ようやく『特急にっぽん縦断』シリーズを完結させる事ができて肩の荷が下りた気分ですが、次は今年最後のブログとして『2023年最後の乗り鉄』を紹介させて頂きます。

 

JR北海道の2024年3月ダイヤ改正で、道内のローカル輸送の最主力として長年活躍してきたキハ40形気動車の運用範囲が大幅に狭まり、2025年には残る区間も定期運用から撤退するという、北海道の鉄道界の大きなターニングポイントとなります。

 

そのキハ40形の普通列車に乗るため、私は『青春18きっぷ』を駆使して12月26~27日の2日間で今年最後の乗り鉄に出掛けて参りました。それでは、旅行記をどうぞ。

 

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その①:札幌 5:54→旭川 8:54 函館本線923D 

ナホ キハ40 1818+キハ40 1816→旭川

 

まず1本目となるのが、札幌駅を最も早く出発する列車であるキハ40形で運転の923Dである。この列車に乗るためには私、学園都市線沿線民にしてみればハードルが高い。朝イチの電車に乗っても札幌駅に到着するのは6:12。とても間に合わない。

そのため、自宅からタクシーで札幌駅まで出向く事にした。

札幌駅の改札開始時刻は5:40。それより少し前の5:30頃に到着、改札口前で待つ。

 

 

 

改札口が開き、18きっぷにスタンプを押してもらいホームへ上がる。

7番ホームに923Dの車両が入線するのは5:45過ぎだ。札幌駅から旭川駅を結ぶ唯一の下り普通列車である同列車は、苗穂工場で検査を受けた気動車を旭川運転所などへ回送させる役割も持っているが、この日は締切回送の「オマケ」は付いていなかった。

かつてこの923Dのスジは国鉄末期からずっと続いており、キハ40形の他に48形、46形、56系といった他の国鉄型気動車も使われていた時期もあった。しかし2024年ダイヤ改正以降はH100形に置き換えられる事が決定している。

 

 

 

923Dに運用される苗穂のキハ40形は、通勤対策として片側2人掛けBOX席に改造された車両がほとんどで、標準の定員98名から立席を増やし103名と増加させている。

 

 

 

発車を待つ923D。

 

 

 

撮影を済ませ、自分のBOX席に戻ってみたら見知らぬ中年男性(高砂駅まで利用)が座っていた。彼は923Dのヘビーユーザーらしく、おそらくだが夜勤帰りなのだろう。彼は「この列車写真撮ってる人多いですよね…」と私に語りかけてきた。そこで私が解説、彼は納得したようだ。この日はいわゆる『18キッパー』の乗り鉄も多数乗車していた。

 

 

岩見沢駅では、3001M特急ライラック1号を退避するため7分停車する。札幌からの一般客の大半はここまでの間で下車、入れ替わるように美唄方面の乗客が乗り込んでくる。

 

 

 

岩見沢の次駅、峰延の雪の量ハンパない!

相変わらず空知方面はドカ雪続きである。

 

 

 

「♪窓の向こうは石狩平野 行く手をさえぎる雪ばかり…」 山川豊のデビュー曲『函館本線』の歌詞そのままの景色が広がる。

 

 

 

回送のキハ40形2連が見えてくると、滝川駅に到着。ここまでは車掌が乗務していたが、以降終着旭川まではワンマン運転となる。今度は旭川方面へ向かう乗客が多数乗り込んでくる。

 

 

 

滝川でも7分停車し、71D特急オホーツク1号を退避する。

 

 

 

妹背牛🐄駅のユニークな駅名標。よく見ると、カーリングのストーンの形をしている。

 

 

 

深川駅でも7分停車、今度は3003Mライラック3号を退避する。

 

 

 

納内駅を出て、石狩平野の北の果てを進み、函館本線最長の神居トンネルに進入する。

 

 

 

いくつかのトンネルを抜け、旭川の市街地に入り最後の1駅、近文駅に着く。

 

 

 

近文駅を出ると石狩川を渡り、3時間の旅を終えて終着・旭川駅5番線に到着する。

 

 

 

車両は10:35発の滝川行922Dとなるため、それまで小休止。余談だが、折返し列車はJR化後の一時期(1990年9月ダイヤ改正から数年間)は岩見沢から室蘭本線を経由し、苫小牧まで直通するという変則的な運用だった。

 

 

 

その②:旭川 9:16→上川 10:16 石北本線 4523D

アサ H100-21(単行)

 

連絡通路を通り、7番線ホームに入線済みの上川行H100形に乗り込む。このスジは一足もふた足も早く2021年3月ダイヤ改正でキハ40から置き換えられている。正直、H100形には乗りたくないのだが(私にとっては『ざんねんな鉄道車両』)、コレに乗らなければその先のキハ40形による普通列車に乗れないので、あくまでも移動の手段として…。

 

 

 

旭川駅を発車後、先程乗ってきた923Dだった車両が回送線に引き上げてきた。

 

 

 

上川駅1番線にはちょうど1時間で到着。車両は折返し10:38発の4528Dとして旭川へ引き返す。

 

 

 

上川駅は2023年11月15日をもって開業100周年の節目を迎えた。

『開駅100周年記念入場券セット』はこの時点でまだ発売中。ちなみに私は9月の18きっぷ乗り鉄の際に既に購入済みである。

(参考画像・上川駅開駅100周年記念入場券5枚セット)

 

 

 

上川駅舎も、現在の建物になってからまる60年という節目を迎えた。

 

 

 

その③:上川 11:08→遠軽12:38 石北本線4623D

アサ キハ40 1761+キハ40 1714→遠軽

 

上川始発の4623Dは、北見・網走方面で運用されるキハ40形を送り込むための重要な役割を担っている。しかし乗客はほとんど乗り鉄ばかりで、実質は回送列車に近い。その4623Dの車両自体も、旭川運転所から直接上川まで回送列車として送り込まれる。約50㎞余りの距離をお客さんも乗せずに毎日運転するのは勿体ないと感じるのはシロートの考えだろうか。

 

 

 

改札が始まり、3番線ホームに出るが、4523Dで到着した時点よりも雪が激しく降りしきっており、構内には除雪用モーターカーが出動の準備をしていた。

今回の4623Dは2両ともJR北海道色。タラコorツートンを期待していたが、もっともキハ40自体もいずれ乗れなくなってしまうので贅沢を言ってはいけない。

 

 

 

私は遠軽寄り先頭車のキハ40 1714に乗車。

 

 

 

11:04に、網走からの6082D特急大雪2号が到着。流石に激しい雪なので、車外に出て撮影するのは諦めた。

 

 

 

上川駅発車後のキハ40 1714の車内。ほとんどの乗客は私と同様18キッパーだろう。

 

 

 

本来停車しない中越信号場にて運転停車し、除雪作業員を乗せて出発。そもそもダイヤに余裕があるため、所要時間には影響しないようだ。

 

 

 

上川から先の石北本線は、石狩川の源流の1つである留辺志部川に沿って進む。

 

 

 

道内の停車場の中で最高標高(634m)の上越信号場でも運転停車し、中越で乗せてきた除雪作業員を降ろし、代わりに白滝へ向かう作業員を乗せてくる。

この後標高約640mの北見峠を石北トンネルで越える。

 

 

 

石北トンネルを抜けて北見国(現オホーツク管内)に入る。北見峠は石狩川水系と湧別川水系の分水嶺で、今度は湧別川の支流に沿って進む。

 

 

 

上川から約50分で最初の客扱い停車駅・白滝に到着。

白滝までの間にはかつて5つの途中駅があったが、利用者僅少のため廃止もしくは信号場化され、駅間距離は道内最長の37.3㎞となった。

 

 

 

丸瀬布駅を経て瀬戸瀬駅に到着。当駅は遠軽町の自治体管理駅として生き残っているが、やがて通学利用もなくなれば廃駅となってしまうのだろうか…。

 

 

 

瀬戸瀬~遠軽で湧別川を渡る。

 

 

 

遠軽のシンボル・瞰望岩が見えてきて、網走方面への線路が合流すると遠軽駅1番線に到着する。

 

 

 

車両そのものは13:00発の4663Dとして網走まで直行するが、直通客も一度全部降ろされる。欲を言えば1本の列車として走らせて欲しい処だが、時々回送気動車を連結する関係上、進行方向が変わる関係でそうもいかないのだろう。

 

 

 

その③:遠軽 13:00→網走 16:01 石北本線4663D

(車両は4623Dからの継続)

 

遠軽で運転士が交替し、エンド交換が行われる。一度ドアが閉まるが、網走方に運転士が乗り込んだ処ですぐドアが開いたので、私は改札口を抜けずそのまま乗り込む。今回はキハ40 1761に乗車。

 

 

 

国鉄時代から長く使われている電照式の『のりば案内』。下段には名寄本線の名残として「紋別・名寄方面」の文字が…。同線が廃線になってもうすぐ35年…時の流れは早い。

 

 

 

発車を待つ4663D。

 

 

 

12:52に、3番線(2番ホーム)に網走からの4658Dが到着する。コチラはキハ40 1707+1751のJR北海道色2連だった。

 

 

 

キハ40 1761の車内。相変わらずガラガラだが、乗り鉄以外の乗客も見られる。

 

 

 

安国、生田原を経て、石北本線の難所・常紋峠を越え、北見盆地へと下ってゆく。

 

 

 

常紋峠を越えた金華信号場にて運転停車し、キハ283系の6084D特急大雪4号と交換する。

 

 

 

次の留辺蘂駅では、『道東 森の恵み』ことキハ40 1779単行の網走発遠軽行4660Dと交換。

 

 

 

留辺蘂駅発車後、常呂川水系の武華川を渡る。

 

 

 

北見の市街地へ入り、地下に潜る北見トンネルを抜けると北見駅に到着。

 

 

 

北見駅では29分もの『バカ停』となる。一般客のほとんどは当駅で下車し、残る乗り鉄組も買い物のため一旦途中下車したため車内はほぼカラに…。

 

 

 

その間私は撮影タイム。バックに写っているテナントビル『パラボ』はかつてのきたみ東急百貨店。その後方には北見市役所がある。

 

 

 

北見、柏陽、愛し野の各駅からは部活帰りの高校生らが乗り込んでくる。端野駅を経て次の緋牛内駅はJR北海道が廃止を検討している42駅の中の1つ。2024年ダイヤ改正では廃止対象にならなかったが、今後自治体管理か廃駅かの選択を迫られる事になる。集落そのものは駅前中心に広がっているのだが…。

 

 

 

緋牛内~美幌で美野峠を越え、美幌平野に出て網走川を渡る。美幌駅で北見方面から乗り込んできた高校生の大半が降り、車内は再び閑散となる。

 

 

 

西女満別、女満別と進み、最後の1駅、呼人駅に到着。降りたのはたった1人だけ…。

 

 

 

呼人から先は海跡湖である網走湖沿いに進み、やがて網走川につながる。

 

 

 

終着・網走駅に到着。車両はそのまま折返し16:15発の留辺蘂行4670Dとなるが、片側のキハ40 1761は北見で切り離しとなり、同車はその後19:03に発車する知床斜里行4673D(網走→知床斜里は4735D)の運用に就く。

 

 

 

その④:網走 16:17→知床斜里 17:08 釧網本線4731D

クシ キハ54 524

 

4663Dに『色モノ』のキハ40が付いていたら、そのまま折返し列車に乗ろうと思っていたのだが、2両ともJR北海道色のためパスし、接続する釧網本線釧路行4731Dに乗り換える事にした。

このキハ54形は、当日朝に知床斜里駅の一番列車として北見へ直通する4722D(網走→北見は4654D)の運用に就き、北見でしばしの休息を取った後、午後の普通4661Dとして網走に戻り、その後釧路まで戻る4731Dの運用に入る。釧網本線のキハ54形もダイヤ改正後はH100形に置き換えられるため、石北本線で釧路のキハ54形は見られなくなる。オリジナルの他に、『流氷物語号』や『地球探索鉄道花咲線』、さらに『ルパン三世』のそれぞれラッピングトレインも運用に入る事があっただけに、残念ではある。

 

 

 

キハ54 524は集団見合い式リクライニングシート(キハ183系0番台から転用のR51C)を装備。乗客は私が想像した程多くはなかったため、余裕で席を確保する事ができた。

 

 

 

すっかり夜の帳が下りた知床斜里駅に到着。この日の旅はここまで…。

 

 

 

駅の入口にはSL冬の湿原号(?)と、キハ283系スーパーおおぞらのプラレールが飾ってあった。

 

 

 

世界遺産・知床の玄関口である知床斜里駅。

駅舎そのものは根北線廃線後の1971年に建てられたモノを2007年に増改築、リノベーションした建物である。

 

 

 

この日は『ルートイングランディア知床斜里駅前』に宿を取っておいた。

何故知床斜里で1泊するかは…後程説明しよう。

 

 

 

宿は素泊まりのため食事はナシ。周辺の飲食店で夕食を摂るというテもあったが、再び出掛けるのも面倒くさいのでホテルチェックイン前に駅前のセイコーマート(セコマ)で夕食と翌日の朝昼分まで買い込んだ。写真は夕食に食べたホットシェフの煮込みハンバーグ丼。

 

 

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本当は2日目もまとめて紹介したかったのですが、文字数と画像データ量制限のためアップできないため、残りは次回(同時投稿)に紹介させて頂きます。

つづく