さて、フクハラめぐり十勝西部編において最終目的地である河東郡鹿追町に到着です😙


前回の屈足店からは車で15分ほど。

この日、昼の1時に芽室を出発したフクハラめぐりもあれこれ回ると4時間も経過していました…。😅



元々曇り空だったこの日、午後5時近くなり鹿追店に着く頃には看板の電灯も点いておりました💡


鹿追町はフクハラの創業者 福原治平 氏(ふくはら じへい)が1918(大正7)年に生まれた土地で、1946(昭和21)年にフクハラの前身となる藤丸食堂(帯広市の藤丸百貨店とは無関係)をカツ子夫人と共に開業した、始まりの地です。

鹿追店も1号店として、1947(昭和22)年に魚屋を併設させて以降、生鮮食料品を取り扱い、1950(昭和25)年には新得町屈足に2号店を開業。1958(昭和33)年に法人化し株式会社福原商店へ、1960(昭和35)年にはセルフサービス化し今日におけるスーパー フクハラを形作りました。


店内は年季の入った壁画、内装が残りどこか懐かしい空気が流れていました。かつてストアネームがスーパーチェーンフクハラと呼ばれた頃の名残がどことなくあるのかなと感じました。

壁画の撮影に関しては店員様の快い承諾にて撮らせていただけました☺️
この場をもって感謝申し上げます。ありがとうございました🙇‍♂️


続いて訪れたのが福原記念美術館。
福原治平氏がスーパー経営の傍ら、コレクションしていた美術品等を展示する施設として2007(平成19)年に開設されました。こちらも鹿追町中心部にあります。

地元出身の画家神田日勝氏の作品や、鹿追、十勝地方にゆかりのある画家の作品、鹿追産の粘土を使った鹿追焼など多くの美術品が展示されていました。


個人的に目を引いたのは、福原氏が第二次世界大戦下で徴兵され、満州でノモンハン事件に遭遇した経験と、戦後に出来た同じ戦争経験者との関係から譲り受けたという中国の仏像でした。

この仏像は、ノモンハン事件から半世紀が経ち、行う予定であった慰霊祭で両国の平和と戦没者の供養のため、中国政府に返還を目指したものでしたが、1989(平成元)年の天安門事件で実現しなかったとのことでした。

いつか福原氏が遺した平和への想い、その届く日が来ればと祈るばかりです。


福原氏はフクハラの経営から退いた後も、ネパールの貧しいこどもたちの教育に向け、学校建設を支援するなど尽力され、生涯を通して、人々の生活を支え続けました。

2013(平成25)年に94歳でその生涯を閉じました。



今回のフクハラめぐり十勝西部編では、河西郡、上川郡、河東郡の5店舗を巡りました☺️

フクハラめぐりでは少額でも買い物をし、レシートを保管するというのを主な目的としています。これまでに巡ったのは鹿追店までに10店舗。ブログ化していない店舗もあるのでTwitterの方もご覧いただければと思います😌

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ではまた✨

2022.10.11投稿

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