもある。
優秀と優秀の泥試合はまたきついのだなという感想で見たくない部分を見てしまった気がして嫌になりましたとさ。
ともすれば、snsで97年生まれの同い年が結婚してたり出産してるのを見かけると急に焦ります
なんのはなし
ではでは@しあわせになるために、最近音楽を全く聞かなくなりました。
