レッスン小咄2
最近のピアノレッスンの内容から。
どういう手で、どういう身体で演奏するのか!?ということなのですが、
まずは。
激しく勢いのある曲を演奏する時に非常にヒジョーにありがちなのが、力いっぱい弾いちゃう病。
自分もそのタイプでした(泣)
一曲弾いただけで疲労困憊。
あと3回も弾けば確実に腱鞘炎一歩手前。
筋肉は硬直し、まるで筋トレしたあとのよう。
でも弾いたぞ!っていう手応えが、なんかあるというか。
やりきったー!という感じ。
でもこれはもちろんマズイ。。。
長続きしません。
上達もしません。
ピアノはたしかに熟練のワザがものをいいますが、
正しく身体の機能に従って使用されないと、
変なクセが表現のジャマをしてします。
自分で自分の首を絞めているようなものです。
今でもふと昔の自分が出てくるときがあって、それが自分の演奏のジャマをすることもあります。。。
最近はすぐに気がつくので、パッと直せると言えば直せますが、まだまだ開発途中。
なるべくどんな時も、力任せじゃない、「本当の」脱力と、脱力しながらも「芯はちゃんと通っている」という弾き方は、どんなスポーツ、どんな身体表現にも通ずる、と思っています。
本当の超一流なピアニストは、見た目が遊んでいるようにしか見えない!!!
動きに無駄はなく、全ては調和している。
そしてそれにはメンタルな部分も大きく作用してきます。
結局生き方にまで反映してくる。
でもそれが本質なんじゃないかなー。
それから。
中指や薬指で演奏する時に小指が上がっちゃう場合。
小指は演奏する指ではないのに上がってしまう=そこに無駄なエネルギーを使ってしまっている=フルートの初期症状に良くある、吐いた息が全部音にならずに息漏れしちゃっているような状態。
他の指でもいいけど、使わない指がいかにリラックスしているかは、非常に重要なんです。
それから手首、肘、肩、おなか。
内腿の感じ方。
足の置き所。
いろいろとあります。
全てはラクに演奏するための、表現しやすくなるためのツール。
自分自身がこれまでカタイ身体と言われ続けて(今でも腰は実際めちゃカタイ。。。)、小学生の時に当時のピアノの先生に「手首がカタイ」と言われて。
更に「生まれつきってものがあるからねえ」と言われて、まあそれが実はトラウマのようになっていたわけです。
直らないってこと?
あきらめろってこと?
いやいやいや。
そうじゃないでしょ!?
て今の自分なら言える(笑)
もちろん生まれつきの、その人特有の骨格からくるものや柔軟さはあるけど、
後天的に直せる(治せる)こともたくさんある。
そこに真剣に向き合うことは、結局浪人時代のピアノの先生まで行き着かないとなかったわけです。
ま、それも先生のせいではなく自分が先生を変える発想がなかっただけだし、趣味のつもり全開でピアノ弾いてたからそこまででもなかったし。
それでもやはり「先生」という存在の大きさは本当に重要だと感じているのは、
教育って本当に大きな事で、その人の人生の一端を担うということだから、
生半可には関われないし、こちらも真剣だということ。
だから良い先生(この定義は人によって様々だけども)にいかにタイミング良く巡り会えるかが大事なのです。
その先生の人生そのものの一部を共有するようなもので、
その先生は更にその先生の人生の一部を、
そして更にその先生の人生の一部を・・・
としていくと、家系図のようにたくさんの人たちで構成され、
そのエキスが自分に集約されているようなものなんだと思うと、
先生が発する一言が実は次元を超えたあらゆる先人たちの言葉としても受け取れる。
自分は先生運が本当に良かったので、そこはラッキーだったし感謝しかありません。
だから自分がレッスンする立場になった時に、頂いた愛情をちゃんとバトンとして渡したい。
・・・・話が飛躍しました(笑)
話を戻す!
クラシックによくありがちな、音を出した後の優雅(?)な動作について。
身体を前後に揺らしたり、指でビブラートかけてみたり。
ピアノにビブラートなんかかかるかっつー話。。。
ちなみに一つだけかかる方法ならあります。
自分で音をのばしている間に首を振る!
自分の耳だけに、振り加減によりますが、かかったように聴こえます(笑)
音を出したあとに来る、その次の音を出すまでの動作がどうなっているのか。
よく観察してみる価値はあります。
アレクサンダーテクニークという、今では表現者なら殆ど知られているメソッドがありますが、
それは俳優のアレクサンダーさんが、リハはスムーズにいくのにも関わらず、本番緊張すると、何故か思ったように声が出なかったり、演技が100%発揮できないのかに注目し、その時に自分の身体がどうなっているか、また自然な状態というのはどういう身体の状態を指すのか。それらを客観視して身体の微細な動きを捉えて、それを体系化したものなんです。
基本的に○○に出来て自分に出来ないことはない!
という考え方なので(だって同じ人間じゃん)、
まずは自分の身体をくまなく観察してみることをオススメします。
もちろん実際にレッスンに通うことは大事ですし、気付きも多いですが、
それをキープするのは結局その本人。
それをどう応用してモノにしていくか。
言うのは簡単。体得とはそんな簡単なものじゃないからね。
でも長い時間をかければいいというものでもない。
その時間をどう過ごすかにかかっている。
質と量のバランスが大切です。
さくっと書こうと思ったのに、結局ながーいブログ(汗)
ピアノの話だったけど、日常生活の何気ない動作そのものを自分で観察することも有効だし、
そこには大きな気付きがたくさんある!
感情の気付きも含めて、辻さんの言葉をお借りすれば、フローな生き方をしたら良いんじゃないでしょうかー!
それではまた。
どういう手で、どういう身体で演奏するのか!?ということなのですが、
まずは。
激しく勢いのある曲を演奏する時に非常にヒジョーにありがちなのが、力いっぱい弾いちゃう病。
自分もそのタイプでした(泣)
一曲弾いただけで疲労困憊。
あと3回も弾けば確実に腱鞘炎一歩手前。
筋肉は硬直し、まるで筋トレしたあとのよう。
でも弾いたぞ!っていう手応えが、なんかあるというか。
やりきったー!という感じ。
でもこれはもちろんマズイ。。。
長続きしません。
上達もしません。
ピアノはたしかに熟練のワザがものをいいますが、
正しく身体の機能に従って使用されないと、
変なクセが表現のジャマをしてします。
自分で自分の首を絞めているようなものです。
今でもふと昔の自分が出てくるときがあって、それが自分の演奏のジャマをすることもあります。。。
最近はすぐに気がつくので、パッと直せると言えば直せますが、まだまだ開発途中。
なるべくどんな時も、力任せじゃない、「本当の」脱力と、脱力しながらも「芯はちゃんと通っている」という弾き方は、どんなスポーツ、どんな身体表現にも通ずる、と思っています。
本当の超一流なピアニストは、見た目が遊んでいるようにしか見えない!!!
動きに無駄はなく、全ては調和している。
そしてそれにはメンタルな部分も大きく作用してきます。
結局生き方にまで反映してくる。
でもそれが本質なんじゃないかなー。
それから。
中指や薬指で演奏する時に小指が上がっちゃう場合。
小指は演奏する指ではないのに上がってしまう=そこに無駄なエネルギーを使ってしまっている=フルートの初期症状に良くある、吐いた息が全部音にならずに息漏れしちゃっているような状態。
他の指でもいいけど、使わない指がいかにリラックスしているかは、非常に重要なんです。
それから手首、肘、肩、おなか。
内腿の感じ方。
足の置き所。
いろいろとあります。
全てはラクに演奏するための、表現しやすくなるためのツール。
自分自身がこれまでカタイ身体と言われ続けて(今でも腰は実際めちゃカタイ。。。)、小学生の時に当時のピアノの先生に「手首がカタイ」と言われて。
更に「生まれつきってものがあるからねえ」と言われて、まあそれが実はトラウマのようになっていたわけです。
直らないってこと?
あきらめろってこと?
いやいやいや。
そうじゃないでしょ!?
て今の自分なら言える(笑)
もちろん生まれつきの、その人特有の骨格からくるものや柔軟さはあるけど、
後天的に直せる(治せる)こともたくさんある。
そこに真剣に向き合うことは、結局浪人時代のピアノの先生まで行き着かないとなかったわけです。
ま、それも先生のせいではなく自分が先生を変える発想がなかっただけだし、趣味のつもり全開でピアノ弾いてたからそこまででもなかったし。
それでもやはり「先生」という存在の大きさは本当に重要だと感じているのは、
教育って本当に大きな事で、その人の人生の一端を担うということだから、
生半可には関われないし、こちらも真剣だということ。
だから良い先生(この定義は人によって様々だけども)にいかにタイミング良く巡り会えるかが大事なのです。
その先生の人生そのものの一部を共有するようなもので、
その先生は更にその先生の人生の一部を、
そして更にその先生の人生の一部を・・・
としていくと、家系図のようにたくさんの人たちで構成され、
そのエキスが自分に集約されているようなものなんだと思うと、
先生が発する一言が実は次元を超えたあらゆる先人たちの言葉としても受け取れる。
自分は先生運が本当に良かったので、そこはラッキーだったし感謝しかありません。
だから自分がレッスンする立場になった時に、頂いた愛情をちゃんとバトンとして渡したい。
・・・・話が飛躍しました(笑)
話を戻す!
クラシックによくありがちな、音を出した後の優雅(?)な動作について。
身体を前後に揺らしたり、指でビブラートかけてみたり。
ピアノにビブラートなんかかかるかっつー話。。。
ちなみに一つだけかかる方法ならあります。
自分で音をのばしている間に首を振る!
自分の耳だけに、振り加減によりますが、かかったように聴こえます(笑)
音を出したあとに来る、その次の音を出すまでの動作がどうなっているのか。
よく観察してみる価値はあります。
アレクサンダーテクニークという、今では表現者なら殆ど知られているメソッドがありますが、
それは俳優のアレクサンダーさんが、リハはスムーズにいくのにも関わらず、本番緊張すると、何故か思ったように声が出なかったり、演技が100%発揮できないのかに注目し、その時に自分の身体がどうなっているか、また自然な状態というのはどういう身体の状態を指すのか。それらを客観視して身体の微細な動きを捉えて、それを体系化したものなんです。
基本的に○○に出来て自分に出来ないことはない!
という考え方なので(だって同じ人間じゃん)、
まずは自分の身体をくまなく観察してみることをオススメします。
もちろん実際にレッスンに通うことは大事ですし、気付きも多いですが、
それをキープするのは結局その本人。
それをどう応用してモノにしていくか。
言うのは簡単。体得とはそんな簡単なものじゃないからね。
でも長い時間をかければいいというものでもない。
その時間をどう過ごすかにかかっている。
質と量のバランスが大切です。
さくっと書こうと思ったのに、結局ながーいブログ(汗)
ピアノの話だったけど、日常生活の何気ない動作そのものを自分で観察することも有効だし、
そこには大きな気付きがたくさんある!
感情の気付きも含めて、辻さんの言葉をお借りすれば、フローな生き方をしたら良いんじゃないでしょうかー!
それではまた。