学生時代の麻雀仲間とセットをした。

朝10時から始めて、朝から酒を飲みながら(なんと贅沢なことか)あれよあれよと夜10時近くまで打って解散。その日は家族への貢献度ゼロであることに罪悪感を覚えながら、よくも(だれも)飽きずにそんだけ打ち続けられるものだと思いつつ、良い趣味とそれを共有出来る良い仲間を持つことができたなあと改めて思いました。

ざっと20半荘ほどで、ペースとしてはぼちぼち。会社メンツだとこうはいかない。もちろん早く回すためにアガリ連チャン、形聴なし、等としてるので、所謂Mリーグルールとは異なる。

ふと思ったのだが、別にどんなルールだろうと麻雀は脳みそで考えずに脊髄反射でどれだけ打てるかは強さであって、それは当然打ち込み量によって鍛えられる。ギターでも英語でもなんでも反復練習である。麻雀も当然打ち込み量による反復だ。点数も牌効率も何切るも、手出しツモ切りや聴牌気配、もっと言えば待ちの色とか、感覚として脊髄で感じられるか。学生時代に只々打ち込んで時間を消費し後悔したこともあったかもしれないが、それは脊髄の反応を強くするという意味で一つの生産性は示しているのかもしれない。雀荘に通いまくった人が基本的に強いのもこれ。おれが麻雀、そしてギターも英語もいまいちなのもこれにつきる。細かな精査はプロだったり一部の人が一生懸命優劣を勉強するのだろうけど、その前提、土台として脊髄でどれだけ打てているか。

乃木坂のかなちゃんが物議を醸すのもここ。私が彼女の何を知っているわけでもないが、タレント業で忙しい彼女が十分な打ち込み量を確保できてるとは思えない。バスケ初めたばかりの天才桜木もやはり絶対的な経験値の差に苦しむ素人であった。そして打ち込み量に自信のある有象無象が視聴者として見てコメントしてるもんだからなおさらタチが悪い。

私の雀風だか私の麻雀と言った戯言を宣うのも良くない。あれって誰かが吹き込んでるの?だれであれ門前高打点がよいのは当然だ。しかしそれは確率が許さないのである。門前高打点派なんてものはないのだ。コバゴーも黒沢も自身のバランスで得と思うことをやっているだけだ。損得はあれど派閥なぞ存在しないのだ。100歩譲って好みという表現かと思うが、伊達ちゃんとか岡田ピーの派閥とか好みとかを明確に表現できないでしょうに、かなちゃんのそれを言語化するのはやはり違うと思う。なお彼女達もまた、おそらく打ち込み量の確保は困難なのだろうけど、数年分のアドバンテージはありそう。そしてとても良い環境で効果的に学習できているということもありそうかしら。伊達ちゃんレベルには打てるっしょと思ってたけど(いつだかのブログに書いた)、基礎レベルとしては差があると思わざるを得なかった。


といったことを、ケーテンなしのルールでケイテンとって、ハイテイならあがっていんだっけみたいなことを酔った頭で一生懸命考えながら思ったりしていました。